ホントにあったウソのような旅行記③/嶺里俊介

文字数 3,470文字

『だいたい本当の奇妙な話』『ちょっと奇妙な怖い話』など、ちょっと不思議で奇妙な日常の謎や、読んだ後にじわじわと怖くなる話で人気の嶺里俊介さんによる、tree書下ろしショートショート連載第2弾スタート!

今回はウソかほんとかわからないふし~ぎな『ホントにあったウソのような旅行記』


第3回の舞台は、イタリアのナポリです! Buon viaggio!

 ナポリを拠点とした最終日の予定はポンペイ遺跡だった。ヴェスヴィオ火山の大噴火による火砕流に埋もれた都市である。 

 列車の時間を考慮し、朝7時半にホテルを出てナポリ中央駅へと4人で向かった。


 駅前はロータリーになっている。向こう正面には劇場があり、両脇に道が延びている。その左手の道を少し入ったところに私たちが泊まっているホテルがあった。


 ロータリー広場に出ると、4人連れ立って右手の道をぐるりと回り、駅へ歩いた。駅入り口に掲げられている大時計はまだ8時前を指している。構内を歩く人影は10人もいない。

「切符はまとめて買おうぜ」

 私が振り向いた後ろには誰もいなかった。


 慌てて周囲を見回すが、やはり3人の姿はどこにもない。守田も泰丸も、村岡も。

 馬鹿な。駅前ロータリーの歩道なんて30メートルほどしかない。はぐれる距離じゃない。

 歩道には細い脇道があるが、まさか3人ともそちらに入ったのか。

 さほど距離があるわけでもないし、確かめるにも時間はかからない。私は足早に戻って脇道を覗き込んだ。

 ひと気はない。3人は消えていた。


  困惑頭でナポリ中央駅のエントランスへ戻ったら、時計が8時の鐘を鳴らした。

 一瞬、視界が揺れた。周囲の色が淡く霞んだ気がして、目頭を指で押さえる。

 だいじょうぶ、めまいはない。それより消えた3人だ。いまどこにいる。

 私は駅構内へ目を向けた。切符売り場には誰も並んでいない。まさか先に改札を抜けたのかとホームへ目を遣るも3人の姿はない。


 それどころか、誰もいない。駅構内を誰も歩いていない。

 そんな馬鹿な。つい先ほどまで利用客が8人くらいいたはずだ。

 後ろを振り返り、駅前のロータリーを確かめる。

 やはり人影がない。右手にバスが1台止まっていたので近づいてみた。乗り降りする利用者はいない。乗降口から覗いてみたけれど座席に人は座っていない。それどころか運転席に運転手の姿もない。


 バスの後ろに一台の白いバンが駐まっていた。横に見覚えがある赤い十文字がペイントされている。

脇に、若い女性が立っていた。人形のように端正な顔立ちとスタイルだ。

 こちらから話しかける前に、彼女は寄ってきた。

「Sangue!」「Per favore, dona il sangue!」

 左腕を袖まくりして肘の裏を指さしながら、彼女は私にバンの中を覗かせた。車内に採血の器具が見えた。

「……Blood!」

 どうやら「献血してくれ」と言いたいようだ。英語に言い換えたのは、イタリア語が通じないと推察したらしい。正解だ。

 いや、それどころじゃないのだが。いまこの広場にいるのは彼女と私の2人だけだ。


 彼女は戸惑って動けなくなっている私の腕を掴み、有無を言わさず車内へ引きずり込んだ。

 ちょっと待て。旅行者や外国人は感染症などの危険性があるから献血は敬遠されると聞いたことがあるぞ。いいのか。なにか妙だ……ぐっ。

 よもや異国で血を抜かれることになろうとは――。


 献血が終わると、私は車外へ放り出された。

 待ってくれ。少し訊きたいことがある――。

 振り向いたが、白いバンは消えていた。周りを見渡しても、それらしき車すらない。

 ――なんだか頭がくらくらする。


 再び駅のエントランスに戻り、身体を回して周囲を360度確かめる。

 朝8時過ぎだというのに誰もいない駅。歩道を歩く者もいない。ひと気がまったくない町と化している。

 私はおかしくなったのか。駅の切符売り場へ行ってみたものの、駅員はいなかった。改札の向こう、並んでいるホームに入ってくる列車はない。出て行く列車もない。

 

 突然、強烈な危機感を感じた。

 いきなり巨躯の男たち数人に囲まれたような圧迫感。同時に『このままだと危ない』危険予知。

 異国にいるのに、さらに別世界に入った気分だ。

 もしかして私の目がおかしくなったのか――。

 異国にあって、なお異国。まるで異世界だ。基本的な感覚がズレたような気がする。

 湧き上がる孤独感が凄まじい。並大抵のものじゃない。幼い頃に体験した迷子どころではない。そのうえ、ここは居てはいけない場所だと本能が語りかけてくる。

 私は駅を出てホテルへと走った。誰もいないロータリーの歩道を急ぐ。

 ふと思いついて、ホテルから先の道へと入った。

 人っ子1人いない町があまりにも不自然だったからだ。メインストリートに入れば、それなりに往来があるはずだ。

 メインストリートから海岸通りに出る。海が見えたところで、私は立ち止まった。

 ここ海岸通りに出るまで1キロあまり歩いただろうか。しかし人の姿はなかった。それどころか走っている車が1台もないのはどういうわけだ。


 再び強烈な危険予知があり、足が竦んだ。

 ここから先に進んではいけない。とんでもないことになる――。

 そんな予感が脳裏を過ぎる。

 私は踵を返し、町なかのホテルへと急いだ。


 ホテルへ戻ったが、ロビーに利用客の姿はない。フロントにも誰もいない。

「戻りました。部屋のキーを」

 周囲を見渡しながら声を大きくしたが、誰もフロントに出てくる気配がない。

 身を乗り出して奥へ向かって叫ぼうとしたとき、フロントに見慣れたものを見つけた。

 部屋の鍵だった。

 私は鍵をわし掴み、エレベーターへ向かった。


 とりあえず自分がいられる場所といえばここしか思いつかない。それどころか3人が部屋に戻っていることすら期待した。

 無人の部屋に入り、鍵をかける。身体の震えが止まらない。寒気ではなく怖気が奔る。

 3人はいなかった。守田も、泰丸も、村岡も。

 窓から外を確かめたが、やはり人の姿がない。それどころか視界から色が消えている。モノトーンの風景が広がっている。


 私はショルダーバッグを放り出し、机の前で項垂れた。

 机の上に、フィレンツェの骨董品店で購入したドラゴンの置物が置いてあった。デザインが気に入っていて、昨晩もバッグから出して愛でていた。大きさは20センチくらいだ。それなりに重いし硬い。文鎮にちょうどいいと思ったが、魔除けや厄払いの品だという。

「夢なら覚めてくれ」

 私はドラゴンの置物をひとしきり撫でると、上着を脱いでベッドにうつ伏せになった。


 夢を見た。旧い映画の『オズの魔法使い』だった。

 大冒険をした主人公の少女は故郷へ帰りたいと願う。魔法の靴を履いて、踵を3回鳴らす。

「カンサスが一番いい」願いごとを3度繰り返す。

 そして目が覚めると――。


 部屋のドアが開いて3人が入ってきた。

「どこへ行ってた。いきなり俺たちの前から消えやがって」

「かなり探したんだぞ」

「見つからないし、列車の時間になったから3人で行ってきちゃったよ」

 私は苦笑いを隠せなかった。

 消えたのはどっちだよ。まさか私の方か。私が消えたのか。

 言いかけて、口元が引き攣った。


  *


 帰国してから、届いていた郵便物を前にして嫌な予感がした。経験上、痛い目に遭ったときは往々にして追い打ちがかかる。

 案の定、郵便物を確認して血の気が引いた。

 卒業前の試験結果だった。

 卒業に必要な単位は2科目。自信はあったが1つでも落としたら目も当てられない。卒業できなくなってしまう。

 実際に、2人の知人が卒業に単位が足りなくなり、追試のためにスキー旅行から戻ってきたと耳にした。

私は念のため3科目試験を受けたが、あろうことか1科目を落としてしまっていた。それも楽勝と評判の科目で、だ。

 『優』『良』『不可』と1つずつ並んでいた。

 『不可』なんて、初めて見る評価だった。目を疑うほどの悲惨な結果である。回答欄を段ズレして記入したとしか思えない。

 いずれにせよ首の皮一枚で繋がった。これだから保険は侮れない。

嶺里俊介(みねさと・しゅんすけ)

1964年、東京都生まれ。学習院大学法学部法学科卒業。NTT(現NTT東日本)入社。退社後、執筆活動に入る。2015年、『星宿る虫』で第19回日本ミステリー文学大賞新人賞を受賞し、翌16年にデビュー。その他の著書に『走馬灯症候群』『地棲魚』『地霊都市 東京第24特別区』『霊能者たち』『昭和怪談』などがある。

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