永井紗耶子 直木賞受賞第一作記念インタビュー

文字数 3,765文字

江戸と大坂を結んだ、東海の自由人とは

『木挽町のあだ討ち』直木賞を受賞した永井紗耶子氏。受賞後の第一作となる『きらん風月』は東西文化の懸け橋となり、『尼子十勇士』でも知られる戯作者・栗杖亭鬼卵を描いた小説だ。そんな鬼卵の昔語りや、カタブツの元老中・松平定信との会話に込めた思いを、永井氏に語ってもらった。


【聞き手・構成】 内藤麻里子 【写真】 森 清

鬼卵と定信は本当に出会った?


──本書『きらん風月』は、栗杖亭鬼卵という文人墨客が元老中の松平定信相手に自身の来し方を語るという構成になっています。鬼卵の昔語りがやけに面白く、耳を傾けているうちに定信も自らを省みていくという巧みな展開です。栗杖亭鬼卵は実在の人物だそうですが、どこでお知りになったんですか。


永井 元々私の母方の出身が静岡なんですけど、地元ではちょっとは知られていた人です。祖母の先祖をたどっていくとたまたま鬼卵と縁があることもあって、子どもの頃から何となく名前は耳にしていたんです。でも、そこまで関心はなかった。ところが数年前に静岡新聞社が企画した静岡の城を舞台にしたアンソロジーで、諏訪原城を書くことになったんです。この城を調べてみると、更科姫とか尼子十勇士の山中鹿之助とか、歌舞伎や落語、講談なんかで知られる人物がいろいろ出てきました。


 「これって史実なの?」と気になってさらに史料を読むと、栗杖亭鬼卵という人が書いた『繪本更科草紙』が基になっていて、完全なフィクションだとわかった。「あれ、この鬼卵って聞いたことあるな」と、改めて調べたところ「ああ! おばあちゃんたちが言ってたあの鬼卵か!」ということで、俄然盛り上がりました。


──鬼卵と定信が会ったという一文があって、本作は生まれたとうかがいました。


永井 松平定信が、鬼卵が開いていた小さな煙草屋を訪ねてきて、障子に書いてあった歌を褒めたというエピソードが地元に残っているんです。それを手がかりに、問題は鬼卵をどこから掘るかという点でした。鬼卵をただのエンタメ作家として掘っていっても、曲亭馬琴ほどの大物じゃないので掘るべきはそこではない。松平定信と話をしたわけですが、二人は全然違う人生ですね。むしろ思想的に対立してもおかしくない人たちだった。そうなると、それぞれの生きてきた道筋をたどれば、大坂と江戸の文化と当時の政治や社会を網羅する話になる可能性がある。小さな宿場町で一瞬の邂逅をしただけでも、面白いんじゃないかと。ちょっと斜に構えた作家と、気難しい政治家の対談みたいな感じもいいかなと思ったんです。

御家騒動にまつわる歴史の余白


──鬼卵が自分の過去、若年時代、中年時代、老年時代を語っていくわけですが、第一章は若年、十七歳の頃の話です。父親は鬼卵に「楽しいことをせい」と言って育てます。これは、経済成長もなかなか厳しく、地球温暖化もあってもはや脱成長しかないと言われている現代で、心に響く視点なのではないかと思いました。


永井 ありがとうございます。ちょっと関係ないかもしれないですが、最近、AIの話をしていて、事務作業や分析、合理的な判断をAIが担うようになったら人間が何をするのかと考えると、あとは楽しむことしかないじゃないかと思いました。それが一番のクリエイティビティーであり、成長なんじゃないのって。


 競争によって成長はあったし、競争に勝つことの幸せはあるけれど、バブルが崩壊して今の時代になってみると、果たしてそれが本当に幸せだったのかという地点に私たちは立ってるような気がしています。そうすると幸せって何かと言った時に、自分の尺度で楽しむことではないかと。


 それと同じように、鬼卵自身も封建社会の中で、そこまで出世できる身分ではないということがあらかじめわかっている。だとしたら、楽しく、好きなことをして生きるのを目指した方がいいんじゃないか。そんな方向の精神的な豊かさが、上方文化を育てたような気がするんです。武家でも商人でも関係なく楽しむことができる場が豊かにあったのではないかと思います。


──楽しく生きる一方で、心には反骨があります。狭山騒動という御家騒動に反発した鬼卵が、内情を暴く『失政録』を書くに至る熱い過程が語られます。


永井 『失政録』は実在した本です。もう一点ほぼ同じ内容で『三鱗実政記』も版行されました。家中のことが外に漏れること自体、とても嫌われる時代にこれだけのことが書かれている。内部の人間が告発したのでなければありえない本だと思います。当時の出版を担っていた人たちのジャーナリスティックな気骨を感じました。鬼卵が若かりし日に関わったというのは創作なんですけどね。


──ええっ、創作でしたか。鬼卵と定信が会ったというほんの少しの逸話からここまで想像の翼を広げたのですね。


永井 一行だけ書かれていることが気になるんですよ。松平定信がしたことは、メインどころの人だから、たくさん記録に残ります。けれど、よくわからないところに何かよくわからない人物がすとんと入っているということは、メインどころを押しのけてまで一行でも入れたい何かがあるわけじゃないですか。そこに違和感というか歪みを感じ、気になるんです。ガチガチに固まった部分とは違う余白があって、絶対にキーポイントとなっているものがにょっと顔を出しているところだと思います。その裏にあるものを考えていくのは、もう大好きですね(笑)。

妻・夜燕のような強い生き方


──当時は有名であっても、今となっては忘れ去られた人物の場合が多いですね。


永井 クローズアップされるのは、ある種恣意的なものというか、その時代の要請があると思っているんです。一方でその陰になった人は、もしかしたら今の私たちにとっては、そちらの方が共感できる可能性がある。私たちが江戸の世界に行ったとして、居心地いいのかと言ったら窮屈でたまらないかもしれない。そんなふうに保守的でもうやってらんないよと感じていた人々は、当時からすると鼻つまみ者というか、はじかれていた人たちだったかもしれない。けれど、現代社会に生きる私たちから見ると、彼らの考え方がわかることもある。そういう意味では鬼卵や、本書に出てくる海保青陵は、書いたものなどを読んでみると、この人たちの言っていることの方がわかるなと感じることがあります。


──第二章になると、中年の鬼卵はとても行き惑います。そんな中で妻になる夜燕に出会ったりします。当時、文人墨客のような生き方をした女性がいたんですね。


永井 そうなんですよ。夜燕女の墓が今でも豊橋に残っていて、志村天目の弟子だという記録もあります。天目の門下生として名前が残っているのは夜燕であって、鬼卵じゃないんです。ということはかなり文化人として重きを置かれていた女性だったのではないかと思います。そのことを鬼卵も喜んでいたからあちこち一緒に行ったんだろうと思う。国学にも結構女性の名前があります。後に鬼卵が執筆した街道沿いの名士紹介『東海道人物志』の中にも割と女性の名前が挙がっています。お琴や絵などの分野ですね。女性だから存在しないかのごとく扱われたわけではないようです。


──永井さんの小説は、女性をないがしろに描かない。昔の時代小説を現代の目から読むと、女性の扱いが気になります。


永井 昔の時代小説では、女性は、脇役で花を添える存在になりがちでした。私も江戸ものを書く時に、江戸っぽさを出すため、先輩方の江戸の女性の書き方を学ぼうとした瞬間があったんです。でも、男を立てて三つ指ついてなんて、「いないよ、こんな人」って思った(笑)。落語だと「何言ってんの、あんた」って言う女性が普通に出てくる。むしろそっちがリアルで、三歩下がって三つ指ついては創作というか、ある種の理想像だったのだとしたら、本当に景色が変わって見えるんです。江戸は男性だけで作られた社会ではない。実際に夜燕のような生き方をした強い人もいるんです。「活躍した女性はいなかった」という印象がありがちな江戸時代ですが、よく史料を読み込むと、確かに彼女たちが生き生きと活躍していたことがわかります。

■つづきは「小説現代3月号」でおたのしみください。

永井紗耶子(ながい・さやこ)

1977年、神奈川県出身。慶應義塾大学文学部卒業。新聞記者を経て、フリーライターとして雑誌などで活躍。2010年、『絡繰り心中』で第11回小学館文庫小説賞を受賞し、デビュー。『商う狼 江戸商人
杉本茂十郎』で'20年に第3回細谷正充賞および第10回本屋が選ぶ時代小説大賞を、翌'21年に第40回新田次郎文学賞を受賞する。'22年、『女人入眼』が第167回直木賞候補に。そして'23年『木挽町のあだ討ち』で第36回山本周五郎賞と第169回直木賞のダブル受賞を果たした。また同年、『大奥づとめ よろずおつとめ申し候』で啓文堂書店 時代小説文庫大賞2023を受賞した。

第169回直木賞受賞第一作!

自由と反骨で幕政の束縛に抗った文化人の生涯を描く!

絵も歌も戯作もこなし、『尼子十勇士』を世に知らしめた栗杖亭鬼卵。寛政の改革で一度は天下人となった元老中・松平定信。身分も考えも正反対な二人の問答は、読み手の人生をも問いかける。

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