『笊丿目万兵衛門外へ』山田風太郎/自分をどこに賭けるのか(千葉集)

文字数 2,289文字

次に読む本を教えてくれる書評連載『読書標識』。

木曜更新担当は作家の千葉集さんです。

『笊丿目万兵衛門外へ 山田風太郎傑作選 江戸編』について語っていただきました。

書き手:千葉集

作家。はてなブログ『名馬であれば馬のうち』で映画・小説・漫画・ゲームなどについて記事を書く。創元社noteで小説を不定期連載中。

生殺与奪の権を他人に握らせるなと激を飛ばしたのは冨岡義勇さんですが、生殺与奪とまではいかなくても、我々は自分の心の柔らかい部分をそれとは気づかずポンと軽く他人に託してしまいがちです。


自分を自分より大きな外部に委ねてしまうことの愚かさと滑稽さを第二次大戦を通じて観察してきた山田風太郎は、そのような”弱い”人間たちの運命の変転を繰り返しモチーフにしました。


「お江戸英雄坂」の主人公赤獄大次郎は一見すると、他人に依存する弱さとは無縁に見えるかもしれません。筋肉隆々の風格ある容貌で、武芸も学問もピカイチ、清廉潔白、向上心の塊のような若者です。「おれは英雄になる」が口癖で、一代のうちに大きな仕事を成し遂げたいと本気で考えています。意識が高い。能力もある。将来性抜群ですね。


しかし彼はまず、お那輪という多情な女性に言い寄られ心が乱れる。悶々としているところに幸蔵という職人にそそのかされ吉原に通い詰めるようになる。これで堕落していくのかとおもいきや、通っていた学問所で林耀蔵という才子の弁舌に感銘を受け弟子入りを申し込む。ところがその耀蔵と先述のお那輪をめぐって一悶着が起き、彼女に乞われるがまま耀蔵に斬りかかろうとする。それを耀蔵に同行していた下斗米秀之進という男に徒手空拳でいなされる。すると、今度は秀之進に惚れる……とまあ、めまぐるしく入れ込む先が変わっていきます。


そんな彼を山田風太郎はこう評します。

彼はお那輪という女を、花から花へ飛び移る蝶みたいな女だと、幾分にがにがしい思いで考えたが、実は彼自身が「英雄」の花を求め飛びまわっている熊ン蜂に似ていることを自覚していなかった。(p.232)

耀蔵、秀之進、幸蔵、そしてお那輪と、劇中の主要人物たちはみな辿る道はさまざまであれ、みな主体的に動きます。もっとも主体性がない存在と思われた耀蔵の愛人、お蕗でさえ最後には自分だけの選択を行います。


ただひとり、大次郎だけが「英雄になる」という自らの運命を他人に委ねることしかできない。最後の最後でようやく自分自身の決定めいたものを下しますが、それも結局は「他人に賭ける」行為の延長線でしかなく、しかも見事に裏切られてしまいます。


どんなに立派で有能な人物だろうが、他人は他人でしかなく、自分とは関係ないところで動いている。偶像に自分を委ねるの楽かもしれませんが、意志を持つかぎり偶像はいつでも崩れてしまう。となると、期待の賭金を他人に張るのは危険なのかも。


あるいは、いっそ人ではなくシステムに委ねてしまってはどうか。


それを実行したのが「南無殺生三万人」の初代火付盗賊改方、中山勘解由です。生涯を通じて三万人もの罪人を刑死させ、「鬼平」ならぬ「鬼勘解由」と怖れられた人物です。


そんな中山勘解由を山田風太郎はどう描いたか。盗賊を詮議して処刑する任を受けたばかりのころは大役をやりとげて出世しようと奮起するサラリーマンのようです。なかなかうまく悪人を切れなかったり、そのうち自分は無実の人間を死刑に追いやっているのではないかと悩んだりと、意外と人間らしい一面を見せつつ、ちょっとした迷走におちいったりもします。


それが、ある一件をきっかけに「この世に悪党どもの屍山血河を描き出す」と誓ってからは完全なる法の誅戮マシーンとして生まれ変わります。微罪であっても凄まじい拷問で犯罪者たちを締め上げ、厳罰に処しまくる。部下も汚職にすこしでも手を染めようものなら自ら切って捨てる。


処刑や拷問の研究も熱心に行い、どんどん効率化していく。かつての懊悩した冤罪についても思考を「合理化」させて、こんなことを言います。

「人間というやつはみな悪いことをやるのが好きな善人か、ときどき善いこともやる悪人か、で、例外はまずない。いずれにしても斬り殺してさしつかえない。またこの世に、有害無益でない人間は一人もない、少くとも、この世に絶対必用な人間は一人もない、ということじゃ。あまりそういうことに気をつかうな」(p.174)

これに地の文で作者が「その理屈をひろげてゆけば、日本人すべて根絶やしにするのが一番効果的であったはずではあるが。」とツッコんでいるのがおかしい。そうなんですよ、この短篇はコメディなんです。


自分自身を当時の司法システムの効率化のためにフルベットするとどうなるか、という実験です。


結果的に中山勘解由は官僚として大成功し、目標であった出世を重ねて栄達を遂げ、おおむね幸福な生涯を送ります。


人は裏切り、システムは裏切らない。こと個人の幸福のみを考えたらわたくしをシステムに同化させたほうが得――という結論を出してしまいそうですが、ここも一筋縄ではいかないのが山風小説。


もし、奉仕すべきシステムの末端部に配置されたら?


その悲劇的な答えは表題作の「笊丿目万兵衛門外へ」にあることでしょう。


開けばさまざまな臨終が飛び出す山田風太郎作品、読んで読みすぎるということはありません。

『笊丿目万兵衛門外へ 山田風太郎傑作選 江戸編』山田風太郎(河出書房新社)
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