『心は孤独な狩人』カーソン・マッカラーズ/語りたい人たちのフーガ(千葉集)

文字数 1,719文字

新潮社から復刊され話題になっているカーソン・マッカラーズ『心は孤独な狩人』について、ライターの千葉集さんが語ってくれました。

千葉集

ライター。はてなブログ『名馬であれば馬のうち』で映画・小説・漫画・ゲームなどについて記事を書く。

ときは一九三〇年代、大恐慌の嵐が吹き荒れるアメリカ合衆国。深南部(ディープサウス)の真ん中に位置する田舎町に、二人の唖が住んでおりました。名前はシンガーとアントナプーロス。ふたりはいつも一緒でした。しかし、あるときアントナプーロスが病気を患ったのをきっかけにおかしくなってしまい、彼のいとこの手によって精神病院へ隔離されてしまいます。


ひとりぼっちになり、ふたりで住んでいた下宿から移ったシンガーは、あたらしい下宿先の近くのカフェで三食の食事を取るのを日課にしはじめます。そして、音楽好きの少女ミック、そのミックに想いを寄せるカフェ店主のビフ、流れの技術工であるジェイク、同胞の地位向上に燃える黒人医師コープランドといった、それぞれ固有の問題や鬱屈を抱えたひとびとをその厳粛さで魅了し、次々とかれらの告白を引き出します。その様子はほとんど信仰に近い。


「神様を信じるくらいなら、サンタクロースを信じるね」とうそぶくミックでさえ、シンガーを神の姿に擬して想像するのです。

「神様は寡黙だ――シンガーさんの姿を思い浮かべたのも、おそらくはそのためだろう」


(『心は孤独な狩人』p.131)

沈黙することで他者の語りを引き出す人物といえば、以前取り上げたチャールズ・ウィルフォードの『コックファイター』の主人公もそうでしたね。しかし『コックファイター』が主人公の饒舌なまでの一人称で語られていたのに対し、三人称で語られる本作では沈黙者シンガーの内面はなかなか見えづらい。作品前半部を通して、かれの信奉者によって聖人っぽさが積み重ねられていくのですが、物語のある時点でそのイメージは覆されます。そして、シンガーもまた告解を必要とするひとりの弱い人間であることが読者に明かされるのです。このとき、シンガーは劇中で唯一「孤独」ということばで自らを定義する人間として現れます。

 

孤独。孤独こそマッカラーズの作品の核である。本作でのデビューから九十年にわたって、多くの人がそう指摘しつづけてきました。マッカラーズ自身も「精神の孤独は私の作家的なテーマ」というようなことを語っています。本作に至っては、タイトルにさえ含まれているのです(もとは有名な詩の一節です)。


フィクション上で(あるいは現実上でも)孤独を乗り越えようとする場合、突破口となるのはだいたいにおいて愛でしょう。が、マッカラーズはそれさえ罠だとみなします。相互的なコミュニケーションの嘘を暴きだす姿勢は叙述の構成にさえ影響をおよぼし、一章ごとに視点人物が切り替えられていくスタイルは出版当時にはまとまりのなさとして受け取られ、批評家からは「チェーホフを見習え」と批判されました。孤立した語りがそのまま登場人物の孤独の表現になる点では、最近紹介した『ウィトゲンシュタインの愛人』を想起させられるところもないではなく、しかし『ウィトゲンシュタインの愛人』ほど拡散的でなく読みやすいのは、やはり中心にシンガーという(偽の)神が据えられているからでしょう。


自身にもユダヤ系というマイノリティの刻印が捺されたシンガーに、人種、性、年齢、政治思想、身体障害、ファシズム、貧富の格差と当時存在し今も依然として存在する枠組みによって分断されたひとびとが、ゆるやかに混じり合っていく。その混淆はあるいは幻想にすぎて、ともすれば破滅のひきがねを引く要因ですらあるかもしれませんが、すくなくとも、人を生きさせてくれる幻想ではあります。


だから、

大丈夫!

オーケー!

そこには意味がある。


(『心は孤独な狩人』 p.383)

『心は孤独な狩人』カーソン・マッカラーズ/村上春樹 訳(新潮社)
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