西村健『激震』発売記念エッセイ②「新米記者時代」

文字数 1,612文字

戦後五十年の節目であった一九九五年は、一月に阪神淡路大震災、三月に地下鉄サリン事件が起きた異様な年でした。八〇年代末にバブル経済が崩壊しながらも雑誌の売上げは好調であったこの時期に、ヴィジュアル月刊誌のフリー記者として真実を求めて奔走し時代と向き合った主人公と同様の経験を持つ著者が、年末にはWindows95が販売されてネット時代に突入するという怒濤の一年をリアルに描き切ります。現代に至る日本の有り様を考える上でこの年がいかに重要だったかが実感される力作長編、発売中です。
書き手:西村健

1965年福岡県生まれ。東京大学工学部卒業。労働省(現・厚生労働省)に入省後、フリーライターになる。1996年に『ビンゴ』で作家デビュー。その後、ノンフィクションやエンタテインメント小説を次々と発表し、2021年で作家生活25周年を迎える。2005年『劫火』、2010年『残火』で日本冒険小説協会大賞を受賞。2011年、地元の炭鉱の町大牟田を舞台にした『地の底のヤマ』で(第30回)日本冒険小説協会大賞、(翌年、同作で第33回)吉川英治文学新人賞、(2014年)『ヤマの疾風』で(第16回)大藪春彦賞を受賞する。著書に『光陰の刃』、『バスを待つ男』、『目撃』、「博多探偵ゆげ福」シリーズなど。

新米記者時代


労働省(現・厚生労働省)を中途退職し、雑誌編集部に飛び込んだ。言うまでもなく、全く異質の世界である。右も左も分かるわけがない。周りにはさぞ、ご苦労とご迷惑を掛けたことだろうと陳謝するばかりである。


ただし小さなミスなら無数にあるが、幸い大きなポカは仕出かした記憶がない。そこでここでは雑誌記者としての初仕事、張り込みの思い出について書かせていただく。


当時、若ノ花(後の横綱・若乃花)、貴ノ花(同じく貴乃花)兄弟が土俵で活躍し(いわゆる「若貴ブーム」)、史上初の外国人横綱・曙も誕生して相撲人気の真っ盛りだった。私の飛び込んだ『VIEWS(後に月刊誌化してViews)』編集部においても、相撲特集を組もうという話になった。


ところが若貴には独自のルートを有していたが、曙の所属する東関(元の関脇・高見山)部屋にはパイプがない。そこで夜討ち朝駆けで部屋に通い、取材のオーケーを取って来い、と新米に指示が降りて来たわけだ。


相撲部屋は朝が早い。東関部屋の最寄りは都営地下鉄の本所吾妻橋駅。我が家から始発の京王線に乗って通った。


行ったからと言って、中に入れてくれるわけでもない。スポーツ記者など馴染みの人間はさっさと入って行くのに、私は外に立ち尽くすだけ。何かの用事で親方が出て来たら駆け寄り、名刺を渡して「こういう者です、どうか取材を」と頼むのだ。とにかく何度も通って顔を覚えてもらい、「そんなに熱心なら」と受け入れてもらうのを待つ作戦だった。


ある日の朝、行ってみたら部屋は静かだった。日曜日だったのだ。こういう生活をしていたら自然、曜日感覚は失せてしまう。


だがせっかく来たのだ。自宅を訪ねて名刺くらい置いて行こうと思った。


チャイムを押したら、出て来たのは親方本人だった。対応するのは女将さんだろうと思っていたから、まず虚を衝かれた。


改めて「これこれこういう趣旨です」と取材のお願いをする私を、親方は上り框の上でふんふん頷きながら見ていた。デカい。とにかくデカい!説明しながら私は、あの巨体がこちらに倒れて来たら下敷きになって即死だなぁ、などと考えていた。


熱心さを受け入れてくれたのか。この場でオーケーがもらえた。初仕事、成功! 浮き立つような気持ちは、今でも忘れられない。


今回の『激震』でも主人公が取材先に通い詰めるシーンが出て来る。あの時の体験がどこかに、滲み出ていれば幸いである。

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