第7話 長年の謎だった「女性新入社員と男性上司(既婚者)の不倫」が始まる理由

文字数 3,676文字



今まで自分は不倫をしないと思っていた。
好きになった男に恋人がいたことはあれど、好きになった男に妻や子供がいたことはなかった。
こんなふうに書くと、もはやわたしが既婚者とセックスを済ませてしまったかのように見えるね。
違います。寝てないし、これからも寝ない。キスはおろか、身体的接触も一切していない。結婚式も挙げられないのに、300万取られるような恋愛はしない。貯金もないし。
友人からは、貯金があればすんのかよと突っ込まれて言葉に詰まりはしたけど、多分しない。

ただ、今回、下手したら自分も不倫というコスパ悪すぎ沼に足を突っ込んでしまうかもしれないと戦慄したので、兜の緒を締めるために、記録として残そうと思う。
これまで長年の謎だった「女性新入社員と男性上司(既婚者)の不倫」が始まってしまう理由がこのたびわかった。
今のわたしの状態に近い新卒女子たちに警告しておきたい。
不倫しそうになるときは疲れているときで、その人のことがしぬほど好きなわけではない。時間も金も有限なのだ、妻子持ちの上司にどきっとしてる場合じゃない。

春から社会人として働き始めて早半年、これまでの万能感溢れる自分は終わってしまった。
23年という長い期間をかけ、整形失敗を経て自分の顔面を認められるようになり、こうして文章を書く機会を頂けるようになったり、男に頼らず孤独な夜を越えられるようになってきて、わたしは自分を肯定できるようになってきていた。

それなのに本格的に仕事が始まってから、自分に対する「サイコーの生命体」という評価がガラガラと崩れ去ってしまった。それはもう見事に。
営業という職種上、数字に追われるようになってしまい、目標を達成できない自分を、最高だよ! 愛しているよ! と思いにくくなってしまったことが悲しい。
わたしだけはわたしが仕事ができてもできなくても、頑張ってるしサイコーじゃん逞しすぎるよえらいよ、と褒め続け肯定し続けていたかったのに、それが難しくなってしまった。

8月中旬あたりから、どこにも還元できていない気がする自分の仕事に嫌気がさすようになってきて、そこからあっという間に屍と化した。出社することが苦しく、そんなやわな自分もふがいなく、トイレでぐすぐす泣いたりするようになった。ださすぎる。
先輩にこうしたらもっとよくなるね、と当たり前のことを当たり前に言ってもらっただけで、そんな当然のことにも思い至れない自分が情けなくて、悲しくもないのにだらだら涙が流れてしまうようになって、さすがにまずいなと思った。
先輩も驚いてたし、なんなら引いてたと思う。メールの書き方もっとこうした方がいいと思うよ、というアドバイスをしただけで目の前で後輩がマスクを濡らしだすのとか、逆に先輩が可哀想だ。

これまでの自分甘やかし癖とバイト転々癖からして、わたしは自分が鬱になることはない、いつだって自分を救うために逃げることができる、と本気で思っているけど、この涙はさすがにほっとけなかった。だって大学生の頃より圧倒的ハイペースで泣いているのだ、怖い。
どうしたらいいかわからなくなって、件の上司に「どうすればいいかわかんないです」と泣きついた。

ここで上司について補足させていただく。
上司は30歳男性、妻子持ち。お子さんはふたりいて、社内でも公認の溺愛っぷり。PCのデスクトップも子どもの写真だ。
基本的に他人に興味がなく気分のムラが激しい。濃い隈があり、やたらと目力がある。その歳にして早くもビール腹で、強めのパーマがださい。
松山ケンイチが一番好きなわたしにとって、一切魅力は感じない佇まいだ。背も低いし、たまに着てるベストもださい。あとやっぱりビール腹が目立つ。

ただ、配属が決まって面談が設けられたとき、入社1年目の上司がこの人でよかったと心の底から思った。
彼はわたしが将来的にしたいことについて、適当に同調するでもなく笑って流すわけでもなく、大真面目に「それは政治家にならないと難しいと思う」と言った。
思ってもないことをその場しのぎで言ったりしないところ、部下に対して適当な言葉を使わず、なるべく誠実に会話しようとしてくれるところ。いい上司だと思った。

部下を育成することが業務上の重要事項である彼にとって、屍と化してから体調不良でテレワークをしがちなわたしはやべえ存在だったと思う。順調に「退職」に駒を進めている部下。
実際他のオフィスでも、営業という仕事に心を折られたであろう新卒がぽつぽつ辞めていた。自分の課からリタイア組を出したらどうなることか。飄々としている人だけど、内心焦っていたかもしれない。全部わたしの想像ですが。

会議室に移動してからの彼のアドバイスや言葉は一般的でありきたりなもので、他の誰でも言えそうなことだった。
同期と話すのが楽しいとか仕事のあとの酒がうまいとか、インセンティブで旅行行くとかが頑張る理由でいいやん、とか。
俺たちも今すぐ売りまくるようになるなんて思ってないし、そんなん気にしなくていいから、とか。もう頑張ってんの知ってるから、とか。

目新しい言葉はさして出てこなかった。後輩や部下に自分のしんどかった時期の話をする、というのもいい上司としてよく見られる手法だった。
ただ、んなことわかっとるわボケそれでもしんどいから困っとんねんこっちは! という気持ちにならなかったのは、わたしが彼の部下に対する姿勢を好ましく思っていて、上司として信用しているからだろう。
カウンセリングさながらに、無神経なことを言わないようにと言葉をしっかり選んでくれているところもありがたかった。

一通りぐすぐす泣く時間が終わり、雑談するなかで、不意に結婚したいんと聞かれた。
好きな人と健やかな家庭を形成したいと即答したわたしに、上司は噴き出していた。
ここら辺からもうあまり覚えていないけれど(わりと動揺したので)、確か不倫の話になった。
家庭の運用と夫婦が異性であり続けることは難しいと上司が話し、そうなると恋愛を外注しようと思うのかとわたしが尋ねたからだったと思う。

「たとえば俺が○○(わたしの名字)と不倫したとして、上司として終わるし、仕事もどうすんのって話やし、家族も失うし、メリットなさすぎやん」
ものすごく失礼な例えに使われたことに対して、不愉快になったり怒ったりしてもよかったはずなのに、というか普段のわたしなら好きな男以外にそんなきもくて失礼な例えを言われたらこっちから願い下げですぐらいは言うのに、失礼でしょメリットありまくりですよと憤慨してしまった。わけのわからない怒り方をしてしまった。
言葉をできる限り正確に使おうとする人間に対して好意を抱くわたしにとって、「お前と不倫なんて絶対ないわ」などという漠然とした言葉ではなく、損得という確固たる物差しで律儀に話す上司はめちゃくちゃに好ましく見えたのである。愚か。

極めつけに、上司はけらけら笑って、「○○(わたしの名字)と話すん楽しいな」と言った。
ここ。ここです。わたしはここできゅんとしてしまった。我ながらちょろすぎて心配になる。異性として(外見が)全く好みじゃない人間に少し励ましてもらえたり、そのわずかな時間が楽しかっただけでそう思ってしまうのは、よっぽど弱っている証拠だ。いくらその人の言葉の使い方や話し方が自分好みとはいえ。

会議室を出てオフィスに戻りながら、安易に男に精神を救ってもらおうとする自分の弱さにげんなりした。
若くて未来ある女が既婚で子持ちの男と恋愛するのなんてどう考えてもフェアじゃない。搾取にも近しい。そう思っていたけれど、案外自然な現象なのかもしれない。縋りつきたくなる身近な男、既婚者上司。
社会人として働くことが想像以上に大変で、かつ自分が築き上げてきたものが見事に崩れ去り、自信が皆無になっていた時期だからこそ、今回のオフィスの乱は起こったのだろう。
個人プレーが主な営業職に就いてよかったと心から思える。上司と頻繫にやりとりする必要性がない仕事、最高。ありがとう営業。しんでもオフィス事変は起こしたくない。

もうこれまでのサイコーの自分とお別れして、思ってたより仕事ができなくてださい自分を受け入れていこうと思う、上司に慰められて安易にときめいて、最後に泣きながら300万を払わないで済むように。
結局、仕事での自己肯定感は仕事でしか得られないのだ。
これまでの万能感は失っても未来の挙式代は失わずにいれるよう、兜の緒も財布の紐も締めて逞しく生きていこうね、新卒女子たち。

★次回は11月21日(土)に公開予定です!

こみやまよも
 春から営業として働くこじらせ女子。
  好きな人は、いくえみ綾とoyumi。
  就活でことごとく出版社に落ちたのを根に持っている。

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