木下半太 「福の神」

文字数 2,058文字



《仙台四郎》をご存じだろうか?

明治時代の仙台に実在した、福の神と呼ばれた人物である。

知的障害によりニコニコ笑うだけで、まともに話すこともできなかったらしいが、彼が立ち寄る店は必ず繁盛した。店はこぞって彼を呼び、タダで飲み食いさせてあげていた。

だが、どの店でもいいわけではなく、気にいらない店には頑として入らなかったようだ。

亡くなってからも商売繁盛の福の神として崇められ、店に写真を飾られていたほどだ。

なんとも羨ましい話ではないか。この不景気の今、もし、そんな人物がいたら、引っ張りダコどころの騒ぎではないだろう。ツイッターで噂が瞬く間に回り、目を血走らせた商売人が全国各地から殺到するはずだ。

人間の姿として現れる福の神は、本当に存在するのだろうか?

今回はこの謎に迫りたいと思う。

結論から述べよう。

福の神は存在する。

なぜ、断言できるのか?

俺のところにも福の神が来たのだ。

まだ大阪に住んでいた頃、俺は借金地獄の真っ只中だった。

主宰する劇団の赤字、経営するバーの赤字を抱え、夫婦二人の生活費を借金で補うという、まあ、どうしようもない日々を送っていた。

ある日、バーの開店前、嫁とカウンターに座って払えない酒代の相談をしていた。飲食店にはお釣り用の現金が必要だが、その金も足りない有り様だった。

一人の老婆が店に入ってきた。自分の母親ぐらいの年齢だろうか。汚れた皮膚、ボロボロの服。店内にすえた臭いが充満する。明らかにホームレスだ。「財布を落としましてん。奈良まで帰りたいんやけど電車賃貸してくれまへんか」

嘘だとすぐにわかった。「アカン、アカン!」

俺は老婆を追い出した。飲食店なので衛生的な心配もあった。だが、何よりも怒りが込み上げた。

正直に「金をめぐんでくれ」とは言わず「電車賃」にする老婆のプライドにもむかついた。

「そうですか」

老婆は表情を変えずに店を出ていった。断られることに慣れているのだろう。

嫁は弱い者を見捨てることができない性分だ。俺がいなければ、老婆に金を渡しただろう。

まだ、店内に老婆の臭いが残っている。「お金、あげてええかな?」俺は嫁に訊いた。「したいようにすればええんちゃう」嫁が答えた。

俺は千円札を2枚握りしめ、老婆のあとを追いかけた。

金を渡したあと、俺は惨めな気分を慰めるために、嫁にこう言った。「あの婆さんが天使で、今のが幸せになるための試験やったらどうする?」

その半年後、俺は小説家になった。

ほんの少し前までは家賃が払えず、月末になれば家の中に小銭が落ちていないか夫婦で探していたのに。

別に美談を書きたいわけではない。

ずっと、あの老婆のことが頭から離れないのだ。

あれは本物の福の神じゃないかと。

ここで、衝撃の事実を発表したい。

実は俺のところに来た福の神は一人ではない。

小説家になったばかりのある日、俺の劇団に入りたいという男の子が来た。実名は出せないので仮にNとしておこう。

このNが、どうやら福の神なのだ。

このとき、俺はちょうど2作目の『悪夢のドライブ』を脱稿したばかりだった。

チビでアフロの売れないお笑い芸人が、ひょんなことから運び屋になるストーリーだ。

なんと、Nはこの主人公とまったく同じ、身長が低く、アフロで、売れない芸人なのだ。日本一のお笑い事務所Yを辞めて、役者になりたいと言う。

驚異の偶然の一致はこれだけではない。『悪夢のドライブ』の主人公の元カノが身長が180センチ以上はある大女で、俺は、女芸人の中で一番巨体のSちゃんをイメージしながら書いた。

そのSちゃんの前の相方がNなのだ。

SちゃんはNとコンビ解散後、M1でブレイクし、全国的なスターダムにのし上がった。

俺はNの話を聞きながら寒けがした。いくらなんでも、ありえない偶然だ。

Nは自虐的に笑いながら「自分と関わった人間は売れるんです」と言った。

Nと一緒に住んでいたお笑い芸人Tは中学生時代に貧乏をした本を書いて、超ベストセラーを叩き出した。

俺はNを慰めるためにこう言った。「じゃあ、俺も売れるかもしれんな!  劇団に入ってくれてありがとう!」

その半年後、処女作『悪夢のエレベーター』の文庫がじわじわと売れ始めた。

そして、ドラマ化になり、舞台化になり、映画化になり、30万部を突破した。

こんなことがありえるだろうか?

今、書いていても寒けがする。

ちなみにNはまだ劇団に在籍している。

劇団ではNのことを福神様(もしくは福ちゃん)と呼んでいるし、飯を奢るときは「お供えをする」と言っている。

このエッセイを読んで「福の神をレンタルさせて欲しい」という企業や飲食店の方がいれば、ぜひ公演に来てくれ。

あなたにも幸運が訪れるかもしれない。

木下半太

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