トロピカル・サーキット/百瀬文

文字数 2,176文字

文芸誌「群像」では、毎月数名の方にエッセイをご寄稿いただいています。

そのなかから今回は、2020年1月号に掲載された百瀬文さんのエッセイをお届けします!

トロピカル・サーキット


 ハノイでひと月半暮らすことになったのは、わたしの強い意志が最初からあってのことではなかった。現地のアーティスト・イン・レジデンスが、国外からの招聘作家を探しているとのことで、ある人がわたしを推薦してくれたのだった。ベトナムという国に対する知識をろくに持たないままその地に赴くことに若干の後ろめたさを感じていた。わたしはまるでそれに対する言い訳のように、友人が貸してくれたスーザン・ソンタグの『ハノイで考えたこと』をトランクの一番底に詰め込み、日本を出発した。



 目に突き刺さるような排気ガス、空気中をもうもうと舞う茶色い粉塵、道端のつぶれたマンゴーから漏れ出る甘ったるい匂い。果汁。サンダルを履いているのに、気づけば真っ黒になっている足のうらをシャワーで洗い流すたび、ここでは足のうらという部位はもはや個人の身体というよりも、もう少し公共的な、ちょうど玄関のような曖昧な空間に属しているのではないかという気がしてくる。ここでは外と内とのあいだに明確な境界線をつくることはあまり意味を持たず、だからなのか車道にはいわゆる「車間距離」のような概念が存在しない。かつて横断歩道や信号機といった発明が車やバイクから引き剝がしたはずの運転手固有の身体性が、この街においてはいちじるしく前景化される。途切れないバイクの波、止まないクラクション、そのあまりの激しさに、ここに着いて一週間くらいでわたしは疲れ切ってしまって、しばらく家のまわりからどこにも行く気が起きなかった。



 ハノイの街なかに見られるフレンチ・コロニアル様式の建物の壁が、まるでゴッホの絵に出て来そうなあざやかな黄色に塗られているのは、フランス人にとっての「南仏地方」を擬似的に現するためだったと聞く。のっぺりと均一に塗られた黄色い建築のうえに、大きな葉を繁らせたバナナの木がまぬけに覆いかぶさっているのを眺めながら、わたしはそういった文化のねじれにおもしろさも感じていた。しかし、自分らもまたかつてこの土地を踏み荒らした者たちでありながら、そこに「おもしろさ」を感じる資格があるのだろうか、という思いも同時に頭をよぎった。こういった感情は、明確な言葉を伴うわけでもなく、蒸し暑い夜に固いマットレスの上に横たわるとき、生ぬるい泥水みたいにひたひたと足元からやって来るのだった。おまえは、何をしに、この場所へ?



 古い大きな扇風機が、黒い革張りのソファに向けて不格好に首を振り続けていた。どこか学校の教室にも似た雰囲気の歴史博物館の壁には、自分たちがいかに厳しい忍耐の果てにアメリカに勝利したか、またどれだけの女性たちが果敢に武器を取って兵士と戦ったか、といった内容のモノクロ写真が、ホー・チ・ミンの肖像とともに、極めて簡潔に並べられている。日本軍による進駐の記述はわずかにとどまっていた。すこし離れたところにある軍事歴史博物館には、ベトナム戦争時代の戦闘機が、national treasure(国宝)という名目で華々しく飾られている、という話をあとで誰かから聞いた。


 自分たちがかつて侵略した土地に降り立つときの所在のなさ。その瞬間、わたしの中には確かに贖罪の意識がある。しかし一方でそれを、彼らの尊厳を無視した、わたしの独りよがりな自己陶酔にならないかたちで表現することの難しさも同時に感じていた。この国の人々と分かちがたく結びついてきたであろう、永い受難と、偉大な英雄の物語。そこに同一化できない自分に気づいた瞬間に生じる、この言いよどみ。


 たまたまそばにいた、現地の大学生の女の子とすこしだけ立ち話をした。彼女はわたしが日本人だとわかると、とても嬉しそうだった。

「大学院はカナダに行こうと思ってるんです。ここはとにかく空気が汚いから」

 彼女はそう言いながらチャーミングに顔をしかめた。

「日本のマスクはすばらしい製品ですね」

 それを工場で作ってるのが、この国の人たちかもしれなくても? わたしはそれを口には出さず、小さく微笑んだ。わたしの中にも、まだ、帝国があるのだ、と思った。



 すっかり日も落ちた頃、配車アプリで呼んだバイクの後ろにまたがり、わたしはアパートまでの帰路についていた。そのとき来てくれたのは、大学生風の真面目そうなメガネをかけた青年だった。土埃まみれになった、黒いホンダのバイクだった。


 生ぬるい排気の風圧を頰で受けながら、わたしは両ひざで軀体を強く挟み、振り落とされないようにメガネの彼の腰をぎゅっと摑む。ショートパンツの裾から白い太ももを晒し、赤ちゃんを抱えたままシートにまたがる若い女性の姿が視界を横切っていく。クラクションのけたたましい音があちこちから聞こえてきた。まぶたの隙間から、わたしたちと同じ方向に向かって魚のように流れていくヘッドライトの、無数の光の糸が見える。少しずつ輪郭を失っていく自分の身体にかすかな安堵を覚えながら、わたしは彼の腰に回していた手をゆっくりとほどいた。

百瀬文(ももせ・あや)

アーティスト、1988年生まれ。

2022年4月号「群像」より、「なめらかな人」を連載中です。

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