夢枕 獏・孤高の人・加藤文太郎を愛す 「新田次郎」

文字数 1,832文字

 



調査したわけではないので、はっきりしたことはわからない。

 であるので、本稿は「なのではないか」というところから書き起こしたい。

 文芸の世界では、それが小説であるにしろ随筆であるにしろ、どうも昔から釣りに向かう方々と、山に向かう方々があるらしい。各作家の文芸的な気分の志向性として、釣り派と山派がある【のではないか】。

 前者で言えば、永井荷風、井伏鱒二、開高健という方々がいて、後者で言えば、尾崎喜八、串田孫一、井上靖、そして新田次郎がいる。ぼくが好きだった北杜夫も、「白きたおやかな峰」という山岳小説を書いている。

 これ、別に熱烈なるパトスによってそうなっているというよりは、明治の頃に生まれて、昭和までは間違いなく伝えられてきた【文芸的な気分】のようなものが、釣り文芸にも山岳文芸にも、その根にあるような気がしているのである。

 辻まことなどは、釣りも山もその文芸的な気分としてあったし、この顔ぶれの中で自分の名前を出すのもいかがなものかという気がしないでもないが、ぼくもまた釣りと山とに片足ずつ乗っけて、今の自分の立ち位置があるような書き手【なのではないか】と思っているのである。

 山のことで言えば、若い頃、ぼくはこの気分の中にどっぷりとはまり込んでいて「書くもの全て山、書くということと山に登るということは同じである」などと、二〇代はかなり本気で考えていたのである。

 十代の頃は『山の詩集』などを買い、毎夜の如くにこれを読み、山の随筆やら写真集やらを買い込んで、山野をそぞろ歩く気分に酔ったようになっていたのである。

 当然、新田次郎にはまった。

 読みはじめたのは、二〇歳くらいであったと思うのだが、新田次郎は、その作品によって、ぼくをその【気分】の世界から、ゆるやかに、リアルな世界へと導いてくれたのである。

 新田次郎は、もちろん山岳小説のみではなく、『武田信玄』などの時代小説もお書きになっていらっしゃるのだが、もうしわけないことに、ぼくは、氏の小説は山岳小説以外は読んでいないのである。

 四十五年に余る昔のことなので、読んだ順はもう覚えていないのだが、小田原の本屋で、目に入る新田次郎の山岳小説を、次々に買い込んで、貪り読むことになってしまった。

『栄光の岩壁』、『三つの嶺』、『槍ヶ岳開山』、『強力伝』、『孤高の人』、『八甲田山死の彷徨』等々、脳内がほとんど新田次郎になってしまった時期があったのである。

『八甲田山死の彷徨』は、最近になって読みかえしたのだが、四〇年近い前に読んだ時よりも、凄まじいインパクトがあって、震えた。多少ながら、雪と氷の山を何度か体験したので、雪と人の描写が数倍の迫力をもって迫ってきたのである。

 雪中行軍隊のほとんどが雪のために死んでゆく。ひとりが倒れると、それを助けるため、もうひとりが倒れ、これが連鎖して次々に隊員が死んでゆく。手が凍傷になり、ボタンをはずせないからズボンの中で尿を洩らし、その尿が凍りつき……

 ああ、絶対にこんな死に方はしたくない。なんてことを書くのだ、ここまで書くのか新田次郎――心の中で唸りながらページをめくっていたのである。

 新田次郎の山岳小説で、どうしてもはずせないのは、『孤高の人』である。

 これは、実在した登山家、加藤文太郎を主人公にした話である。

 世間や人になじむことができずに、ひたすら山にゆく。しかも単独行である。

 ああ、これはおれだと思った方は、何人もおられるだろう。ぼくもそう思った。正月、山の雪の中で、凍った蒲鉾を噛じる。みんなは今頃、あったかい炬燵に入って、楽しくすごしているんだろうな。どうして、自分だけは、こんな山の中で、独りぼっちでいるのか。

 これはおれだと、そう思った。

 その加藤文太郎が、冬の北鎌尾根で死ぬ。

 わかっているのに、そこを読むのがつらい。なんとか、加藤文太郎を助けたい。ヒマラヤに行きたくて、ヒマラヤ貯金をしていた加藤文太郎を、どうしてもヒマラヤへ連れていってやりたい。

 その思いが高じて、ぼくは『神々の山嶺』を書くことになってゆくのである。
 拙著『神々の山嶺』の羽生丈二は、告白しておけば、加藤文太郎の分身でもあるのである。

「小説現代特別編集二〇一九年五月号」より

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