〈8月3日〉 神津凛子

文字数 1,466文字

さんそ


 どこへ()ってもマスク。だれも(かれ)もマスク。マスコットだってマスク。()(わた)(かぎ)りマスク。
 わたしが「普通(ふつう)」になれる世界(せかい)

 みんな、(くる)しくて(はず)したいって()う。わたしとは(せい)反対(はんたい)。マスクを(はず)したら、わたしは(くる)しくてならない。それはまるで、わたしにとっての酸素(さんそ)マスク。
 そう、世界(せかい)(いき)(ぐる)しいのだ。

(くち)のとこ、キモいんだけど」
 無理(むり)(わら)ったのがいけなかった。だれからも()かれたくて、いつも(くちびる)(はし)()げていた。(つく)笑顔(えがお)はやっぱり無理(むり)があって、(くちびる)(よこ)がけいれんするようになった。(かく)すためにマスクをつけた。無理矢理(むりやり)(わら)必要(ひつよう)がなくなって自由(じゆう)(いき)ができるようになった。でも、いつでもマスク姿(すがた)のわたしは不気味(ぶきみ)がられて、学校(がっこう)での居場所(いばしょ)(うしな)った。
 春先(はるさき)(ふゆ)以外(いがい)のマスクは不審者(ふしんしゃ)みたいな()()られたのに、(いま)では(ぎゃく)になっている。この(さき)、ずっとマスクをつけるのが普通(ふつう)になるかもしれない。そうしたら、わたしはどこへでも()けて、なんでもできるようになるかもしれない。(いま)()まった場所(ばしょ)にしか()かれないけど。

 え。なんで。
 このお(みせ)学校(がっこう)から(はな)れてるし、(いま)まで()ってる(ひと)()うことなんてなかったのに。やだ、こっちに()る。
()いよ、学校(がっこう)
 え? なに? わたしに(はな)しかけてる?
()ってるから」
 マスクのせいで、(かれ)がどんな(かお)でそのセリフを()ったのかよくわからない。ああ、そうか。マスクをつけて(はな)されると、こんな(かん)じなんだ。そうか、そうだったんだ。
 
 足早(あしばや)(みせ)()る。ガラス()しに(かれ)()()う。
 わたしはわたしの酸素(さんそ)マスクを(はず)す。
「あ・り・が・と・う」
 マスクをしていても、(かれ)(わら)ったのがわかった。

 世界(せかい)(おも)ったほど息苦(いきぐる)しくない。


神津凛子(かみづ・りんこ)
1979(ねん)長野(ながの)(けん)()まれ。歯科(しか)衛生(えいせい)専門(せんもん)学校(がっこう)卒業(そつぎょう)。『スイート・マイホーム』で(だい)13(かい)小説(しょうせつ)現代(げんだい)長編(ちょうへん)新人(しんじん)(しょう)受賞(じゅしょう)し、2019(ねん)、デビュー。最新作(さいしんさく)は『ママ』。長野(ながの)(けん)在住(ざいじゅう)

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