第5話 雲居雁 真の地獄はハッピーエンドの後に

文字数 5,472文字

『探偵は御簾の中』の汀こるものさんの大胆不敵な解釈で、『源氏物語』を楽しく読もうというこの企画に、光源氏の子・夕霧がメインとして登場。生真面目と言われる夕霧だが、その恋愛模様は見どころ満載のようで。……親が親なら子も子ってこと

 高貴な女が顔を隠さなければならなかった平安時代。普通にしていたら男女は出会えなかった。

 では女はどんな理想の恋を夢想していたのか。


 素敵な幼馴染みと仲よく育ってそのまま結婚!

 これが1番真っ当なルート!


 今回は光源氏の息子・夕霧といとこ姫の雲居雁の話です。


 第二十一帖『乙女』あらすじ

 葵の上の遺児で光源氏の跡取り息子・夕霧は左大臣家で祖母・大宮に育てられていた。大宮のもとにはもう1人、親の離婚で持て余された頭中将の娘の雲居雁が預けられていた。いとこである2人は仲睦まじく育った。大宮も2人を微笑ましく見守り、このまま結婚してくれれば、などと思っていた。

 しかし12歳になった夕霧は貴族の慣例に倣い、元服することに。元服したらもう雲居雁と顔を合わせて暮らすことはできない。

 それだけではない。光源氏は自分が甘やかされて育ったため、息子にはきちんと学問をさせたいと大学寮に入れることにした。夕霧は大学寮の学生として身分の低い扱いを受ける。

 またこの頃、内大臣になっていた頭中将は光源氏が六条御息所の娘を養女として冷泉帝の妃にしたのが気に入らない。自分も帝に妃としてさしあげられる姫君はいないかと慌てて、雲居雁がいるのを思い出した。

 だが雲居雁はすっかり夕霧との仲を噂されてお妃どころではなかった。

「知らないのは親ばっかり」

 乳母たちがささやくのを聞いて頭中将は激昂。

「子供だと思って油断していたらよくも恥知らずな真似を! これというのも皆が甘やかしていたから!」

 大宮や乳母たちをひどく罵って雲居雁を無理矢理邸に引き取る。罵られた乳母もいい気分ではない。

「姫さまの初めての恋人が学生ごときなんて」

 その一言に夕霧は深く傷ついた。

 こうして幼い初恋は引き裂かれ、夕霧は美しい五節の舞姫の姿を垣間見て心の慰めとするのだった。


 普通に幼馴染みでくっついたら障害がなさすぎるので急にキャラ変して悪役になる頭中将!

 20代の頃はあんなに光源氏とベタベタしてたのに、妹の産んだ子には謎の塩対応!

 プロットの犠牲になった!


 更に大学寮でしなくていい苦労をさせられる夕霧。貴族のボンボンは家庭教師に漢文を教わったり教わらなかったりする程度なのに。

 ここまでネグレクトされていたのに急に父親ヅラで出てきた光源氏から無茶ブリの嵐。


 この後、夕霧が18歳になるまで2人の恋は延々とお預けされることになった。

 問題は。


 この帖のタイトル、『乙女』、雲居雁のことではなく光源氏の乳母の子・惟光の娘。

 年に1度、十一月の五節に厳選した美少女を内裏で舞い踊らせるのが五節の舞姫。まあ美少女コンテストです。


 失恋していきなり美少女コンテスト入賞者に乗り換える夕霧12歳。

 ……悲恋とは? 幼恋とは?


 大宮のもとを追い出されて夕霧にも母代わりが必要だろうと、光源氏はハーレムの中から教育係を1人選んだ。

 花散里。

 大臣家の出で顔はぱっとしないが風雅を解し、気立てがいい。


 夕霧評では「色ボケ親父、面食いかと思ってたけどこういうのも養ってんだな」


 ……このクソガキ……


 光源氏は光源氏で、紫の上を夕霧に会わせたら何をされるか気が気でなく、「比較的どうでもいい方の花散里」を出したのだった。


 ……このクソオヤジ……


 まあ頭中将の機嫌だけの話なのでやっと許されて夕霧と雲居雁がくっつくのは第三十三帖『藤裏葉』です。これはファストなのでその辺ファストです。

 めでたしめでたし、今週はさっさと終わった。


 ……そうは問屋が卸さないのが源氏物語の恐ろしいところだ! この話に「めでたしめでたし」などなく、紫式部は誰も生かして帰さない!

 まだまだ地獄につき合ってもらう。夕霧が飲む小野山荘の煎茶は苦い。


 第三十九帖『夕霧』あらすじ

 大将となった夕霧は親友だった柏木衛門督が死んで、妻・落葉の宮と母・一条御息所の世話をするようになっていた。実のところ、薄幸の未亡人に下心あってのことだった。御息所が病んで小野山荘に引きこもっている最中、夕霧は強引に落葉の宮に夜這いをかけるがすんでのところで落葉の宮は襖の奥に引っ込んでしまった。

 夜這い事件で2人が恋仲と誤解した一条御息所は「娘と結婚するならきちんとしてほしい」と夕霧に手紙を書く。しかしその手紙は嫉妬深い雲居雁が隠してしまった。そうとも知らず、性急だったのでもっとゆっくり落葉の宮を口説こう、と暢気に考えている夕霧。

 正式な結婚は3日間、間を置かずに通って3夜目に餅を食べるもの。2日目の夜に来なかった夕霧の不実な態度に一条御息所は衝撃を受けて卒倒。そのまま絶命してしまう。やっと夕霧が駆けつけたときには手遅れだった。

 こうなったら責任を取って結婚するしかあるまいと落葉の宮をもとの邸に戻す夕霧だったが、そこは彼女にとっては柏木を迎えていた家。母の死にざまを恨みに思った落葉の宮は結婚などとんでもないと塗籠に閉じこもる。

 かたくなな落葉の宮と、強引に塗籠の中で契りを結ぶ夕霧。だが恋が成就した喜びはなかった。雲居雁も子を残して実家に帰ってしまった。


「姫君ですって。あれは鬼みたいなもんです」


 あのかわいかった夕霧と雲居雁がひどいことに! ファストだから飛ばしたけどかわいかったんです!

 くっつくのに十二帖もかかったのに、たった六帖で破綻する夫婦!

 理由は、7人も子供が産まれて夜泣きするのを世話している雲居雁にうんざりしたから!


 正直メチャメチャ面白いです。やっぱり男と女は命の取り合いしてナンボじゃのう!


 その、鬼みたいな雲居雁の台詞。


「おいらかに死にたまひね、まろも死なむ(今すぐ死んでください、わたしも死ぬから)」


 平安の姫君でも夫が浮気したら「死ね」って言うんだ!


 あのクソ野郎光源氏にはこんな素朴な罵倒を言ってくれる女は1人もいなかったと思うと、夕霧、愛されてるゥ!

 光源氏にその一言を言えないばかりに「死後強まる念」にまでなった女とかやっぱり妖怪だよな。1周2周回って新鮮。


 光源氏が相手にするのって帰るような実家のない、どっか後ろめたい目下の女ばっかりなので誰も死ねとか言ってこない。

 これがちゃんとした実家があって誇り高い貴族女性の態度。


 なおかつ政略結婚ではなく、気心が知れて好き合ってちゃんと意思疎通できる男と女。


 ここまでのめくるめく愛と悲しみの絢爛豪華な王朝文学は対等の喧嘩すらできない気の毒な女を偉そうなイケメンが一方的に「搾取」してただけで、恋愛なんかじゃなかったんですよ!


雲居雁「実家に帰らせていただきます!」

夕霧「勝手にしなさい。ああ何て薄情な女だ。娘ちゃんたちはお母さまの言うことなんか聞いちゃいけませんよーあれはダメな例ですよー」


 三十九帖目にしてものすごい普通の夫婦喧嘩を繰り広げる2人。


 夕霧は珍しくスキャンダルで世間に騒がれて、光源氏の自宅にも呼び出されて尋問を受ける。


夕霧「わたしは今際のきわに一条御息所さまに宮さまのお世話を頼まれたんです!」←大筋では間違っていないが大嘘

花散里「まあそういうことにしておきましょう。そもそも【あの】光源氏さまが夕霧さまの浮気をとやかく言うのもおかしな話ですねえ」

夕霧「そう! 父上ときたらいつもいつも女には気をつけろって、あんたに言われたくねーよ!」


 すごい普通!

 光源氏が経験したことのない普通!

 ここで光源氏からのコメント。


光源氏「……我が子ながらこんなイケメンに浮気すんなとか言うの、無理でしょ」


 経験がないからこれが精一杯。

 殺人ユニークスキルとか「運命力」を溜めて「チートを引き寄せる」とか胡乱な麻雀マンガみたいな話にばかりかかわってきた光源氏には常識的な夫婦喧嘩の仲裁などできなかった!

 龍神に祈って嵐を鎮めることならできたんだけど!


 これで紫式部は「こんな普通の夫婦喧嘩とか書きたくないし姫君がイケメンに泣かされてる方が面白いでしょう?」というつもりでお出ししている。


 この騒ぎの当事者が他にもいた。

 惟光の娘でかつての五節の舞姫、藤典侍。

 夕霧は雲居雁と遠ざけられているときは彼女に夢中だったが結婚してからはとんと通わなくなった。

 だが子供だけはバンバン5人産ませていた。

 女の人数は少なくても性欲は強い夕霧、雲居雁と藤典侍に次々子供を産ませてあわせて12人。光源氏はこのせいで、子供は3人しかいないのに孫がすごい人数いる。


 それでいて夕霧の第一子は雲居雁の子。

 自然消滅的に別れた後に藤典侍に子供産ませてる計算になる。おかしくない? 絶対嘘やん。流石に平安人もこの設定で17とかで愛人に子供産ませてたら推せないの?


 その藤典侍、雲居雁に当然嫌われているが不倫事件以来、2人で文通するようになった。

 いい話(?)

 夕霧はこんなことしてても平安時代では「真面目な方」らしい。マジかよ。


 一方でこの話には裏面があった。

 落葉の宮は、こちらは完全に今まで通りの搾取の物語だった。

 光源氏の兄・朱雀院の娘なのでこっちも夕霧からすればいとこ。

 母が少し身分が低く、夫から落葉呼ばわりされて自己肯定感が低い落葉の宮。平安女は基本ツンデレなので初回は一歩下がっただけだったのに、母親が自爆して大ダメージを受けて好きとか嫌いとかいう場合でなくなった。


 17歳の光源氏なら初回の夜這いで仕留めるところを真面目系クズの夕霧がしくじったばかりに、落葉の宮の方が何もしてないうちから不倫だ略奪愛だと無駄に指さされ生き恥を晒す。


 この頃の紫式部、モテ男より要領の悪い非モテ男を書く方が楽しくなっちゃっている。


 必死で塗籠に閉じこもって全力でストライキする落葉の宮。

 広々として壁が少ないため、御簾や衝立や几帳で仕切って使う寝殿造りの中にあって、【塗籠】は特別にガチガチに壁に囲まれた狭い部屋で主に物置として使う。


 大体、王朝文学で塗籠に入るのは罰ゲームです。

 普通は女の家に忍び込んだ男が人に見つかりそうになって隠れる場所で、女が自分からここに入るということはなかなかない。


 そんなに逃げ隠れしていても家来やら侍女やらが、

「責任は取ってもらった方がいいんだし。養ってもらったら将来安泰」

「大将閣下のお心遣いを台なしにするのも。いつまでもぐずぐず泣くな、みっともない」

 と各人が個別に判断して次々に夕霧側に寝返る。それぞれ筋が通っているのが一層ひどい。悲しいかな平安貴女は1人では生きられない。

 彼女の場合、父親・朱雀院に助けを求めても。


「出家したい? 夕霧とうまくいってないのか? 再婚も感心しないが、女が出家したら人生負けだよ。朕までスキャンダルがどうのと言ったら宮のプライドがガタガタだからはっきりとは言わないけど」


 なんか、根本的な誤解があった。

 なまじ夕霧がイケメンで身分が高いので誰も嫌っていると思っていない。そもそも元々の夫・柏木より夕霧の方が身分が高い。

 悲惨。

 どのみち、夕霧が偉すぎて

「クソガキ、うちの娘に何してくれとるんじゃ」

 とバチッと叱ったりしたら政治の話になり、最悪、国家転覆の危険がある。

 1回嫁に出した娘をそうまでして守らなきゃいけないかというと。

 悲惨。


 夕霧も「責任を取って結婚する」しか選択肢が出ないのでストライキされても超困る。無理矢理に塗籠に入ったものの泣き伏している女を前にするとテンションダダ下がるばかりだった。普通の人なので。


「……未亡人と不倫って思ってたのと違う」


 落葉の宮が諦めて夕霧の妻になったらなったで大問題が。

 雲居雁は柏木の妹で、落葉の宮は「妹から夫を略奪婚した」と柏木の兄弟に責め立てられる。

 恐らく柏木によく似た弟がわざわざ厭味を言いに来る。


「あーあー、身内としてお世話してるのは同じなのにわたしのことは御簾の中に入れてくれないんですかー」(※御簾の中に入る=セックス)


 ビッチ呼ばわり!

 かわいそうな女に追い討ちをかけるとき、紫式部の筆が走る!

 雲居雁から夕霧を奪う女が幸せでいいはずがないというヘイトコントロールも兼ねているのか!? やりすぎだよ!


 その後、どうなったって。

 20年後の宇治十帖になると大臣になった夕霧は月に15日は雲居雁のもとに通い、15日は落葉の宮のもとに通う生活をしていた。藤典侍の生死は不明。

 それで落葉の宮に

「あの頃はわたしたちもいろいろあったねえ!」

 とかほざいていた。


 普通の人間が1番惨いという話。


 大丈夫です。次回ではまた「運命力でチートを操作するオカルト平安ヒロインヴィラン」とか言い出しますから。


汀こるもの(みぎわ・こるもの)

 1977年生まれ。大阪府出身。追手門学院大学文学部卒。

『パラダイス・クローズド』で第37回メフィスト賞を受賞し、2008年にデビュー。以来、「THANATOS」「完全犯罪研究部」「レベル99」「探偵は御簾の中」シリーズ上梓のほか、ドラマCDのシナリオも数多く手がける。

Twitter:@korumono

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