『薔薇のなかの蛇』文庫版解説/三宅香帆

文字数 2,626文字

恩田陸さんの水野理瀬シリーズ『薔薇のなかの蛇』が文庫化です!

そこでこの作品を中学生時代に読んで「ああ、やっと”こういう女の子”がヒロインになってくれた」と思ったという書評家・三宅香帆さんによる文庫版所収の解説を、特別に一部掲載いたします!

解説 秩序と混沌の館に佇む少女

三宅香帆(書評家)


 館の扉をひらくと、いつだって彼女に会えるような気がする。

 彼女はいつも、館のなかにいた。

 暗く、閉じられた、しかし守られた、美しい秩序ある場所。──それは閉じられた全寮制の学園であり、百合の香りのする館であり、睡蓮の見える古い館であり、いつかどこかで夢に見たような気がする三月の国のことだった。

 館のなかにいる彼女は、いつだって聡明で美しく、それでいて、いつかその秩序が決壊する痛みを知っていた。


 水野理瀬。その名前を読むと、いまだに胸の奥が疼く。自分が読者としてはじめて彼女と出会ったときのことを思い出すからだ。


「ああ、やっと〝こういう女の子〟がヒロインになってくれた」


 はじめて〈理瀬シリーズ〉を読んだ時、当時中学生だった私は、「自分はこういう話が読みたかったんだ!」と思ったことをよく覚えている。


 小説にしろ漫画にしろアニメにしろ、それまで読んでいた物語において、なぜかヒロインは賢さか強さか美しさのどれかを奪われていることが多かった。一方でたまに登場する強さも賢さも美しさも兼ね備えた少女は、ヒロインの友人に追いやられたり、あるいは主人公の手の届かない遠い場所に据え置かれていたのだ。なぜだろう、なぜ少年はみんな強くて格好良いヒーローが許されるのに、少女はどこか欠点が求められるのだろう、と心底不思議だった。


 しかし私は恩田陸の描く「水野理瀬」という少女に出会って、驚いた。ああ、こういう女の子の物語をずっと読みたかったんだ。そう気づいたのだった。そう、思春期の私にとって一番憧れたヒロインが、水野理瀬という少女だった。


 いうまでもなく、本書の主人公である。


 本書『薔薇のなかの蛇』は、二十歳の水野理瀬がイギリスで活躍する物語である。本書の刊行を知った時、十七年ぶりに理瀬に会える──そう思わず歓声を上げてしまった。おそらく私と同じように〈理瀬シリーズ〉の新刊を待ち望んでいた人はたくさんいるだろう。


 水野理瀬の物語を振り返ると、彼女が初めて私たちの前に姿を現したのは、『三月は深き紅の淵を』だった。その中の一編で、幻の稀覯本『三月は深き紅の淵を』をめぐる物語が収録された短編「回転木馬」において、水野理瀬は湿原のなかを通り抜け、ある学園寮へ辿り着く。


 予告編のような「回転木馬」で示された全寮制の学園の物語は、長編『麦の海に沈む果実』でその全貌を明らかにする。「三月以外の転入生は破滅をもたらす」──そんな噂とともにやってきた転校生・理瀬を、学園のさまざまな不可解な謎が襲う。この学園で出会ったのが、『薔薇のなかの蛇』にも登場するヨハンである。理瀬が学園で出会ったもうひとりの友人・憂理の物語は、長編『黒と茶の幻想』で詳しく綴られる。


 また短編小説にも理瀬やヨハンは登場する。「睡蓮」(『図書室の海』所収)においては理瀬が学園へ行く前の物語が、「水晶の夜、翡翠の朝」(『朝日のようにさわやかに』所収)においては理瀬が学園を去った後のヨハンが、それぞれ描かれている。また「麦の海に浮かぶ檻」(アンソロジー集『謎の館へようこそ 黒』所収)は、理瀬が学園にやって来る前、学園から逃亡しようとした子供たちがいたことを校長が回想する物語となっている。このように〈理瀬シリーズ〉は理瀬を取り巻く魅力的な人間関係とともに、理瀬の来歴が紐解かれてきたのだった。


 長編『黄昏の百合の骨』は、学園を出た後の理瀬が、長崎の洋館に住んでいた時のことが描かれる。この作品の終盤で、理瀬がイギリスへ渡ることが示唆されていたのだが、まさに『薔薇のなかの蛇』はそんな理瀬のイギリス留学時の話となっている。


 とはいえ、もちろん『薔薇のなかの蛇』は単体で読んでも、つまりこれまでの理瀬の物語を知らずとも、ゴシック・ミステリとして十分に楽しめる。もし本書を読んで理瀬の過去に興味を持った方がいたら、〈理瀬シリーズ〉こと『麦の海に沈む果実』や『黄昏の百合の骨』を手に取ってみることを心から薦めたい。

※この続きは『薔薇のなかの蛇』(講談社文庫)でお読みください。

可憐な「百合」から、妖美な「薔薇」へ。

変貌する少女。呪われた館の謎。
「理瀬」シリーズ最新長編!


英国へ留学中のリセ・ミズノは、友人のアリスから「ブラックローズハウス」と呼ばれる薔薇をかたどった館のパーティに招かれる。そこには国家の経済や政治に大きな影響力を持つ貴族・レミントン一家が住んでいた。美貌の長兄・アーサーや、闊達な次兄・デイヴらアリスの家族と交流を深めるリセ。
折しもその近くでは、首と胴体が切断された遺体が見つかり「祭壇殺人事件」と名付けられた謎めいた事件が起きていた。このパーティで屋敷の主、オズワルドが一族に伝わる秘宝を披露するのでは、とまことしやかに招待客が囁く中、悲劇が訪れる。屋敷の敷地内で、真っ二つに切られた人間の死体が見つかったのだ。さながら、あの凄惨な事件をなぞらえたかのごとく。

恩田 陸(おんだ・りく)

宮城県生れ。早稲田大学卒。

1992(平成4)年、日本ファンタジーノベル大賞の最終候補作となった『六番目の小夜子』でデビュー。2005年『夜のピクニック』で吉川英治文学新人賞、本屋大賞を、2006年『ユージニア』で日本推理作家協会賞を、2007年『中庭の出来事』で山本周五郎賞をそれぞれ受賞した。2017年『蜜蜂と遠雷』で第156回直木賞と第14回本屋大賞を受賞。

三宅香帆(みやけ・かほ)

1994年生まれ。高知県出身。京都大学大学院人間・環境学研究科博士前期課程修了。大学院時代の専門は萬葉集。大学院在学中に書籍執筆を開始。著書に『人生を狂わす名著50』、『文芸オタクの私が教える バズる文章教室』、『副作用あります!? 人生おたすけ処方本』、『妄想とツッコミでよむ万葉集』、『(読んだふりしたけど)ぶっちゃけよく分からん、あの名作小説を面白く読む方法』、『女の子の謎をとく』、『それを読むたび思い出す』、『(萌えすぎて)絶対忘れない! 妄想古文』など多数。ウェブメディアなどへの出演・連載など幅広く活躍中。

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