『風立ちぬ』/鯨井あめ

文字数 1,497文字

8月27日(金)から、『劇場版 アーヤと魔女』がいよいよ全国ロードショーされますが、夏休みの夜といえば、そう、ジブリ映画ですよね!


「物語と出会えるサイト」treeでは、文芸業界で活躍する9名の作家に、イチオシ「ジブリ映画」についてアンケートを実施。素敵なエッセイとともにご回答いただきました!

9月4日まで毎日更新でお届けします。今回は鯨井あめさんです。

鯨井あめさんが好きな作品は……


『風立ちぬ』

 2013年の8月。半券を片手にシートへ腰を下ろし、楽しみだね、と隣の家族に囁いた。ジブリ作品に触れたときに生まれる、幼心をくすぐるワクワクやドキドキが好きだった。『風立ちぬ』も同じような歓びを与えてくれるはずだと思っていた。


 私があの日あの劇場でスクリーン越しに受け取ったものは、目を閉じて浸りたくなるような青い熱意と強い信念と迸る衝動だった。良い映画だった、で終わらせたくない。他人と共有したくない。この歓喜と寂寥をひとりで消化したい。噛み砕こうとしても呑み込もうとしても無理だった。結局何も言葉にできず、劇場に心を残したまま、私は映画館を去った。


 『風立ちぬ』の主人公、堀越二郎は飛行機が好きだった。ただ好きで、ひたすらに好きで、寝食を忘れるくらい好きだった。純粋な好奇心と理想を糧に飛行機をデザインし続けていた。

忘れられない台詞がある。尊敬する人物に零戦の出来を褒められたとき、堀越二郎が返した言葉だ。


「一機も戻ってきませんでした。」


 いろいろな解釈ができる文言だが、私にとってこの一言は、堀越二郎にとって零戦がどんなものだったのかを物語っているように聞こえた。

零戦。ミリタリーに明るくない私でも聞いたことのある名だ。その性能は当時の世界最高水準と言われている。けれど、『風立ちぬ』の堀越二郎が零戦を作ったのは、きっと、ただ純粋に美しい飛行機を作りたかったから。


 人生をかけて生み出した作品は、人を乗せて飛び立ち、一機も戻ってこなかった。自身の最高傑作が尊い命と共に散っていくことへの見解と、美しいと信じていたものが担わされた役割に対する感情を、彼はたった一言に込めた。


 心に染み渡るだけでなく、幾年経っても初見の記憶が色褪せない作品は数少ない。そして一心不乱な背中は、見た人に“夢中”を思い出させる。だから私はひとりで『風立ちぬ』を観る。2013年の8月、夕暮れの映画館に残したまま消えた、忘れ物を思い返すために。

鯨井あめ(くじらい・あめ)

1998年生まれ。兵庫県豊岡市出身。兵庫県在住、大学院在学中。執筆歴13年。2015年より小説サイトに短編・長編の投稿を開始。2017年に『文学フリマ短編小説賞』優秀賞を受賞。2020年、第14回小説現代長編新人賞受賞作晴れ、時々くらげを呼ぶでデビュー。

今までの自分をきれいさっぱり捨て去って生まれ変わることができたら、どんなに幸せだろうか――。
誰もが一度は思うこと、その願いへのひとつの答えがここにある。



自分に何の期待もできず、自堕落な生活を送る大学生の敷石和也。
ある日突然、全く知らない子どもの姿となって目覚める。目の前には、小学生時代の自分が。
なんと「赤の他人」として10年前にタイムスリップしてしまった……!
大人びた優等生のクラスメイト・渡来凛、いつも一緒だった友達の飯塚正人と田島拓郎。
その中にあって小学生時代の自分を客観的に見つめる和也。
果たして和也は自分の身に起こった、この奇妙な奇跡とどう向き合っていくのか?

デビュー作『晴れ、時々くらげを呼ぶ』が4刷の大反響、鯨井あめが紡ぐ最新作!

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