日本経済低迷の原因⁉ ここでも将門は隠蔽されたのか?

文字数 3,775文字

おいしい塩ラーメン食べて愉快なバス旅。「祟り」の気配はゼロ。

前回の「神田明神」から、「鳥越神社」に移動します。


「本郷通り」伝いに「湯島聖堂」前を歩いて、「順天堂病院」の裏へ。途中、ラーメンも食べましたがここではそれはいいでしょう。例によって行こうと思っていた店は長蛇の列だったので、すぐ近くで見つけた店に入ったんだけど、塩ラーメンがとても美味しかったのでこれは祟りではありません


さて交差点を鋭角に曲がって都バスの「順天堂病院前」バス停へ。「茶51」系統に乗り込みます。ただし2つ先の「本郷三丁目駅前」バス停で慌ただしく降りる。「春日通り」を渡って、こちらの「本郷三丁目駅前」バス停から「都02」系統に乗り込みます。これで目的地の近くまで行ってくれる。


この「都02」系統、JR錦糸町駅前と大塚駅前をつなぐ路線で乗っていて実に楽しい。東京の色んな顔を見せてくれます。今回は途中で乗って途中で降りるだけだけど、それでも湯島天神前の急坂を降りる辺りや、上野広小路から御徒町駅前の雑踏を眺めつつJRのガードを潜る辺りなど、見どころ満載。


もっと乗っていたい誘惑に駆られながら、「蔵前駅前」で下車しました。ここから更に乗り換えてもいいけど、バスを待つ時間の方がもったいない。ぶらぶら歩いて鳥越神社を目指しました。


ただ、後で調べてみたら「蔵前駅前」よりもっと手前の、「元浅草三丁目」で降りた方が直線的に近かったみたいですね。まぁ、しゃぁない。

生首、ややオーバーラン。 北斗七星の先っぽ。

 てなわけでやって来ました、「鳥越神社」。位置的には北斗七星の、柄杓のまさに先端に当たります。本来ならここからスタートしてもよかったんだけど、まぁこれもしゃぁないやね。やっぱり首塚から始めとかないと、祟りが怖いですからね


さて実はこの神社、Web版「おとなの週末」の「東京路線バスグルメ」でも来たことがあった。ただその時はここが、「平将門」ゆかりの神社だなんて知らなかった


ネット情報によるとここの宮司さんが将門を祖とする平忠常の末裔に当たる、という。また他のサイトでは、将門の首が当地を飛び越えたことから「飛び越え」→「鳥越」になった、という説も


でもねぇ。将門の首は京都から飛んで来て首塚の場所で落ちたんだから、ここだとそのルートから外れてるじゃぁないですか。まぁ首は真っ直ぐ飛んだとも限らないし、諸説あるということにしときましょう。

 

 

 

とにかく前回、来てみたけど境内には「将門」の「ま」の字もなかったような。


今回、改めて確かめてみたけどやっぱり全く見当たりませんでしたよ(笑)。


神社の由来を記した説明板が、ここではえらいハイテク版で、画面にタッチするとスクロールされる。お陰で全文を撮影することはできなかったけど、祭神は日本武尊で、蝦夷征伐に向かう途中で立ち寄ったことに由来する古社みたいですね。


「東征」つまりは東国で、朝廷に従わぬ者共の平定に来たわけで、そういう意味では将門を成敗した側に当たるじゃないですか(笑)!? 時代は違いますけどね。


おまけに由来の後半を見てみると、源義家が奥州征伐のためにここを通り掛かった時、白鳥が隅田川を飛び越えるのを見て「ここで渡るのがいい」と渡河地を決めた。それが「鳥越」の名の元になった、という。またも「東征」武士が関係してますよ。どちらも敵側なのに、なぁ。


ただこの因縁、直後にも出て来ることになります。お楽しみにーー

いざ、将門に守られた金融街に! でも得意の乗り間違え。

さてさて次へ動きます。


柄杓の底に当たる次の場所、鎮座するのは兜神社。そう、あの東京証券取引所の立つ我が国の金融の中心地、日本橋兜町はこの神社と同じ由来の地名なのです。


こういう時の私のバイブル『東京妖怪地図』(荒俣宏監修・田中聡著/祥伝社文庫)によると、「(境内にある『兜石』は)将門が兜を埋めた場所とも、藤原秀郷が将門を倒した後、首と兜を持って凱旋の途中、ここで兜を落としたので塚に築いたとも言われている」とある。


徳川家が、将門を祀る神田明神を鬼門の位置に移して江戸城を守ってもらったのと同様に、現代の日本の金融もまた将門の兜に守られている! そう考えたら、ムチャクチャ愉快ではないですか!?


てなわけで「蔵前二丁目」バス停から日本橋方面を目指します。


ところが乗り込んでから気がついたんだけど、これ東京駅まで行く「東42-1」系統ではなく「東42−2」でした。途中の東神田で止まってしまう便で、これでは目的地に辿り着けない


仕方ないので「浅草橋駅前」で途中下車して、次に来た「東42-1」に乗り換えなくちゃなりませんでしたよ。これも祟り? まぁこの程度で済んでくれるのなら、何の問題もありませんけどね。


途中、ちょっとトラブったけど「日本橋」バス停に何とか到着。ここから乗り換えることもできないではないけど、どうせ「兜町」バス停は次なので、歩いた方が早い。まぁ、写真だけ撮っときました。

将門の兜は兜町、鎧は北新宿にあります。え、兜町で両方そろうの?

さぁいよいよ兜町です。


ここに来たら、やっぱりまずはこれ。東京証券取引所。この町のランドマークですものねぇ。さすがに堂々としたものです。


建物がデカいのでちょっと離れないと上手く写真に収まらない。ベストボジションを探していて、面白いものを見つけました。「鎧橋」。兜町に鎧橋ですものねぇ。でも将門の鎧を収めたという「鎧神社」は新宿区、柄杓の取手の先端部にある筈なんだけど……


そこで説明板を見てみたら、びっくり。源義家が奥州平定の途中、ここで暴風・逆浪にあい、船が沈みそうになったので鎧一領を海中に投じたところ鎮まったため「鎧が淵」と呼んだ、とある。


おぃおぃまた出て来ましたよ、源義家。もっとも説明板には「また、平将門が兜と鎧を納めたところとも伝えられています」とも書かれている。でもねぇ。繰り返しますが将門と義家では立場が逆じゃないですか。それが、何で……?

日本のウォール街で邪推して毒づく。「失われた150年」だったのか?

とにかくここまで来たらもう行くしかない。


兜神社は東京証券取引所の建物の横を、日本橋川に沿うように北の方向に行ったらありました。本当に首都高の高架の真下。小ぢんまり、という表現そのままの佇まいですよねぇ。日本の金融の中心地を守ってるんだから、もっと大規模に立て替えてもいいんじゃないの? ケチ臭いよ、財界人


毒づいたところで境内に入ります。おぉ、あったあった。これが『東京妖怪地図』に書かれていた「兜石」


ところが神社の由来を見てみてまたまたびっくり。「源義家が東征のみぎりこの岩に兜を懸けて戦勝を祈願したことに由来する」とある。おぃおぃおぃ、またまた義家ですよ。おまけにこっちには、「将門」の「ま」の字もない。「鎧橋」にはまだ異説の方も併記されてたけど、こちらでは全く無視、です。


首塚や神田明神の回でも説明しましたよね。朝廷に真っ向から反旗を翻した平将門を、明治政府は忌み嫌った。首塚は蔑ろに扱われ(だから祟られたわけだけど)、神田明神は格下げまでされた。


時の政府の意向に逆らうわけにはいかない金融界も、同調するしかなかったんではないでしょうか。


それが証拠に説明板には「兜岩」と書かれてる。でも岩の脇に立つ石に彫られているのは、どう見ても「兜石」の字ですよねぇ。「岩」と「石」を書き間違えて、平然としてる。それくらい軽く扱ってる証拠じゃないの? そんなこったから「バブル景気崩壊」や、「失速したままの日本経済」なんてことになるんだよっ!?

関東人は将門を敬愛しつつ、源氏びいきでもあります。

またまた毒づいてしまいましたが、それにしても将門の名を隠したいのまでは分からないではないけど、何で代わりが義家なんでしょうね。


確かに将門だって謀反を起こす前は京都に滞在し、藤原一族に仕えたりしているし、義家も勝手に「後三年の役」を起こしたことを朝廷に咎められ、陸奥守の官位を剥奪されたりもしている。


そういう意味では似ていなくもない境遇だけに、将門の名を隠すには義家の名は便利だったのかしらん?


よく分からんままに次回は、築土神社に行ってみます。

書き手:西村健

1965年福岡県生まれ。東京大学工学部卒業。労働省(現・厚生労働省)に入省後、フリーライターになる。1996年に『ビンゴ』で作家デビュー。その後、ノンフィクションやエンタテインメント小説を次々と発表し、2021年で作家生活25周年を迎える。2005年『劫火』、2010年『残火』で日本冒険小説協会大賞を受賞。2011年、地元の炭鉱の町大牟田を舞台にした『地の底のヤマ』で(第30回)日本冒険小説協会大賞、(翌年、同作で第33回)吉川英治文学新人賞、(2014年)『ヤマの疾風』で(第16回)大藪春彦賞を受賞する。著書に『光陰の刃』、『バスを待つ男』、『目撃』、「博多探偵ゆげ福」シリーズなど。

西村健の「ブラ呑みブログ (ameblo.jp)」でもブラブラ旅をご報告。

「おとなの週末公式サイト」の連載コラム「路線バスグルメ」も楽しいよ!

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