『ゴールデンタイムの消費期限』斜線堂有紀/ぼくたちの特別(岩倉文也)

文字数 2,455文字

次に読む本を教えてくれる書評連載『読書標識』。

月曜更新担当は作家の岩倉文也さんです。

今回は斜線堂有紀『ゴールデンタイムの消費期限』をご紹介していただきました!

書き手:岩倉文也

詩人。1998年福島生まれ。2017年、毎日歌壇賞の最優秀作品に選出。2018年「ユリイカの新人」受賞。また、同年『詩と思想』読者投稿欄最優秀作品にも選出される。代表作に『傾いた夜空の下で』(青土社)、『あの夏ぼくは天使を見た』(KADOKAWA)等。

Twitter:@fumiya_iwakura

天才という言葉からぼくが真っ先に思い浮かべるのはある「報われなさ」の感覚である。極端な例を言えば、われわれがモーツァルトの音楽をいかに愛し賞賛したとしても、生前のモーツァルトの貧困が僅かにでも癒されることはないし、当然死んでしまった彼に賞賛の声が届くこともない。このような一方的に天才の才能を享受するばかりで、なにひとつ──本当になにひとつ──本人に返礼することができないという戦慄的な自覚こそが「天才」という観念を成り立たせる根拠のひとつとなっているのではないだろうか。われわれは天才が本質的に報われない存在であることに薄々感づいているからこそ、ますます激しい口吻で天才を賞賛し、その業績を讃えんと努めるのである。


繰り返すが、これはあくまで極端な例である。しかし、「天才」と言えば以上のような断崖を思い浮かべてしまうぼくにとり、『ゴールデンタイムの消費期限』に描かれた小説家の綴喜(つづき)をはじめとする元・天才たちは、あまりに自身の評価を外部に委ねすぎではないかと最初思わずにはいられなかった。


本作では、山中の施設に集められた各分野の元・天才たちが、無くなった才能を蘇らせるために人工知能「レミントン」とのセッションを十一日間に渡り行うこととなる。しかしそのセッションと言うのが、レミントンの提示した最適解(小説であれば完璧なプロット、絵であれば完璧な構図)を用いて被験者が創作を行うというものであった。


レミントンによる教育を元に作られた作品は、どれも例外なく素晴らしい。よって、ともすれば作り手の個性といったものが根底から崩されかねないこのプロジェクトに反発を抱いていた者も、やがてはそれを一応は受け入れ、プロジェクトに身を投じることになる。


ただし、レミントンが提示する最適解も、いわゆる「最大多数に評価される」という意味での最適解でしかなく、芸術としての達成を必ずしも意味しないという点は留意しておくべきだろう。


ぼくはこうした「そもそも才能とは世間からの評価を意味するのか? レミントンの手を借りた創作が芸術の名に値するのか?」という疑問に引っ張られながら本書を読み進めてしまったせいで、肝心な部分を読み落としてしまっていた。


ぼくはどうして、こうまで「才能」の内実に執着してしまっていたのだろう。ぼくは登場人物のほとんどがいまだ十八前後の少年少女たちであったことにすら、あまり注目せずにいたのである。


あくまでも本作が扱っていたのはアイデンティティー、それも「天才」という名声を自らの根拠としていたが、様々なきっかけからそれを失ってしまった若者たちの、死に物狂いの葛藤だったのである。そう理解すると、最初ぼくが感じていた彼らへの違和感の謎も解けてくる。彼らはみな、自分が何者かという判断を、あまりに早く、しかも外部から無理やりに押し付けられてしまった者たちなのである。しかも自らの才能によって、である。


そんな彼らは、だから、才能を失うと同時に、自らの定義さえ見失ってしまった。彼らは己の内に芸術の理想像を明確に抱き、外部からなにを言われようと構わず創作を続けられるほどには強くなかったし、成熟してもいなかった。


レミントンはそうした彼らに対し、無言で問い続ける。「お前はなにを求め、なんのために創作を続けるのか。完璧な正解を前にしてまで、お前が創作を続けたいと願う理由とはなんなのか」と。幼いころから天才であり、そうあるしかなかった彼らにとって、この問いは過酷であり、また自らの存在を問い直す転機でもあった。


ああ、ぼくはもう十七、八の少年ではなかったのだな、と本作を読み終えたあとぼくは絶望的に感じざるを得なかった。恐らく、ぼくが本書の語らんとする所をずっと掴みかねていた要因もそこにあるのだ。


いつの間にかぼくには、アイデンティティーにまつわる動揺がほとんどなくなっていた。かつてはあんなに自意識に悩み、自己を疑い、己が何者であるか執拗に自問していたと言うのに、本書を読むまですっかりそんなことなど忘れてしまっていたのだ。だからぼくは、綴喜たちが一体なぜこれほどまで苦しんでいるのか、なかなか理解できなかった。


そうした自覚と共に、改めて、若き天才たちの苦悩と成長をAIを用いた外連味あふれる設定の元に描き切った作者の力量に瞠目した。ここには絶えず揺れ動き、周囲や自己と葛藤しながら自らの根拠を追い求める普遍的な若者たちの姿が、瑞々しく刻印されている。


青春とは、決して明るいだけのものではない。むしろそれは、日蝕時の不気味さに似ている。太陽は月に隠され、その外周から洩れる僅かな光のみが、異様な輝きを放つのである。

どうか、僕たちが特別であった日々を覚えていて欲しい。

それと同じ熱で、特別でなくなった僕たちのことも見ていてほしい。

身勝手な願いを黄金色の星に懸けた。

特別であろうと、なかろうと、人は生きていかねばならない。そしてただ生きていくということだけが、人の「特別」を形作ってゆく。本作が究極的に語るのは、そんな素朴でいて切実な、人生の一断面なのかもしれない。

『ゴールデンタイムの消費期限』斜線堂有紀(祥伝社)
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