第4回『ドリトル先生』シリーズ/ヒュー・ロフティング

文字数 2,945文字

「猫」と「音楽」、そして「海外小説」を愛してやまないtree編集者・茶屋坂ねこ氏による、

海外小説入門のすすめ『左綴じ書評』!


第4回の今回は『ドリトル先生』シリーズ(ヒュー・ロフティング)です!

沼のほとりのパドルビーをさがして

むかしむかし、まだ世の中にインターネットがなかった頃、調べ物をしようとしたら百科事典を見るか、地区の図書館、はたまた国会図書館や大宅壮一文庫に行かなければならなかった時代の頃のこと。


小学生だった私は、動物の言葉が話せる「ドリトル先生」が主人公のシリーズに夢中でした。巨大なかたつむりの殻に入ってアフリカまで海底を移動したり、巨大な蛾の背に乗って月まで行くという奇想天外な発想、個性あふれる動物たちのキャラクター、著者ヒュー・ロフティング自身による味わい深いイラスト、そして「オシツオサレツ(Pushmi-pullyu)」に代表される井伏鱒二さんの名訳。それらは遠い英国の物語の世界に私を引き込み、誰に対しても、動物に対しても平等である先生の言動は私に大切なことを教えてくれました。


そんな私がずっと気になっていたのは、

 「沼のほとりのパドルビーは、どこ?」ということでした。


もちろん、作中でドリトル先生と動物たちが住んでいることになっている町「沼のほとりのパドルビー」は、著者が作った架空の町なのですが、物語の中の町の描写を読んで、「モデルとなっている町があるはず」と思ったのです。きっとモデルとなった町がわかれば、ドリトル先生や動物たちの物語が少しリアリティを持つ気がしたのでしょう。この楽しい物語の世界がこの世に実在してほしかったのですね。なにしろ、物語が好きなあまり『ドリドル先生と緑のカナリア』に出てくるカナリア・オペラの曲を勝手に作曲していたくらいですから……(因みにそれは「カワラヒワ愛の歌」と「馬具ジャグジャグ」)。


今こそ検索エンジンに「沼のほとりのパドルビー どこ」とか入れれば何百とでてきますが、インターネットのない時代、国会図書館に行ってみても残念ながらリトル先生の研究本さえ見つかりませんでした(そののちに刊行されました)。


英国は「スロップシャー」という地域のパドルビーにあるオクスンソープ通りに住んでいる、ということは本に書いてありましたので、本を片手に、英国の地図とにらめっこしながら描写に合うエリアを探し出しました。


 『ドリトル先生航海記』の冒頭、スタビンズ君が


「町のまんなかを、ひとすじの川が流れておりました。その川には王者橋という、たいへん古めかしい石橋がかかっていて、橋のたもとに市場がありました。」


「たくさんの帆かけ船が、海からその川をさかのぼってきて、この橋のそばに、錨をおろしました。私はいつもそこに行って、船の荷をおろす水夫たちを、川岸の石垣の上からながめておりました。」


と言っておりますので、「沼のほとりのパドルビー」は、海からそう遠くはなく、帆かけ船が通れるくらいの大きな川が流れているところ、と推測できます。でもご存知の通り英国は島国ですから、「海からそう遠くなく、大きな川が町の中心を流れている場所」なんて山ほどあるのです。


根気強く「スロップシャー」を頼りに地図を眺めていたところ、バーミンガムの西にShropshire(シュロップシャー)という、よく似た名前の場所を見つけました。


……ここかもしれない!  ──心が躍ります。

……でも、パドルビーは「West Country」(コーンウォール、デヴォン、サマーセット、ドーセット、ウィルトシャー、グロスターシャー、ブリストル、ヘレフォードシャーの一部)にある、とあったのでシュロップシャーはそこに含まれませんし、何よりかなり内陸で、海からは距離があります。


そこでまた地図を眺め、ウエスト・カントリーの北側にあるグロスターシャーに目をつけました。ここなら英国で一番長い川、セヴァーン川が流れており、ブリストル海峡に流れこむ河口があります。


ここだ! ここに違いない!


スタビンズ君やねこ肉屋のマシュー・マグが住んでいて、オクスンソープ通りには犬のジップ、豚のガブガブ、オウムのポリネシア、アヒルのダブダブたちがドリトル先生と一緒に楽しく暮らしているんだ! そう思うと頭の中に「沼のほとりのパドルビー」の町の風景が広がっていって、物語の中に入って紫ゴクラクチョウのミランダや猿のチーチーと楽しく話をしたり、犬のジップの頭をなぜたりする自分を想像し、わくわくしたのでした。


因みに1967年公開の米国映画「Dr. Dolittle」のロケ地は、ブリストル湾からもう少し内陸に入ったウィルトシャーのカッスル・クームでしたので、このことも私の稚拙な調査結果に自信を与えました。


ただ一つ疑問だったのは、ロンドンとの距離です。「…こんなに遠い距離を果たしてスズメは飛ぶことができるのかしらん?」ということでした。ええ、ロンドンはセント・ポール大聖堂の聖エドモンドの左耳に巣をかけている、スズメのチープサイドのことです。彼はわりとしょっちゅうオクスンソープ通りに来ていましたから……。どう考えても途中休み休み飛んでくる必要がありそうな距離です。 


……でもまあ、あくまで「沼のほとりのパドルビー」は架空の町だから! ──と、子供だった私は、とりあえず「らしい」場所に見当をつけることができたのでそれでよしとすることにし、「沼のほとりのパドルビー調査」を終えました。──いつの日かその町を訪れる日がくることを夢見ながら。スタビンズ君のように川沿いの石垣に座って、行き来する船舶を眺める自分を想像しながら。


のちに大きくなってロンドンに住む機会を得た私は、休日にシティ地区にある“チープサイド”通りに向かいました。チープサイドはロンドンスズメのチープサイドの名前の由来となった通りで、西の端にはセント・ポール大聖堂が、東にいくとセント・メアリー・ル・ボウ・チャーチがあります(ロンドンの下町っ子、独特のアクセントで有名なコックニーはボウ・チャーチの鐘の音が聞こえる範囲に生まれ育った人たちといわれていています)。


──もちろん、セント・ポール大聖堂の聖エドモンドの左耳を見に。パンの切れ端をこっそりポケットに入れて。


最近になってふと思い出し、ネットで検索したところ、何人かの方が私と同じように「沼のほとりのパドルビー」を探していました。そして中には私と同じ「グロスターシャー」のセヴァーン川河口に行きついていた方がいて、幼い自分の結論はあながち見当違いというわけでもなかったんだなあ、と感慨にふけったのでありました。


今度英国を旅する際は、是非セヴァーン川の河口あたりに行ってみようと思います。


──カナリア・オペラのために自ら作曲した「カワラヒワ愛の歌」でも口ずさみながら。

セント・ポール寺院

(Writing by 茶屋坂ねこ)

tree 編集部編集者、翻訳本を中心に面白かったものをどんどんご紹介していこうと思います。

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

背景色
  • 生成り
  • 水色