第16回/最後に善が勝つ

文字数 1,509文字

こちらはインターネットに生息するふしぎないきもの・にゃるらがインターネットと独り暮らしとそれ以外について深夜に執筆している画像付きエッセイです。→@nyalra


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 結局のところ、最後に勝つのは「善」であると思う。


 これは、単純な綺麗事や宗教観とかではなく、最終的には「良いやつ」が得するであろうと学習したのです。


 なにごともインターネットに書かれて拡散される危険が身近にあるからこそ、人間関係には「信頼」が重要であるなぁと感じるこの頃。誰だって、自身の近況を話す際に、相手によって話すラインを調整する筈です。人とのコミュニケーションって、どこまで本心で語り合うかが重要ですから、信頼を勝ち得ないかぎり本当の意味では前に進まないんですね。つまり、ちゃんと安心して話せそうな人間が友好関係も仕事も得ていく。


 こうして言語化すると当然のことですし、「そんなことわかってんだよ!!!」とキレそうな読者もいるかもしれません。しかし、念を押して書いておいても損がある話じゃないでしょう。


 ゲームをリリースしてから一年、関わる大人が急増し、誰とどう向き合っていくかの判断の連続でした。そうなってくると、損得以上に「信頼」を基準にするしかありません。「この人となら、例え結果的に損したとしても笑って許せるな」って人を優先して付き合うわけですね。向こうだってそう考えているのだから、じゃあこの世界って実は「善」が大事。年収や身長体重など、目に見えるステータスの裏に「善性」が存在している。ロマサガみたいに、裏パラメーターが参照されることも少なくないのです。


 もちろん、「善」って個人の主観によるものですから、誰かにとって善は悪かもしれないし、そこは難しいんですけどね。なんなら善悪なんて超越するくらいに、魅力的な才能を持っている方も極稀に居るわけで。が、僕らのような凡人が悩んだ時には、一般的に「道徳」や「倫理」と呼ばれるものに頼ると楽だなって気づいた。


 逆に言えば、これは誰もが人間関係において一定のポジションにつけるわけでもある。とにかく無害で優しそうだと判断されるだけで、「何かあったら話せそうなやつ」くらいに思われるんですね。そうなったら、待っているだけでいつか大きなチャンスがやってくる筈。仕事とかでなく友人としてでもね。


 であるなら、自分は、このコミュニティでまだ実力的に足りないと判断した場合、とりあえず無害そうなやつとして「見」に回ることが安牌ですよね。特に誰の文句も言わず、余計な口を挟まずに、その場の人間関係を円滑に回す潤滑油となる。じっと守りを固める。これだけで、ある程度の得をする可能性が高くなる。


 もちろん、守り続けることで終わりのないディフェンスになったら、それはそれで爆発するでしょう。いつかは機を見て、攻めていかなければならない。ただ、自分がこの場で何もないなと感じたら、とりあえず「悪いやつではない」と認識されることを最優先に動くと便利だなって話でした。


 まあ、その事実を踏まえてなお、誰に嫌われたっていいから自分の夢を叶えるくらいひたむきに我が道を行く方がカッコいいし、それこそが真の「善」かもしれませんけどね。なにが本当の善行であったかは、死ぬ直前で自覚した満足度でしか測ることができませんから。

【モニターアームとiPad】


極限までゴロゴロしたいと考えた結果、簡単な作業や動画視聴は、モニターアームに装着したiPadで行うことにしました。めちゃくちゃ楽で助かりますが、これを続けていくうちに人間性まで溶けていく感覚があります。

来週も月曜深夜に更新予定です。それでは、おやすみなさい。

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