『世界でいちばん虚無な場所』ダミアン・ラッド/かなしき全世界(千葉集)

文字数 1,614文字

「本書は思いもよらない脱線の旅でもあり、行き着く先はとらえどころのない奇妙な歴史である──ソヴィエトのSFと宗教的隠遁者、原爆実験地とホテルでの死、ガスステーションの薄気味悪さと人新世の憂鬱。」(本書、p.16)

旅に出ろ、と命じる声が聴こえ、外に出たのはよいものの、みえない微小な何かの群れが道を空を海をふさいでいて、もうどこへも向かえません。遠くへ行くために残された手段は本かインターネットくらいでしょうか。なんてさびしい。そんなわたしたちの広大なさびしさに似合うのは、もはやこの本しかないでしょう。『世界でいちばん虚無な場所』。


著者のダミアン・ラッド曰く「この世にかなしみを広めるために」はじめたインスタグラムを下敷きに、「破滅町(Doom Town)」「無し(Nothing)」「死の島(Isle of the Dead)」といった世界に点在する陰鬱な地名にまつわる物語や歴史をペシミズムたっぷりに紹介する自称「反旅行ガイド」です。


ちなみにラッドは本書でとりあげた地をどれも訪れたことがないそう。似たような趣向の本としては、前々回に紹介した『失われたいくつかの物の目録』の著者ユーディット・シャランスキーによる『奇妙な孤島の物語』(河出書房新社)がありますね。本書と共通して登場する「孤独島」の回ではそれぞれ同じエピソードを取り入れており、語り口の違いを味わえます。


フィクションに眼を転じれば前回岩倉文也氏が紹介したカルヴィーノの『見えない都市』(河出文庫)や、やはり以前わたしがご紹介したササルマンの『方形の円』(東京創元社)などの架空都市紹介小説などが思い出されます。


その地を実際に訪れずとも地図さえ読めば、そこを舞台にした小説を書ける、と豪語したのはディーン・R・クーンツだったはずですが、なるほど、土地の物語を語るのなら、むしろ限りなく引いた視点から記述するのが適当なのかもしれません。チャトウィンにしろ、サンドラールにしろ、管啓次郎にしろ、偉大な紀行作家は訪う土地に自らを委ね、その上に関係を築きます。もちろんそうした作家たちも、ミクロとマクロの眼を的確に使い分けはするでしょう。しかし文化圏や民族や神話によってではなく、かなしさやさびしさによって土地を繋げるならば、やはり最低でも航空写真の三百メートル、あるいは人工衛星の六百キロメートル、または活字を通した無限の距離が必要なのです。その冷たい遠さからでしか視られない風景もある。入れない路地がある。


部屋から出ることのできない二〇二〇年の旅人であるわたしたちにうってつけのレンズは、名前です。「孤独」や「世界の終わり」といった不吉な、しかし実効的な力は何も持たないはずの土地の名が、文章にのると魔力を発揮して印象を導きます。「1963年、チェルシー自治区議会が世界の果て団地(World’s  End  Estate) を建設する計画を立てた。」、「『潮が毎日満ち引きしているか、波が打ち寄せているかは、町議会が責任を持って確認する』。孤独町の議会とコミュニティ──男性3人のみからなる──は、みずから提案した法律に満場一致で賛成した。」、「死はフィンランドの村である」……。なんということでしょう、ここでは世界がことばでできている。


さあ、おもいついた単語をグーグルマップで検索しましょう。あなたの気分で世界を繋げましょう。書を拾い、四角い部屋を無辺の大陸に見立てて旅に出ましょう。

「これから先は朕が都市の模様を語ることとして、そちはその都市が実在するかどうか、また朕の考えておるとおりかどうかを確かめるがよい。」

 イタロ・カルヴィーノ『見えない都市』米川良夫訳

『世界でいちばん虚無な場所』ダミアン・ラッド/菅野 楽章 訳(柏書房)
千葉集

ライター。はてなブログ『名馬であれば馬のうち』で映画・小説・漫画・ゲームなどについて記事を書く。

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