六月△日

文字数 3,969文字

1日1冊、3年で1,000冊の本を読み、月産25万字を執筆し続ける小説家・斜線堂有紀。


謎めいた日常はどのようなものなのか――

その一端が今ここに明かされる。


毎月第一・第三月曜日、夕方17時に更新!

夕暮れどきを彩る漆黒の光・”オールナイト”読書日記が、本日も始まる。

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六月△日

 梅雨の季節になった。気圧の所為なのか何なのかわからないが、あまり体調がよろしくないのでFitbitを導入する。睡眠時間や運動量が計測出来る話題のトラッカーである。最近寝ても寝ても眠いなあと感じることが多かったので、いよいよ事の真相を確かめてみることにしたのだ。そして、結果を見て驚いた。深い睡眠が明らかに少ない……!


 この深い睡眠というのはノンレム睡眠のことである。子供の頃からノンレム睡眠で脳を休めるんですよ~という話を聞いていたので、その明らかに重要な部分が少ないのは……と焦った。ヤクルト1000も飲んでいるというのに!


 ノンレム睡眠をするにはできるだけリラックスをするといいよとのことだったので、本当は眠る前に本でも読んでゆったりと過ごすべきなのだろうな……と思ったのだが、そうもいかない生活である。来月になれば余裕が出来るはずなんですと、私は何回言っただろうか……。


 そんな中で、阿津川辰海『入れ子細工の夜』の単行本を手に入れた。連載時に読んでいたものの、こうして一冊になると壮観である。どれも珠玉のミステリである。この収録短編の中で私が特に好きなのは「二〇二一年度入試という題の推理小説」である。これは……これまでに読んできたミステリ短編の中でも五本の指に入るほど好きな一本である


 とある名門大学の入試の小論文で、ミステリ小説の犯人当てが出題される。受験生達、あるいは解答速報を作成をしなければならない予備校教師達は、真剣に犯人当てに挑むことになる……。このミステリの作り方だけで面白い。ミステリ作家にとっては日常の全てが謎になるのだ……と改めて思わされた。しかも、この形式なら何度でもやれるんじゃないか……? と思ったり。(展開が展開だが)


 この短編が面白すぎて、本人が元ネタだと言っていた清水義範『国語入試問題必勝法』も手に取った。これは国語の入試問題の画期的な解き方を見つけた家庭教師と、その教え子の話である。その画期的な方法は文章の長いものを除外する、正論っぽいものを正解にすると問題文を読まなくても答えだと分かってしまうので、正論っぽいものも除外する、という何とも言えないものなのである。私はこれを読んだ時、往年の名作コントを思い出した。このスマートなユーモア……。


 阿津川辰海がこんなに面白い短編集を書いているのだから、と思うと頑張れる


 もう一冊、羽田圭介の『滅私』も読んだ。これは身の周りの全てを削減し、シンプルな生活を営むことを目指すミニマリストの男が主人公の物語なのだが……正直「捨てる」というテーマからこういった展開になるとは予想しておらず、終盤の展開には驚いた。だが、身の回りのものと一緒に過去まで切り捨てようとする姿勢や、捨てることで逆に得ようとする人々の姿は空恐ろしさを感じさせる。得て何者かになるより、捨てて何者かになる方がずっと簡単なのだ



六月●日

 ジャニス・ハレット『ポピーのためにできること』を読む。イギリスの大ベストセラーであり「21世紀のアガサ・クリスティー」と大絶賛されたミステリである。『カササギ殺人事件』のアンソニー・ホロヴィッツといい、クラシックミステリの形式を踏襲するのが流行っているのだろうか。


 さて、この物語はとある劇団を主宰している地元の名士マーティン・ヘイワードの孫娘・ポピーが癌を患うところから始まる。ポピーを救うための新薬を手に入れるには大金が必要。そこで劇団員達はポピーの為に募金活動を始めるのだが……。


 物語開始時点で、ポピーの募金活動がとある悲劇を巻き起こすことだけは明らかにされている。だが、私達はその悲劇の内容については知らされない。読者である私達は、これから先に一体何が起こるのか、どんな事件が起こるのか、そもそも私達の想像しているような事件は起こるのか? というミステリの根本が分からないまま物語を読み進めていくこととなる。これはいわば『ホワットダニット』(何が起こったのか?)のミステリだ。その点もアガサ・クリスティー味の強いところかもしれない


 さて、こうした随所に見られるクラシックミステリらしさに対し、その書き方はかなり先進的なものである。というのも、この小説はほぼ全篇が「誰かから誰かに送られたメール」の形を取って書かれているからだ。メールが重要な役割を果たすミステリーは数あれど、この徹底ぶりはなかなか無い。相当に分厚い一冊の中で、読者は劇団員達のやりとりを盗み見ていくこととなる。


 正直、最初はこの読み味に慣れなかった。劇団員達の名前も覚えられないし、とはいえそちらに気を取られていたら、内容が頭に入ってこないのである。だが、彼らのやりとりが一周する頃には、するっと全てが把握出来るようになった。メールというのはその人となりを表すものなのだ。メールが簡潔な人、冗長な人、回りくどい人、普段は陰気なのにメールではやたらハイテンションな人……。メールの書き分けでこれだけ個性が出せるのは面白い。


 そして何より登場人物の一人であるイザベル・ベックの魅力……魅力というより、引力が凄い。メールの文面を見れば彼女は明るくひたむきで、親友であるサムのことを大切にしている素敵な女性である。だが、他の人々のメールに出てくるイザベルは不快で陰気で、とある秘密を持っている……。彼女の痛々しさと迷走、ほのかに見え隠れする狂気を見届けたいという気持ちが、ぐいぐいとページを捲らせるのだ。途中から、事件云々よりこれだけ嫌われている女の行く末が見たい……という気持ちで読んでしまった


 終盤に行くにつれて加速していく展開と、この方向にツイストしていくのかというどんでん返しに、久しぶりに我を忘れて読んだ。もしかすると、今年の翻訳ミステリは『ポピー』なのかもしれない

 私はこの形式で700ページ近くの小説を書きたい……と思ってしまった。ミステリというのはいくらでも面白い構造で作劇出来るのだな……と、先述の『入れ子細工の夜』を読んだ時と同じ感想を抱いたのだった



六月/日

 同志社大学で講演会をさせて頂いた。質問に答える形式で、ということで事前に質問リストを送って頂いたのだが、緊張しすぎてそれに全部回答を作ってから会に臨み、スムーズすぎる進行で講演会が三十分で終了してしまいそうになった。ちゃんと準備をしていって逆に窮地に追い詰められるとは……と震えたものの、来場者の皆さんが沢山質問してくださったお陰で、無事に会は終了した。京都近郊に住んでいる方だけでなく、東京からいらっしゃってくれた方もいて、とても嬉しく心強い講演会だった。呼んでくださった同志社ミステリ研究会の皆さんにも、改めて感謝を申し上げたい。


 さて、講演会の最中に「今読んでいる本は何ですか?」と質問されたので、私が京都旅行のお供に選んだ一冊を紹介したい。細馬宏通の『ミッキーはなぜ口笛を吹くのか―アニメーションの表現史―』である。タイトル通りアニメーションの表現に焦点を当ててその歴史を追う本で、数ある文化史の中でも指折りの面白さだった。黎明期のアニメーションといえばぼんやりと初期ウォルト・ディズニー作品を浮かべる人間だったのだが、この本では更に前、大道芸人が黒板にキャラクターを早書きする「ライトニング・スケッチ」まで遡ってくれるのだから面白い。元々は大道芸であったからこそ、より少ない線でより伝わるように進化したというアニメーションの話には「なるほどな……」と頷くばかりだった。


 ある意味でアニメーションは視聴者と創り手の間の共通言語を必要とする代物で、口笛でご機嫌を表すのも、共通言語を用いることでそのシーンの情報量を増やそうとする試みだったわけである


 本当は小説、それもミステリの方がよかったのかもしれないが、折角の京都旅行なのでそれなりにボリュームと骨のあるものを、と考えて選んだ一冊がこれだったのだ。(ちなみにこの質問は登壇者に例年秘密にされているサプライズ質問だったので、私も何も気負わず素直に文化史を持って来てしまった)


 またこういう機会があればいいな、と思う。こうして自分のルーツやミステリの作り方を話すことは自分を見つめ直す機会にもなるし、何より関西の読者さんに「関西に来てくださってありがとうございます」と言って頂けたのも大きかった。ありがたいことだな、と思う


 また講演会でちゃんと胸を張ってストイックな小説家であれるよう、家に戻ってまた地味に仕事をする日々である


睡眠が浅く、執筆時間が長いのに、なぜか本を読み続けている小説家・斜線堂有紀。


「あなたへの挑戦状」(阿津川辰海・斜線堂有紀)が、会員限定小説誌「メフィスト」初の単独特別号として発行決定! どんどん盛り上がっていきます!


次回の更新は7月4日(月)17時です。

Written by 斜線堂有紀 

小説家。2016年、第23回電撃小説大賞にて“メディアワークス文庫賞”を受賞。受賞作『キネマ探偵カレイドミステリー』でデビュー。著作に『詐欺師は天使の顔をして』(講談社)、『恋に至る病』(メディアワークス文庫)、『ゴールデンタイムの消費期限』(祥伝社)などがある。2021年、『楽園とは探偵の不在なり』(早川書房)が本格ミステリ大賞にノミネートされ、注目を集める気鋭の書き手。

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