第9話 横顔
文字数 3,077文字
幸せなはずなのに悲しくて、苦しいけれどかけがえが無い。
そんな私たちの日々が、もしもフィクションだったら、どんな物語として描かれるでしょうか。
ごめん(https://instagram.com/gomendayo0?igshid=1rh9l0sv9qtd2)
さんが、
あなたの体験をもとに、掌編小説・イラストにしていく隔週連載。
この物語の主人公は、「あなたによく似た誰か」です。
【第9話 横顔】
からっぽなりに下手くそな恋をした
松浦くんのことを思い出すとき、真っ先に浮かぶのはいつも横顔だ。彼についての一番古い記憶は中学の頃の教室の端っこ。窓際の席で、背中をまるくして1人で本を読む横顔。クラスの男子なんてみんな騒がしい奴らばっかりだったから、当時の私にとって松浦くんは何だか特別に見えた。
「その小説、私も好きなんだよね」
彼と話がしたくて、何度か嘘を吐いた。本当は松浦くんが読んでいる本と同じものを図書館で借りて、真似して読んでいただけなのだ。我ながら健気だと思うけれど、彼と同じ話題で話せるということが、同じ目線に立てたことのような気がして嬉しかった。それが恋だったのか、単なる憧れや尊敬だったのかはわからない。けれど松浦くんという存在は、その後卒業して離れ離れになってからもずっと、確かに私の中に色濃く残っていたように思う。
◇
私今、どきどきしてる。
カウンターに通され、隣に腰掛けた松浦くんの横顔を見ると、あの頃の教室の窓際が鮮やかに蘇ってくる。20歳になった彼は髪も背も伸びていて、昔よりもよく笑うようになっていた。
「吉田と俺、好きな本よくかぶってたよな」
松浦くんがハイボールを口にする。5年前よりも低い声。何だか知らない人みたいだ。
「ね。ていうかよく覚えてたね私のことなんか」
「中学の頃吉田と話せて嬉しかったし。好きな本のこと話せる奴なんていないって思ってたから。」
どきどきする。松浦くんと2人でお酒を飲む日が来るなんて思わなかった。
数週間前、成人式の会場で松浦くんを見つけたとき、私は心が震えたのを感じた。
「松浦くん」
反射的に声をかけてしまった直後、「しまった」と思った。中学以来会っていないのだから、きっと私のことなんて忘れてるに決まってる。そう後悔しながら次の言葉を探す私に、松浦くんはあっさり「吉田だ」と笑った。そうして私たちは約5年ぶりに再会したのだ。
居酒屋を出て駅に着いた頃には、もう終電の時間になっていた。人もほとんどいないホームに聞き慣れたメロディが響いて、松浦くんが乗る電車が光を放ちながら向かってくるのが見えた。私が乗るのとは反対方向。
「今度さ、おすすめの小説貸すよ」
少しの沈黙の後、松浦くんがぽつりと呟いた。「え」と思わず私が顔を上げると、松浦くんは目も合わせないまま照れ臭そうに付け足した。
「また会おうってこと」
その横顔をちらりと見ながら、私はこの人のことが好きだと思った。
松浦くんと恋人になるまでに時間はかからなかった。
彼の好きな喫茶店。彼の好きな映画館。彼の好きな小説。会わなかった5年間を埋めるように、松浦くんの好きなものを私も好きになっていった。恋愛ってきっと、好きな人と好きなものを共有して、そのひとつひとつを愛おしいと思えるということなんだ。思えば私、中学の頃と同じことしてる。そう気づいたときすら、何故か嬉しかった。
「吉田は就活どうすんの?」
ある暑い日。アイスコーヒーをカラカラとかき混ぜながら、松浦くんが珍しく私の目を見た。そんなことを聞かれても、私はちっとも不安になれない。
「うーん、別に。内定貰えればいいかなとりあえずは。」
「いや、なんか目指してるもんとかさ」
「みんながそんなのあるわけじゃないよ。松浦くんとは違うんだから。」
そう返す私に、松浦くんは「そっか」とだけ言った。クラシックが流れる店内に、誰かが吐いた煙草の煙が浮かぶ。
大丈夫。なんとかなるよ。ふたりでいれば。
◇
松浦くんの住むアパートは公園が近いから、昼間は子供の声がよく響く。今日は天気も良いし、外に出るには打って付けだろう。私は本棚にぎっしりと詰まった小説たちを眺めながら、どうすれば今泣くのを堪えられるか、そればかり考えていた。
「俺たちもう一緒にいない方がいい」
松浦くんが口を開く。やっぱり私は涙を止められなかった。
「俺は吉田に、ずっとこっちを向いててほしかったわけじゃなくてさ」
美しい日差しが見慣れた横顔を照らしている。こっちを見て。少しだけでいいから。
「隣に立って、一緒に前を見てたかっただけなんだよ」
付き合って一年が過ぎた頃から、私は松浦くんのことを責めるようになった。私が彼を好きなのと同じように、彼にも私のことを見ていてほしかった。それだけのこと。今日だって、本当は出かけるはずだったのにいつものように口論になってしまった。でもなんとなくわかっていた。きっともう私たちはどうにもならない。
松浦くんは出版社に内定が決まったらしい。すごいって思う。一貫した夢を持ち続けて、それを叶えて、綺麗な物語だと思う。私はそうなれない。そうなれないことが悪いことなのだろうか。私は彼に、空っぽの自分を押し付けすぎたのだろうか。
「俺、吉田の好きなもの全然知らないんだ。」
ようやくこちらを向いた彼は泣きそうな目をしていた。恋愛って本当は、好きな人と好きなものを共有することじゃなくて、お互い前を向いていて、たまに横顔を見て安心するぐらいのものなのかもしれない。
私たちはこの日、恋人じゃなくなった。
◇
徹夜明けの太陽が目に染みる。読み終えた小説を閉じてベンチに寝転がると、雲ひとつない青空が視界を独占した。会社の屋上はひとりになりたい時に丁度いい。
「吉田さん、さっきの会議のプレゼン、部長が褒めてましたよ!」
後輩のりっちゃんが小走りで駆け寄って来る。
「なんでりっちゃんが嬉しそうなの」
「だって!徹夜してまで資料作ってたじゃないですか!」
「まーね」と体を起こすと、りっちゃんが私の手元に目をやった。
「あれ、吉田さんって小説とか読むんですね」
「ああ、これ。出版社で働いてる友達がね、初めて担当した本なんだって。」
「え!すごい!」
「すごいよねえ」
<よかったら読んで>
3日前、松浦くんから2年ぶりに来たライン。そのメッセージを読んで彼が夢のひとつを叶えたことを知った。私に読ませたがるくらいだから、よほどいい出来なのだろう。相変わらずどんどん前に進んで行っちゃうんだな、この人は。
「さっき読み終わったから貸してあげる」
「え、いいんですか?」
「いい本だったよ。悔しいけど。」
ぽかんとするりっちゃんの手のひらにその本を乗せて、オフィスに戻る。よし、仕事頑張ろ。まだまだ追いついてないから、会えないな。
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