〈6月1日〉 月村了衛

文字数 1,036文字

ぼくは泣いた


「公園に行ってくるわ」
 冷凍食品のチャーハンを平らげた後、孝史はそう言って遊びに出ようとした。小学校はいつまで経っても休みのままだから、昼食の後は何もすることがない。
 いつもならスマホから顔も上げずに「気ぃつけてな」と言うだけの母が、その日は違った。
「行ってもええけど、裕太くんがおったらすぐに帰ってきいや」
「なんでや。ぼく、裕太くんと遊ぶの好きやねん」
 驚いて聞き返す。裕太は孝史と同じ三年生で、一番の仲良しだった。
「裕太くんのママの勤めとる病院で感染者が出たんやて。今LINEで回ってきたんや」
「そんなん関係あらへんやん」
「アホかあんたは。関係あるから言うとんねやがな。あんたにまで病気が移ったらどないする気や」
 孝史は混乱した。
「裕太くんや裕太くんのママが病気になったん?」
「そうやないけど」
「そやったらええやんか」
「ようないて。まだ発病しとらへんかってもな、病院に勤めとる人も病気持っとる可能性があるんや」
 束の間考えてから、孝史は尋ねた。
「お医者さんとか看護師さんとか、みんな病気になるかもしれへんゆうこと?」
「そうや」
「そやったら、誰が病気治すのん?」
 母は詰まったようだった。
「いつも言うてたやん、裕太くんのママは病院でよう働いて、一人で裕太くん育てとってえらいなあて。あれ嘘やったん?」
「嘘やないけど」
「ぼくらかて風邪引いて裕太くんのママに診てもろたことあるやん」
「なんやこの子は、しょうもない理屈ばっかり言うて。ええか、もう裕太くんに近寄ったらあかんで。一緒に遊んだりしたら二度と家へ入れへんからな。よう覚えとき」
 今まで見たこともないような形相で母は怒鳴った。とても嫌な顔だった。
 三年生になって初めて、孝史は声を上げて泣いた。


月村了衛(つきむら・りょうえ)
1963年大阪府生まれ。早稲田大学卒業。2010年『機龍警察』で小説家デビュー。2012年に『機龍警察 自爆条項』で第33回日本SF大賞、2013年に『機龍警察 暗黒市場』で第34回吉川英治文学新人賞、2015年に『コルトM1851残月』で第17回大藪春彦賞、『土漠の花』で第68回日本推理作家協会賞、2019年に『欺す衆生』で第10回山田風太郎賞を受賞。他の著書に『東京輪舞(ロンド)』『悪の五輪』などがある。

【近著】

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み