絶対に読むべき一冊『高瀬庄左衛門御留書』

文字数 2,947文字

直木賞および山本周五郎賞候補、そして第9回野村胡堂文学賞、第11回「本屋が選ぶ時代小説大賞」、第15回舟橋聖一文学賞、「本の雑誌」2021年上半期ベスト10第1位…と、「これぞ今読むべき時代小説」と話題をさらった砂原浩太朗さん『高瀬庄左衛門御留書』が、文庫化!

アルパカさんことブックジャーナリスト・内田剛さんが、この必読書の魅力をあますところなく紹介してくださいます!

『高瀬庄左衛門御留書』(砂原浩太朗・著)ブックレビュー/ブックジャーナリスト 内田剛

『高瀬庄左衛門御留書』が文庫化によって、さらに広く読まれることは非常に喜ばしいニュースである。


 親本の刊行は忘れもしない2021年の1月。書店員、書評家、読書会など、出版業界の内外に関わらず、僕の周辺の本好きの間で「これぞ正統派の時代小説だ」「こういう物語が読みたかった」「すごい作家、作品が登場した」と大いに話題となった。『高瀬庄左衛門御留書』は絶対に読むべき一冊としていったい何度、耳にし、口にしたであろう。ひとつの作品でこれほど盛り上がる体験も稀有なことである。


 年輪さえも感じさせる熟練の技が光る文体は読書界を席捲。この年の最大の収穫は砂原浩太朗の発見だった。

 大手出版社の編集者出身であることも話題となったが、文字通りの苦労人。小説家になるために30歳で会社を辞めフリーで活動。デビューまでに15年の歳月を要した。この長い下積み時代があったからこそ、この世の酸いも甘いも描き分ける筆力が養われたのであろう。社会や組織に対する確かな視線や、説得力のある書き味と大人の空気を存分に漂わせる文学性は、豊富な社会経験によって培われたのだ。


 口コミはSNSなどで広がっただけでなく、各方面で確かな評価が続いて、その名声はあっという間に揺るぎないものとなった。

 第9回野村胡堂文学賞、第11回「本屋が選ぶ時代小説大賞」、第15回舟橋聖一文学賞、「本の雑誌」2021年上半期ベスト10第1位という冠も輝かしく、第165回直木賞候補、第34回山本周五郎賞候補としても評判となった。2016年「いのちがけ」で第2回決戦!小説大賞を受賞してデビュー以来5年。その才能が一気に花開いただけでなく、いきなり文壇のど真ん中に現れたといっていいだろう。


 さて『高瀬庄左衛門御留書』である。舞台は江戸時代、とある地方の架空の小藩・神山藩で小役人を務める高瀬庄左衛門が主人公だ。老境に差し掛かった清貧の人生に突如として現れた暗雲。五十歳を前に愛妻・延を亡くしただけでなく、続けざまに悲劇が待っていた。幼少より利発で才気に溢れていた息子・啓一郎も役人職に就いたものの、郷村視察の道中で不慮の事故によって命を落とすのだ。生きる希望を失い、残された息子の嫁の志穂とともに、ささやかな楽しみとして絵を描きながら、押し寄せる後悔に埋もれる日々を過ごしていた。そんな中で藩の政争の嵐に巻きこまれ、慎ましく暮らしていた庄左衛門の運命を呑みこんでいく。ここでの黒幕探しと敬一郎の死の真相に関する一幕は、まるで上質なミステリーを読むかのごとく物語世界に引きこまれる。


 「一年目」と「二年目」の二部で構成されている本書の読みどころは豊富であるが、なによりも印象的なのは全編から伝わる静謐な空気だ。研ぎ澄まされた時の流れが、粒子のごとくカタチとなり目に見えるようである。しかし穏やかなだけではない。人間の内面に秘めた激情もまた明確に感じられ、溢れんばかりの感情とともに指先の体温までも伝わってくる。とりわけ年齢の離れた庄左衛門と志穂のプラトニックな関係性には心が奪われてしまう。義理の親子でありながら絵画においては師弟でもある。離れようとする気持ちと寄り添いたいという相反する気持ち。二人の間に横たわる特別な間合いの変化が悩ましくも絶妙。台詞のない部分も雄弁で温かな血が通っており、モノクロの心模様が色づく瞬間が、映像を見るかのように感じられる。そんな魅力的な情感の描写に心ゆくまで酔いしれてもらいたい。


 著者の繊細な眼差しは男と女、それぞれの生き方に向けられているだけではない。時の為政者の有り様、組織の矛盾に対しても容赦のない問いかけがある。「政(まつりごと)」とはいったい何なのか。正義の刃は何処に向ければよいのか。苛烈にして抗えない運命に翻弄される姿から武士の矜持が炙り出される。武門の家に生まれ受け継がれる血脈と、常に怒りをたたえて熱く燃えさかる志が、胸に深く突き刺さるのだ。


 『高瀬庄左衛門御留書』を読めば、きっと背筋が真っ直ぐに伸びるであろう。艱難辛苦を噛みしめた沁みわたる人情。人生の一寸先は闇である。しかしその先は絶望があれば希望もある。妻や息子、さらには仲間や己自身。身近に切実な死を感じるからこそ、生々しい鼓動と息吹が愛おしくなるのだ。必然的に訪れる季節の移ろいも鮮やかに、ままならない人間の営みを細やかな筆致で完全に凝縮している。


 理不尽な運命に戸惑い、感情を押し殺しつつも、真正面から対峙する登場人物たちの姿は、時代小説でありながらまったく古びておらず、むしろ活き活きとしており新鮮でさえある。これぞまさに僕らの物語。たくさんの不安を抱えて現代を生きる読者の共感を得るに違いない。後世に伝えるべき、偽らざる真っ当な人間の素顔がここにある。


 実在しない神山藩を舞台とした本作は、登場人物や時代に違いはあれども、共通した情感と土地の空気が流れるシリーズものである。『高瀬庄左衛門御留書』の勢い止まらず2022年1月刊行の『黛家の兄弟』では第35回山本周五郎賞を受賞し、大反響があった。さらに2023年7月には第3弾『霜月記』の発売も予定されている。2023年4月刊行の『藩邸差配役日日控』も読書家たちを唸らせているが、いまもっとも注目されている作家・砂原幸太朗の新作、特に令和の名作といえる『高瀬庄左衛門御留書』のシリーズ展開の今後に大いに期待しよう。

砂原 浩太朗(スナハラ コウタロウ)

1969年生まれ。兵庫県出身。早稲田大学第一文学部卒業後、出版社勤務を経て、フリーのライター・編集・校正者となる。2016年「いのちがけ」で第2回「決戦!小説大賞」を受賞。2021年『高瀬庄左衛門御留書』(本作)で第34回山本周五郎賞、第165回直木賞の候補。また本作で第9回野村胡堂文学賞、第15回舟橋聖一文学賞、第11回本屋が選ぶ時代小説大賞を受賞、「本の雑誌」2021年上半期ベスト10第1位に選出された。2022年『黛家の兄弟』で愛35回山本周五郎賞を受賞した。他の著書に『いのちがけ 加賀百万石の礎』、共著に『決戦!桶狭間』『決戦!設楽原』や歴史コラム集『逆転の戦国史』がある。

内田 剛

ブックジャーナリスト。本屋大賞実行員会理事。約30年の書店勤務を経て、2020年よりフリーとなり文芸書を中心に各方面で読書普及活動を行なっている。これまでに書いたPOPは5000枚以上。全国学校図書館POPコンテストのアドバイザーとして学校や図書館でのワークショップも開催。著書に『POP王の本!』あり。
こちらもぜひ!「神山藩」シリーズ第2弾、山本周五郎賞受賞作!

『黛家の兄弟』

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