伝説の作家に「講談社のCIA」と呼ばれた男。初代担当編集・F

文字数 1,955文字

20世紀最後の"古典”ミステリ『ハサミ男』

「ハサミ男の秘密の日記」に思いを寄せて。――初代担当Fの記憶

『ハサミ男』の“多分”最初の読者であろう、初代担当F(メフィスト座談会ネーム)です。作品との出会いは、四半世紀を経た今でも鮮明に思い出します。読み始めたのは、表参道の喫茶店の2階。装丁家との打ち合わせまでの待ち時間でした。


 投稿作品はレベル感がバラバラなので、いい作品に巡り合えればラッキーという感じです。――ところが、ワープロ印刷のコピー紙を一枚一枚読み進めるにつれ、これがただならぬ作品であることに気づきました。合い間30分ぐらい、最後まで読まなくても「メフィスト賞」と即断できました。


 透徹した世界観、揺るぎない文章、ミステリのみならず、SF小説や音楽など表現芸術への深い造詣――完成された作品でした。原稿チェック用に鉛筆を持ちながら読むのですが、チェックする点もなかったと記憶します。


 その後については、「秘密の日記」に書かれています。補足するのはおこがましいですが、いくつか、他愛もないことを記憶のままに。


 私(F)は「この作品は芥川賞」と言っていますが、これは今でもそう思っています。作品の、人間存在に対する思索の深さと現代性は今も色褪せません。そして「自殺願望」――このような思索ができる人はきっと、自身の存在も思索をする人であろう、そしてそれ故の苦悩を持つ作家であることは推測できます。


 ただこの苦悩は優れたアーチスト全般に言えるので、その後の打ち合わせで言うことはあったかもですが、この時点で言ったかは記憶に定かではありません。


 出版物を世に送り出すには、校閲(誤字脱字や事実関係、言葉の用法の正確性などを確認する)という作業があることはご存じでしょうか。特に講談社は校閲部がすべての出版物をチェックすることで、講談社の出版物のクオリティが担保されていると自負しています。しかし、『ハサミ男』の応募原稿には、プロの校閲の読んだ後でも、誤字脱字、表現の間違いなどはほとんどありませんでした。


 応募原稿には、本名・住所・電話番号が書いてありました。原稿を読み終えてすぐに電話しましたが、不通。電報を出しても返信がなく、殊能氏と連絡が取れない事態に。


 福井在住……偶然にも私と同じ出身なので、もしかしたら同窓かと思い至って、高校の卒業生名簿を調べると、これが当たり。本名から実家の住所がわかり、そこに名刺を添えて手紙を書きました。お姉さんから出版部に電話をいただけましたので、事情をお話しし、弟さん(殊能氏)に繋いでいただいた次第です。ほぼ偶然の結果なので、講談社中央情報局には微苦笑です。


 そして、当時、プレゼントグッズとして作っていたテレホンカードを送りました。今思えばもっと送ればよかったと。あと「渡しぎり」という言葉がでていますが、「渡し切り(きり)」が正しくて、作家の先生が地方からいらっしゃる時には、交通費や宿泊費を余裕をもってお渡しする(精算ではなく、渡して終わり)ということが慣例でした。


 私はこの(2022年)夏、定年退職となります。編集者として、少女マンガ、青年情報誌、小説・ノベルス、キャラクター情報誌などさまざまな分野で、数多くの素晴らしい才能を持つ表現者の方々と出会い、仕事をしてきました。


 そのなかで、殊能将之氏は最高の表現者でした。編集者として、また一読者としても、その才能と出会えたことは、至福の出来事であり、作品に関われたことは自分の誇りです。夭折なされたことは残念でなりません。


 作家がお亡くなりになり、既に四半世紀ものブランクがあるにも関わらず、このような新刊が出ることは珍しいことです。表題で“古典”としたのは、いまだに『ハサミ男』が読み継がれているからです。読んだら誰かに教えたくなる・・・・・・“古典”と言うに相応しい名作です。


 蛇足ながら、いまはもう叶わぬことですが、殊能氏に投げてみたかった企画がありました。『日本SF小説史』――日本SF史に残る大作が上梓されたことでしょう。

文:F(えふ)

殊能将之氏の初代担当編集。「F」はメフィスト賞応募作を論評する匿名座談会で使用された名前。「ハサミ男の秘密の日記」にも登場する。少女マンガ、青年情報誌、小説・ノベルス、キャラクター情報誌などの編集者を歴任した。

『殊能将之 未発表短篇集』殊能将之/著

著者の没後に発見された短篇と「ハサミ男の秘密の日記」を収録。待望の文庫化。


殊能将之(しゅのう・まさゆき)

1964年、福井県生まれ。名古屋大学理学部中退。1999年、『ハサミ男』で第13回メフィスト賞を受賞しデビュー。著書に『美濃牛』『黒い仏』『鏡の中は日曜日』『キマイラの新しい城』『子どもの王様』などがある。

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