『となりのトトロ』/品田遊

文字数 1,242文字

8月27日(金)から、『劇場版 アーヤと魔女』がいよいよ全国ロードショーされますが、夏休みの夜といえば、そう、ジブリ映画ですよね!


「物語と出会えるサイト」treeでは、文芸業界で活躍する9名の作家に、イチオシ「ジブリ映画」についてアンケートを実施。素敵なエッセイとともにご回答いただきました!

9月4日まで毎日更新でお届けします。今回は品田遊さんです

品田遊さんが好きな作品は……


『となりのトトロ』

幼少期に、『となりのトトロ』のVHSを繰り返し繰り返し観ていた。市販品ではなく、テレビ放送の録画だったはずだ。合間に挟まるCMまで幾度となく観て育ったので、私の『トトロ』はもはや面白いとかつまらないを超えている。自分の体臭がわからないのと同じように、トトロが映画としてどういうものなのかが私にはわからない。


ひとつ、記憶に刻まれている感覚がある。


トトロやネコバスは子どものときだけ出会えるふしぎな存在だ。メイはもちろん、しっかりもののサツキも姉の立場を忘れ子どもに戻ったときトトロと対面する。トトロのおなかに抱きついて飛翔するシーンは、何度見ても本当に気持ちがいい。


子どもの頃の私はそれを眺めながら、とある確信を抱いたのだった。


たぶん自分にはトトロが見えない。


トトロは子どものときにだけ見える。しかしサツキが通う小学校の子どもたちがトトロを見ていたというようなシーンはなかったし、クライマックスで疾走するネコバスを、その他大勢の子どもたちは見ていなかったような気がする。


もしかしたら、物語の外側では彼らもトトロに出会っていたのかもしれない。だとしても、自分がトトロに出会うことはない。そう直感した。同じVHS映像を何度も再生する子どもである自分を、トトロが気に入るとは思えない。昔から「純粋な子どもだけに見える」という類の神話において、自分は対象外の子どもだと感じていたし、そう感じる卑屈さが何よりの証明だと思っていた。メイやサツキは神々の顔色を伺ったりはしない。


先日、通販で『トトロ』のDVDを購入して久しぶりに見返した。私はきっと人生のどのタイミングでもトトロが見えない。これからもモニター越しに彼らと会うのだろうと思った。

品田遊(ダ・ヴィンチ・恐山)

小説家・ライター。株式会社バーグハンバーグバーグ社員。著作に『名称未設定ファイル』(キノブックス)、『止まりだしたら走らない』(リトルモア)など。最新作『ただしい人類滅亡計画』(イーストプレス)発売中!

【Twitter】@d_v_osorezan@d_d_osorezan@shinadayu

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