『いつの空にも星が出ていた』アルパカブックレビュー

文字数 2,663文字

心に「推し」を持つすべての人に捧げる、佐藤多佳子さんの『いつの空にも星が出ていた』大洋ホエールズからDeNAベイスターズへ、時を超えてつながるファンの熱い想いが描かれる感動の物語です。

野球が大好きなアルパカさんことブックジャーナリストの内田剛さんが、この心が熱くなる物語をレビューしてくださいました!

さまざまな垣根を超えて味わえる極上の人間ドラマ/内田剛


なんと清々しく人間的な魅力にあふれた物語なのだろう。人は誰にでも等しく時間が与えられている。その時間に彩りを与える原動力となるのは、最優先で贔屓したい「推し」の存在なのではないだろうか。言葉にはならないファン心理、理屈では説明のできない強い愛。それが見知らぬ人と人とを結びつけ、新たな絆を作りだし、日常生活に支障を与えるばかりか、時には人生を変えることだってあるのだ。


この物語のメインとなるのは横浜を本拠地とするプロ野球球団である。土地と時代の空気を存分に漂わせているが、横浜に所縁があったり、野球に詳しかったりする必要はない。心に「推し」のある愛すべき登場人物たちの魅力が、最大の読みどころだからだ。まずは本書を構成する4つのストーリーの展開の妙と、人間関係やスタジアムの描写の見事さに注目してもらいたい。


冒頭の「レフトスタンド」は1980年代の神宮球場が舞台だ。たった10ページ足らずの掌編なのだが、生徒と教師の不器用な触れあいがジワッと心に沁みわたる、なんとも魅力的なストーリーである。優勝を逃した球団同士による消化試合。寡黙な部活の顧問に連れられて、観客もまばらなスタジアムに初めて観戦に来た高校生の衝撃が生々しい。試合はともかく「風通しが良くて、カレーがうまくて、人が少なくて、その少しの人々がえらく楽しそうなこの場所」を一目で気に入ってしまうのだ。カクテル光線の眩い光と球場周囲の深い闇、その鮮やかな明暗のコントラストもまた印象的である。


2編目の「パレード」は高校生の恋愛模様を描いた物語。情熱的な青春の息吹がダイレクトに押し寄せてくる。これは『一瞬の風になれ』で本屋大賞を受賞した著者の真骨頂であろう。舞台は1990年代の横浜スタジアムへと移る。10年ぶりに訪れた休日のデーゲーム。盛り上がる試合経過に絶叫する観客たち。「両腕を突き上げて叫んだ時、気持ちがサイダーの泡のようにしゅんしゅんはじけて、広い空やスタジアムの青いフェンスに吸い込まれていった」こうした臨場感たっぷりの表現で思わず鳥肌がたってしまう。「その瞬間、ファンになった」という素直な気持ちにも共感。この一体感は尋常ではない。


「緑の人工芝、海の色のフェンス、オレンジの椅子、打球の描く白いきれいな線、震えるように響き渡る電子オルガンの音、ウグイス嬢の高い声のアナウンス、選手の名前のコール、手が痛くなる拍手。香ばしい初夏の風、まぶしい日光。キラキラ。」恋人同士で見る横浜スタジアムの美しさ、五感のすべてを刺激する場景描写がたまらない。読めば誰もがこの場所にずっといたくなるはずだ。優勝に向かうチームには好不調の浮き沈みがあり、一筋縄ではいかない若者の恋路の行方からもまったく目が離せない。ハラハラドキドキの連続で、ゲームセットのその瞬間まで何が起きるか分からないのは野球も人生も同じである。もどかしい二人の姿に思わず「頑張れ」と声をかけてしまいたくなる。しかし、どんなに思い悩んだとしても、自分の居場所のある者は強い。誰かを好きになることは、自分らしく生きるための人間の本能であると同時に、優れた才能でもあるのだ。


続く「ストラックアウト」と「ダブルヘッダー」もそれぞれ長編小説としても読めそうな充実ぶりだ。心にぽっかりと開いてしまった隙間を埋め合わせるような人間模様に、天国と地獄を交互に味わう横浜ベイスターズの試合ぶりも重なって実に読みどころが多い。昔馴染みの絆も、初めて出会う縁も同じチームを、そして選手を応援することで容易に深めあうことができるのである。


本書は30~40年という時代を駆け抜ける。声を涸らして応援してきた選手たちも引退、戦力外通告、FA移籍などで毎年いなくなる。チーム名も大洋ホエールズから横浜ベイスターズ、そして横浜DeNAベイスターズへと球団売却によって変化する。本拠地だって横浜の前は川崎だった。選手やファンたちと同様に球団だって生きもので、聖地も時代によって変わる。しかしどんなに変化を遂げようが「いつの空にも星が出ていた」ことは間違いない。この一冊は空を見上げ、来るべき明日を夢見ることの尊さを教えてくれるのだ。


偶然と必然が織りなす奇跡はスポーツにも人生にも起こせる。無我夢中で誰かに声援を送れることは、自分自身を肯定することにもつながるのだ。全編から高らかに聞こえてくるのは素晴らしき人生賛歌。さまざまな垣根を超えて味わえる極上の人間ドラマがここにある。


佐藤 多佳子(サトウ タカコ)

1962年東京都生まれ。1989年「サマータイム」で月間MOE童話大賞を受賞しデビュー。『イグアナくんのおじゃまな毎日』で’98年、産経児童出版文化賞、日本児童文学者協会賞、’99年に路傍の石文学賞、2007年に『一瞬の風になれ』で本屋大賞と吉川英治文学新人賞、2011年『聖夜』で小学館児童出版文化賞、2017年『明るい夜に出かけて』で山本周五郎賞をそれぞれ受賞。他の著作に『しゃべれども しゃべれども』『黄色い目の魚』『夏から夏へ』「シロガラス」シリーズなどがある。

内田 剛(うちだ・たけし)

ブックジャーナリスト。本屋大賞実行員会理事。約30年の書店勤務を経て、2020年よりフリーとなり文芸書を中心に各方面で読書普及活動を行なっている。これまでに書いたPOPは5000枚以上。全国学校図書館POPコンテストのアドバイザーとして学校や図書館でのワークショップも開催。著書に『POP王の本!』あり。

うれしい日も、つらい日も、この声援と生きていく――。

本屋大賞受賞作家、40年の想いの結晶。

大洋ホエールズからDeNAベイスターズへ。
時を超えてつながる横浜ファンの熱い人生が胸を打つ感動作。


さえない高校教師。未来を探して揺らぐ十代のカップル。奇妙な同居生活を送る正反対の性格の青年たち。コックの父と少年野球に燃える息子。彼らをつなぐのは、ベイスターズを愛する熱烈な思いだった! 本屋大賞受賞作家が、横浜ファンたちの様々な人生を描き、何かに夢中になる全ての人に贈る感動の小説集。

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