その恋、叶えたいなら「野性」に学べ! 『パンダより恋が苦手な私たち』試し読み①

文字数 4,027文字

動物たちの求愛行動をヒントに、人間の恋の悩みをスパッと解決!?

イケメン変人動物学者とへっぽこ編集者コンビでおくる、笑って泣けるラブコメディー「パンダより恋が苦手な私たち」がいよいよ6月23日発売されます! その刊行を記念して、試し読みを大公開!

今日はプロローグをお届けします!

 プロローグ



 私たちの恋に足りないものは、野生だ。


 それが、これまで耳にした恋愛に関する格言の中で、とびきり刺さったものだ。

「人生でもっとも素晴らしい癒し、それが愛です」とパブロ・ピカソは言った。ジョルジュ・サンドは「愛せよ。人生でよいものはそれだけだ」と言った。古代ギリシアの哲学者アリストテレスによると「愛とは、二つの肉体に宿る一つの魂」だそうだ。

 先輩から貸してもらった『偉人の名言・格言集(文庫版)』をぱらぱら捲ると、参考になるかならないかちょっと引くかは置いといて、たくさんの恋愛についての言葉がみつかる。

 人間は、大昔から恋愛について悩み続けてきた。それは今も変わらない。

 この瞬間も誰かが、恋について幸せな笑みを浮かべ、愛について悲しみの涙を流している。

 カフェに集まる若者たちの話題から恋の悩みがなくなることはないし、コンビニに並んでいる雑誌から恋愛のハウトゥ記事が消えることもない。

 でも、それは。

 どこか遠い世界で交わされる言葉だと思っていた。

 私が、柴田一葉として生きてきた二十五年間のうち、付き合ったのは一人だけ。

 交際期間は長かったけど、似たもの同士がなんとなくくっついて一緒にいただけ。そこには駆け引きもなかったし、二人の恋を隔てる障害もなかった。

 人生でもっとも素晴らしい癒しだと思ったことも、二つの肉体に宿る一つの魂だと感じたこともない。私の恋愛経験は外国家電の取説くらいペラペラだ。

 それなのに、なんで。

 この部屋に来るたび、同じ言葉が浮かぶ。

 なんで、私が、恋愛コラムなんて書くことになったんだ!

 雑誌の編集者になって三年。女性向けカルチャー雑誌で、趣味や習い事に関する記事ばかり作ってきた。それがいきなり恋愛コラムなんて、無茶振りにもほどがある。

 目の前のパソコン用ディスプレイからは、とりあえず落ち着けと諭すように、打ち寄せる波音が響いてくる。

 私がいるのは、北陵大学にある准教授の居室。部屋の中央に置かれた二人掛けのソファに座っている。

 正面のディスプレイには、出会ったばかりの男女が海でイチャつく動画が流れていた。椎堂准教授が集めている資料映像の一つだ。


「今はまだ、カップルにはなっていない状態だ。距離感がぎこちないのがわかるだろう」


 よく通るバリトンが解説する。

 画面の隣には、視界に入るたびに息を止めてしまいそうなイケメンが立っている。服装は、上品な紺色のテーラードジャケットにベージュのスラックス。どちらもブランド名はわからないけれど、仕立ての良い品だってことはわかる。

 イケメンでオシャレ、黙っていれば女子学生の間でファンクラブでもできそうな大学准教授が、少年のように目をキラキラさせながら語っていた。

 彼の名前は、椎堂司。

 恋愛に関して日本屈指のスペシャリストと言われている。その話を聞いて、恋愛コラムを書くためのヒントにしたいと取材を申し込んだ。それから、定期的に研究室を訪れている。

 けれど、私は一つ、大きな勘違いをしていた。

 画面に映っている仲の良さそうな一組のカップル。ぴたりと寄り添ったまま、手を繫いだり、首筋に鼻をくっつけたりを繰り返している。彼らは────白と黒の毛で覆われていた。

 二匹のラッコが横並びになって、波の上をちゃぷちゃぷ漂っている。

 かわいい。かわいいけど、ちがう。

 椎堂先生は、間違いなく恋愛の専門家だった。

 野生動物の。


「ラッコの求愛行動は、オスからメスへのアピールから始まる。発情しているメスを見つけると、鼻先でつついたり体を寄せたりして脈があるかどうかを確かめる」


 画面の中では、二匹のラッコが空に腹を向け、体の側面をこすり合わせるようにして漂っていた。丸いつぶらな瞳にどこか間の抜けた表情、たまらなく可愛い。

「カップルが成立すると、二匹はしばらくこうして波の上を漂う。一緒に波の上を漂うなんてロマンチックだろう? お互いの相性を確かめ、パートナーになってもいいと思えたら、次の行動に移る」

「ちゃんと段階を踏んで付き合うんですね」

「あぁ。もうすぐ次の段階だ」

 椎堂先生の言葉と同時に、オスが体を反転させる。

 キスでもするように、メスの鼻先に顔を寄せた。

 次の瞬間、微笑ましい光景が一変する。

 オスが、ばくっと大きく口を開けた。口元から覗いた鋭い牙。可愛らしい姿に忘れていたけれど、彼らが肉食獣だってことを思い出す。めいっぱい開かれた口からは、牙どころか、歯茎まで剝き出しになっていた。なにこれ。ホラー映画? 寄生獣? 恋人が怪物に変身するシーン、そんな感じ。

 そのままメスの鼻の下にガブリと嚙みつく。

 なに、この衝撃映像。

 メスは逃げるように体をひねるけど、オスは嚙みついたまま離れない。二匹はもつれあうように回転する。メスとオスが交互に海面に姿を見せては、また海の中に沈んでいく。

 横から、嬉しそうなバリトンが続く。

「ラッコの求愛行動のフィナーレは、オスがメスの鼻の下に嚙みつく。そして、メスが逃げなければカップル成立だ。そのまま、オスはメスを押さえつけて交尾をする」

 メスの鼻の周りの毛が徐々に赤く染まっていく。怖い、怖すぎる。

「血っ、血ぃでてるじゃないですか」

「もちろんだ。しっかり嚙みついていないと、海の上では体勢が維持できないからな。交尾をした後のメスは鼻に怪我をしているから、人間のキスマークなんかよりはっきりとわかる」

「そんなところで見分けられるなんて、あんまりだ!」

「あんまりと言えば、メスのラッコは、このときの怪我がもとで感染症を引き起こして死んでしまうことがある。まさに、ラッコのメスは、命を懸けて恋をしているのだ」

「そんな酷いことっ、ついでみたいに言わないでっ」

 椎堂先生が説明するあいだも、オスラッコとメスラッコは、何度も体を回転させていた。切ない。切ないよ、ラッコのメス。どうして人間も動物も、女ばかりが体を張らなきゃいけないんだ!

「この命を懸けた恋愛は、ラッコが子孫を残すためには重要なことだ。水族館で生まれたり、若いころに水族館に連れてこられたオスのラッコは、これができないらしい。メスにアピールを無視されたり、鼻に嚙みつこうとして抵抗されると、すぐに諦めてしまう」

「なんか、どこかで聞いたような話ですね。ラッコにも草食系がいるってことですか?」

「馬鹿を言うな。ラッコはみんな肉食だ」

「いえ、そういうことじゃなくてですね。草食系っていうのは恋愛にあんまり積極的じゃない人たちを指す言葉ですよ。受け身だったり、自分からアピールするのが苦手だったり」

「ほう、そんな言葉があるとは知らなかった。人間の恋愛には、全く興味がないからな」

「私はこの言い方、嫌いですけど」

 日本の男性が草食系になってきている、なんてのは、もう使い古された言葉だ。

 同じ若者としては、そんなのほっとけよ、恋愛に積極的じゃないことのなにが悪い、人それぞれ大切なことは違うだろ、と思うのだけれど……たしかに、恋愛に限らず、他人に嫌われることに過敏になっている人は多いような気がする。

「とにかく、野生動物の求愛行動には、しつこいくらいの諦めの悪さや、空気なんて読まない強引さ、そういった積極性が時として必要なのだ。種の存続という大義名分の前では、嫌われるなど些細なことだ」

 ──お。今の、使えるかもしれない。

 ノートにラッコの求愛行動と、椎堂先生の言葉をメモする。

 私が担当している恋愛コラムのタイトルは『恋は野生に学べ』。

 読者から寄せられた恋の悩みに、動物たちの求愛行動をからめて回答するという企画だった。

 これから、椎堂先生から聞いたネタを元にして恋愛コラムを書かないといけない。考えただけで頭が痛くなるけれど、残念ながら、これが今の仕事だ。

 改めて、今日、何度目かの言葉が頭に浮かぶ。


 本当に、なんで、こんなことになったんだ!



6月16日公開 「第1話 失恋にはペンギンが何羽必要ですか? ①」 へ続く!

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ヒトよ、何を迷っているんだ?

サルもパンダもパートナー探しは必死、それこそ種の存続をかけた一大イベント。最も進化した動物の「ヒト」だって、もっと本能に忠実に、もっと自分に素直にしたっていいんだよ。

あらすじ

中堅出版社「月の葉書房」の『リクラ』編集部で働く柴田一葉。夢もなければ恋も仕事も超低空飛行な毎日を過ごす中、憧れのモデル・灰沢アリアの恋愛相談コラムを立ち上げるチャンスが舞い込んできた。期待に胸を膨らませる一葉だったが、女王様気質のアリアの言いなりで、自分でコラムを執筆することに……。頭を抱えた一葉は「恋愛」を研究しているという准教授・椎堂司の噂を聞き付け助けを求めるが、椎堂は「動物」の恋愛を専門とするとんでもない変人だった! 「それでは――野生の恋について、話をしようか」恋に仕事に八方ふさがり、一葉の運命を変える講義が今、始まる!

瀬那和章(せな・かずあき)

兵庫県生まれ。2007年に第14回電撃小説大賞銀賞を受賞し、『under 異界ノスタルジア』でデビュー。繊細で瑞々しい文章、魅力的な人物造形、爽快な読後感で大評判の注目作家。他の著作に『好きと嫌いのあいだにシャンプーを置く』『雪には雪のなりたい白さがある』『フルーツパーラーにはない果物』『今日も君は、約束の旅に出る』『わたしたち、何者にもなれなかった』『父親を名乗るおっさん2人と私が暮らした3ヶ月について』などがある。

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