七月▽日

文字数 4,774文字

日1冊、3年で1,000冊の本を読み、月産25万字を執筆し続ける小説家・斜線堂有紀。


謎めいた日常はどのようなものなのか――

その一端が今ここに明かされる。


毎月第一・第三月曜日、夕方17時に更新!

夕暮れどきを彩る漆黒の光・”オールナイト”読書日記が、本日も始まる。

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7月▽日

 夏が来てしまった。もう外に出たくない。夏が嫌いだというと作品の印象は夏ですね、と言われることがあるのだが、ともあれ夏が本当に嫌いだ。このカンカン照りでも私は絶対に洗濯乾燥機を回している。外に服を干してなるものか。太陽に頼るな、科学に頼れという気持ちで回るドラムを見つめている。乾燥機が家電の中で一番好きだ。乾燥機を回し終えた後に、フィルターを掃除してやるのも嫌いじゃない。頑張ったな、という気持ちだ。


 たまに洗濯機を回しながら、その前で本を読む。洗濯機が残り十七分だと言っていると、その十七分の間だけ、洗濯機から洗濯物を回収するのを忘れないように見張りをするのだ。


 そんな洗濯機事情を考えながら、チョン・セランの「声をあげます」を読む。


 フラッシュアイディアをそのまま短篇にしたような、軽やかな想像力の短篇集だった。表題作の「声をあげます」は、自分の声を一定時間以上聞いた人間が殺人犯になってしまうという嫌な特殊能力を持った男が、そういった特殊能力者を集めた施設に隔離される物語。このあらすじを読んだ時はてっきりこの声を軸に起きるサスペンスだと思ったのだが、物語は極めて意外な方向に転がっていく。


 この物語は現代のお伽噺であり、実際にとある童話がしっかりと下敷きにされている。その重ね合わせ方が斬新で、心が震わされた。この短篇はこれで綺麗に落ちてはいるのだが、施設に収容された人々は外に出せないほど危険でありながら魅力的で、この設定の物語がもっと読みたいと思わせる。


 かつ、この状況下で読んで面白かったのは「メダリストのゾンビ時代」。これはそのまま、世界にゾンビが跋扈するようになってしまった世界を生きるアーチェリーメダリストの物語。どう考えても世界は終わってしまっていて、メダリストとしての野心はもう意味を為さない。その中で、主人公のジョンユンは未だに次のオリンピックとメダルを求める。これはただの思考停止ではなく、ジョンユンが明日を生きる術なのであることが物語が進むにつれ分かってくる。精神の旅の物語だ。


 そうして『メダル』についての結論が出た時に、これは今の状況にも通じてしまうな、と思ってしまった。この読書体験は今しか得られないだろう。


 ゾンビも外にいないのに、私は部屋で乾燥機を回す。この部屋で世界を完結させる私は、ゾンビ禍の世界でも成果物を生み出しやすい。けれど、私にとってのメダルとは何だろう。



7月/日

 光文社から「新世代ミステリ作家探訪」の見本を頂いた。この本は昨年夏にLiveWireにて書評家の若林踏さんと行った対談が収録されている。同じ本に名前を連ねている作家はデビュー前から愛読していたり、同期作家として強く意識している方ばかりなので、表紙を見ているだけで感慨深い気持ちになる。この本の内容を語ることは、そのまま私が影響を受けて止まない先輩・同輩作家について論じることになるので置いておく。(けれど、この本は本当に作家志望の人が読んだらとても参考になることばかりが書いてある、垂涎の書なのだ)


 そんな折に、ポール・アルテの「殺人七不思議」を読み終えた。早川書房で「キドリントンの娘」が復刊される時のフェアで、私はアルテの「第四の扉」(どんでん返しがこれでもかと詰め込まれ、自分は転生したフーディーニだと言ってくる男や不可能密室が出てくる本格ミステリ)の推薦をした。(奇しくも一緒に他の図書の推薦をしたのは、全員「新世代ミステリ探訪」で取り上げられた作家ばかりだ)


 アルテの本は「第四の扉」しか読んでいなかったのだが、推薦文を書いた時から「アルテの最高傑作が邦訳されるんですよ」と方々の人に勧めてもらった。それがこの「殺人七不思議」である。それはもう読むしかないだろう。


 内容は世界の七不思議に誂えた七つの不可能犯罪が起こり、オーウェン・バーンズがそれに挑むというシンプルなもの。だが、この不可能犯罪のレベルが尋常ではない。


 『誰もいない灯台の近くで男が急に発火し、なおかつ火だるまの男は目の前に海があるのにもかかわらずそこに飛び込まなかった。一体何故?』や『一人の男が渇え死にをしたが、彼の目の前にはなみなみと水の入った水差しが置かれていた。彼は何故死ぬまで水を飲まなかったのか?』という、誰がどう見ても不可能犯罪だ! と手を叩くようなものばかりなのだ。こんなにハードルを上げて大丈夫なのか? と思ってしまうが、アルテは全く躊躇わない。この勢いの良さは「第四の扉」の時と同じなので、何だか「これだよこれ~!」と思ってしまう。


 前評判通り、あの面白い「第四の扉」よりも更に面白かった。(正直、え……ええっ……!? と思った瞬間もあるはあるのだが、アルテの勢いが凄すぎて「何だそれ」と言いづらいのだ)アルテの本で一冊勧めるなら、絶対にこれからにする。ここから「第四の扉」に行く頃にはアルテに嵌まり込んでいることだろう。


 私は次にようやく「金時計」を読むつもりだ。



7月〇日

 眠い時期に入ってきてしまい、一日十二から十三時間くらい眠るようになっている。私は睡眠時間が森の動物なので、眠くなったら眠るし眠くないならいつまでも起きているような生活をしている。この仕事をしていて良かったと思う瞬間である。目が醒めたらお昼だったが、昨日の夜は月が高いところにあるうちに眠った。私はこんなことでめげたりしないぞ。


 お米を炊きながら文藝2021秋号怨特集を読む。文藝でホラー特集が組まれるのは初めて、とのことで文芸誌はどんどん面白いことをするなと思う。特集もさることながら、遠野遥「教育」を楽しみにしていた。


 物語の舞台は近未来ディストピアSFのような学園世界である。この学園では一日に三回オーガズムに達することが健康で正しいこととされ、先輩に渡されたセックスの台本を真面目に覚える学生達が生きている。不純さを徹底的に排除してシステマチックに構成される性世界は、明らかに歪だ。わざわざ作中の登場人物が、この学校の有り様を批判する『外の人々』に対して「まともな教育を受けてこなかったんでしょうね」と言い放つ。ストレート過ぎるメッセージのぶつけ方だ。


 私が最初に連想したのは星新一の「テレビ・ショー」だ。その世界では政府がポルノショーをテレビで観せることによって、子供達に正しい性的興奮を教えようとする物語だった。正しい性というものが規定される物語としてこの二つは似通っており、真面目に描写すれば描写するほど喜劇的で面白く、ぞっとさせられる。学校の作成するポルノ・ビデオの、これは果たして興奮するものなのか? という絶妙な塩梅も含めて、全てが過剰なまでに教育のカリカチュアライズだ。よく分からない校則あるよね、よく分かんない教育理論あるよね、の延長線上に全てがある。


 こうして思うと、人間の営みの殆どは教育しようとした時点でちょっと面白くなってしまうのではないかと思う。正しさがするっと指先から抜けて、よく分からない輪郭だけが理不尽な仕組みとして定着してしまうのだ。私の母校は校則を作らないということに重きを置いた学校だったので、全てが日々なんとなくいいと悪いで分けられていて、先生が難色を示すところも完璧に別だった。それがよかったのか悪かったのかは判断がつかないが、社会が崩壊しないのと同じように、私の母校も崩壊しなかった。


 学生を脱した今は、過眠と短眠を繰り返す私の生活の是非が遅刻という観点で裁かれることはない。とはいえ、あまり眠っていると仕事が進まない。でも、眠いと全然小説が書けないのである。悩ましい。



7月■日

 機会があったので「ブラック・ウィドウ」を観に行く。仕事が詰まり過ぎていたので、息抜きの一環として行った。MCUの様々なキャラクターを全員立たせる作劇の強さが好きだ。主人公の名前をバーンと映画のタイトルに付けられるところに、その強さが表れている。物語上の時間軸としてはシリーズの過去作で「この時何をやっていたのかな?」を追う形になっているのだが、王道のスピンオフで面白く「ああ……こういう経緯があったからナターシャはこういう決断を下したんだな」という後からの納得がやってくる物語だった。キャラクターに一貫性があると、こういうことも出来るのだ。


 テーマとしても家族の物語と過去の決着でとても見やすく、アクションが凄い。王道の展開だけれどしっかり泣ける話だった。映画を観ると小説が書ける気分になるから凄い。


 これと同時期にちょうど小説執筆欲を高めるものを手に入れた。村上春樹・柴田元幸「本当の翻訳の話をしよう」である。単行本版から七本の対話が追加収録されている増補決定版だ。柴田元幸訳作品に耽溺しているので、こうして翻訳の世界をたっぷり覗けるこの一冊は嬉しい。


 『翻訳小説が好き、特にその文体が好き』というと、元の文章が好きなのか翻訳者の文章が好きなのかと尋ねられることがある。この質問に関しては、私も上手く答えられなかった。最近は柴田元幸作品を浚っているけれど、それは柴田先生の文章が好きで――柴田先生が訳そうと思う作品の雰囲気が好きだからで、と考えると、好きな作家二人が合わさっているのが好きなのかもしれない。


 そんなことを、カポーティ「無頭の鷹」のある一場面をを村上春樹・柴田元幸両氏がそれぞれ翻訳しているパートを読んで思う。同じ原文にあたっているのにもかかわらず、これだけの違いがあるのだから、やはり自分の好きな作家と好きな原文の組み合わせが好きで、物語や言葉に対する嗅覚が好き……ということなのかもしれない。


 この本には日本の翻訳史についても書いてあって、かつての翻訳者達が英語のセミコロンにあたる点と丸の間の記号「白抜きの読点」を導入しようとしていた話など、面白い話が載っている。セミコロンの代わりにダッシュ(――)を使いがちな小説家なので、白抜き読点が普及していたらかなり多用していた気がする。間を演出する方法が、日本の小説には足りない気もする。よくこういった表現の時に話題になる「虎よ、虎よ!」や「ハーモニー」の冒頭など、SFでは表現の拡張が沢山見られて楽しい。一方で純文学も最近だとミステリの手法などを存分に使って新たな心情表現を行っているような気もして、楽しい。


 こういうものを読むと小説を書きたくなる。


 また、両氏の好きな小説がたっぷり載っているので、ブックガイドとしても優秀である。翻訳小説が好きだと言いながら、この本に書名の上がっている本の半分も読み終えていないので、途方の無さを感じる。

 この読書日記が書籍化する時は、←ここの句読点が白抜き読点になっていることでしょう。


「この読書日記が書籍化する時は、」←に圧を感じます。


次回の更新は8月16日(月)17時です。

Written by 斜線堂有紀 

小説家。2016年、第23回電撃小説大賞にて“メディアワークス文庫賞”を受賞。受賞作『キネマ探偵カレイドミステリー』でデビュー。著作に『詐欺師は天使の顔をして』(講談社)、『恋に至る病』(メディアワークス文庫)、『ゴールデンタイムの消費期限』(祥伝社)などがある。2021年、『楽園とは探偵の不在なり』(早川書房)が本格ミステリ大賞にノミネートされ、注目を集める気鋭の書き手。

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