京大生本読みのオススメ「サイコ・ミステリ」10選

文字数 3,274文字

今、どんな作品を読んだらいいの?

そんな疑問にお答えするべく、大学生本読みたちが立ち上がった!

京都大学、慶應義塾大学、東京大学、早稲田大学の名門文芸サークルが、週替りで「今読むべき小説10選」を厳選してオススメします。

古今東西の定番から知られざる名作まで、きっと今読みたい本に出会えます。

本があなたを大冒険の世界に誘うことなんてめったにありません。ふだんの人生からあまりにかけ離れた物語は、往々にしてつまらないものです。最高におもしろい本は、われわれを小旅行の世界へ導きます。ちょっと外へ出て、じぶんとすこし違う他者に出遭って、なにがどう違うのか問い尋ねていくと、ついには問いの矛先がじぶんの内に帰ってくる。今回は巣ごもり明けにぴったりな10本の散歩道をご紹介します。

(執筆:曾良ひめる/京都大学推理小説研究会)

京都大学推理小説研究会(きょうとだいがくすいりしょうせつけんきゅうかい)/京都大学

 京都大学にある文芸系インカレッジサークル。ミステリ界では長らく謎の名門扱いを受けてきた。でも本当はただの学生集団だって知ってもらいたくて、さいきん広報をがんばっている。オンライン活動も絶好調。最新情報・入会希望は公式Twitter(@soajo_KUMC)へ!

①『電氣人閒の虞詠坂雄二
サイコ・ミステリ、すなわち<異常の謎>。どちらも“頭痛が痛い”重複表現に見えますが、「・」とか「の」を挟んでしまえば、磁石の同じ極を瞬間接着剤でむりやりくっつけるようにして、無茶な言葉の組み合わせが通ります。しかし無茶は無茶なので、一枚皮を剥けば意味の磁場がねじれている。ひとの思考を盗聴する怪物「電気人間」は、そのねじれさえあらわにしてしまうのです。
②『D.D.D.1奈須きのこ
西暦2000年前後の重大犯罪を前にして、「キレる17才」「理由なき犯罪」と叫んで世代のせいにすることしかできなかった者たち。法の裁きを逃れた被疑者たちを目の当たりにして、行き場のない憤りと法に対する疑念を深めていく者たち。ゼロ年代の文壇に投じられたいくつかの爆弾的作品は、彼らの無力を諫め続けるかのごとく、ただひたすら起爆の時を待っています。
③『My humanity長谷敏司
コミュニケーションに挫折しないかぎり、われわれが使う言語は未来に向けて抽象度を増していくでしょう。ひらたく言えば、言葉はより多くの“わかり”を保証することになります。とすると、われわれはやがて“わからない”と切り捨ててきたものたちと和解を果たすのでしょうか。たとえばそれは理想的な愛国主義者(「地には豊穣」)、あるいは収監された小児性愛者(「allo,toi,toi」)。これらに向き合う困難を、長谷敏司はさいわいにも現代の言葉で語ってくれます。
④『症例A多島斗志之
境界性人格障害(境界例)や解離性同一性障害(多重人格)がセンセーショナルだったのも今や昔日の感があります。この小説の結末がこれからの読者に衝撃を与えることはないかもしれません。けれども、クライアントとじかに臨んで思考をつむぎ、ときにはじぶんの立脚点まで危うくしながら議論を重ねる人たちの在り方は、時を超えうるものと信じます。
⑤『おれの中の殺し屋ジム・トンプスン
犯罪者のこころを覗いておそろしい殺人鬼を見つけようとするのは、無責任な読者や視聴者だけでしょうか。もしかしたら犯罪者本人だって、じぶんの中に殺人鬼を見つけたいのかもしれません。この本で描かれるのは、欺くことが常態化したあまりついにはじぶん自身まで欺いてしまった警官、その静かな逃走劇と約束された破滅です。どうしようもなくなった彼がカラカラ笑うとき、あなたの口角は下がるのか、それとも上がるのか。
⑥『ラカンの殺人現場案内ヘンリー・ボンド
殺人現場の写真と精神分析の理論を手がかりに逸脱を考える、アバンチュールな写真論です。モノクロとはいえ凄惨な図像がたくさん出てくるので、心臓の弱い方は注意が必要でしょう。しかしボンドの熱っぽい語りに耳を傾けるうち、やがてむごさとはべつの印象が湧きあがってきます。ひとによっては、なぜ「Cursed image」は呪われているのか、あるいは、なぜ「ロールシャッハ・テスト」は訝しまれながらも未だに使われているのかについて、示唆のようなものを得るでしょう。
⑦『インテリぶる推理少女とハメたいせんせい米倉あきら
「せんせい」は処女厨の強姦魔です。どちらも死語なので言いかえますと、性経験のない少女だけを狙ってレイプするひとです。あってはならないことだと思うでしょうか。しかし、あるのです。ひとたび犯された女子中学生は「せんせい」の標的から外れるため、おのずと物語からも抹消されるのですが、犯された娘の人生は続くので消えません。同様に、「推理少女」が「せんせい」を好きになってしまったという事実も、たしかにそこにあるのです。このお話の眼目は、事実のまえへぴゅうとまっすぐ飛んでいく論理の矢ではなく、事実のあとにうじゃうじゃ生い茂って事実をも覆い隠してしまいそうな理屈の渦です。
⑧『夜の淵をひと廻り真藤順丈
世界の涯てには縫い目があって、遠くからはきれいな刺繍に見えます。しかし近づいてみると、糸の繊維のいっぽんいっぽんが、ぴんと張りつめてギリギリのところで裂け目を塞いでいる。その繊維というのが実は、関節を外してなんとか背丈をごまかす生身の人間だったりするから、この世界は始末が悪いのです。夜警好きのシド巡査が、街のあらゆる淀みを眺めつくしてひと廻り終えたとき、刺繍の模様はどう変わるのか、あるいは変わらないのか?
⑨『ウサギ料理は殺しの味ピエール・シニアック
“わかる”という経験には快感がともないます。あるいは“わからない”という不快感の払拭と言うべきでしょうか。われわれは生まれたときから避けようもなく快楽と報酬の虜なので、ささやかな“わかり”を求めてミステリに手を伸ばすし、ミステリを書く方もより気持ちよくなってもらおうと頑張ります。ただちょっと頑張りすぎた結果、この本の読了者は「ウサギ料理」に「殺しの味」を感じるようになってしまうのです。よしんば感じなかったとしても、この共感覚的な現象の理路が“わかって”しまう。まるで違法薬物の副作用ではありませんか。しかも不可逆。どうしてミステリが規制対象にならないのか不思議でなりません。
⑩『十日間の不思議エラリー・クイーン
探偵の挫折を描く物語として探偵小説史に名高い本です。探偵の挫折とだけ聞くと、特権的職能者が抱える特権性ゆえの憂鬱とでもいうべき局所的な響き、まるで他人事のような感じを覚えます。ところが実際に読者が目撃するのは、いかにもこれから自信を挫かれそうな青年探偵の頭脳ではなく、皮肉屋な中年男性の丸い背中です。言葉遊びに熱中する姿からは、晩年の大哲学者を思わせる哀愁さえ漂ってくる。もしかして探偵ってただのお人好しなんじゃなかろうか、探偵の宿痾って“わかろうとすること”の宿痾なんじゃなかろうか、そう思えてくるのです。今やわれわれはこの奇矯な書物を、原文の詩的工匠を能うかぎりあますところなく伝える新訳で読むことができます。
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