【歴史・時代】『ポトガラ始末記』

文字数 1,838文字

【2021年2月開催「2000字文学賞:歴史・時代小説」受賞作】


ポトガラ始末記


著・坂上 右京


幕末津藩の写真師・堀江鍬次郎と盟友・上野彦馬の藩邸活動時代。こんな事件があったかもしれません。


 先日撮影したポトガラを前にして、上野彦馬は悩んでいた。

「お、こないだのポトガラ、もうできたのか」

 いつの間にか、堀江鍬次郎が後ろに来ていた。

 堀江と上野は、長崎の海軍伝習所で出会い、意気投合して写真術を研究し、現在、堀江が自分のところの藩主をうまくのせて買わせた最新式カメラを手に、二人で江戸の津藩邸で写真三昧の日々を送っている。

「それが、どうも気になるところがあるんだ」

 上野は、持っていたポトガラを堀江の前にヒラつかせた。

「ご家老のポトガラだな。どこが…」

 堀江は、何かに気づいたらしく無言になった。

「最初は、薬品の調合がおかしかったかと思ったんだがな」

 上野が言うと、堀江は首を横に振った。

「いや、これはどう見ても…」

「言うか、言葉にして」

「言う。どう見たって、おなごの首ではないか!」

 堀江が言うと同時に、上野はポトガラを取り上げ、人差し指を自分の口に当てた。堀江も慌てて両手で自分の口をふさいだ。

 そのポトガラは、家老を写したものだが、にこやかに座る家老の腰の右あたりに、女性の顔が写っているのだ。

「どうする、堀江」

「うーん、一度長谷部様に相談しよう」

 堀江は、上役の名前を出した。


 長谷部は執務中だったが、堀江が廊下へ呼び出した。

「申し訳ございません。お忙しいところ」

「どうした、珍しい。ポトガラのことなら執務室の中でもよかろうに」

 長谷部はそう言いながらも、何かあるのかと少しワクワクした様子である。何しろ、まだまだ目新しいポトガラヒー関連とあらば、興味をそそる。

「実は、先日撮影いたしましたご家老のポトガラができたのですが、いかが致したものかと」

 堀江は、そう言ってポトガラを長谷部に渡した。

「ふむ、よく撮れて……うわーっ!」 

 長谷部は、思わずポトガラを落としてしまった。執務室からは部下たちが、何事かと顔を出した。堀江は手早くポトガラを拾い、後ろ手に隠した。

「いや、何でもない」

 長谷部も冷静を装って部下たちに告げた。

 障子が閉められるのを見届けて、長谷部は堀江を手招きし、近くの空き部屋へ入った。

 長谷部は、大きなため息を一つつくと、

「とんでもないものを撮ったものだな」

と言った。

「はい。それで、いかがしたものかとご相談をしようと思いまして」

 例のポトガラを前にして、しばらく沈黙が流れた。

「お見せするわけにはいかんやろな」

 沈黙を破ったのは長谷部だった。まだ動揺が残っているようでついお国なまりが出ている。

「やはり、そうでございましょうね」

「もし薬品の調合誤りや、よくある現象なら、『こういうこともございます』という報告も必要だ。何しろ、百五十両の藩費を注ぎ込んだんやからな。失敗も今後の成功の糧にせなあかん」

 長谷部の言葉を聞いて、堀江はこの人に相談して正解だったと内心思った。まだ若いが物事を広く見る力がある。

「ただな、今回はやめておこう」

 堀江は、長谷部の顔を見た。長谷部は咳払いを一つし、トーンを落としてこう言った。

「このおなごな、去年川に身を投げた藩邸の女中なんや」

「え!」

 堀江は思わず声を出してしまった。

「ようある話や。ご家老とねんごろになったものの捨てられたってわけでな」

 ちょうどいいタイミングで、近くの寺の鐘が鳴った。

「可哀そうになぁ。まだ忘れられんのやなぁ…」

 その言葉に同意するかのように、カラスが一声鳴いた。


 結局、家老のポトガラは薬品調合を間違えてしまって真っ黒になったということで報告がなされた。

 ただ、堀江と上野が困ったのは、家老が先般の失敗は気にしないのでもう一度撮ってくれと言ってきたことだった。

 そう言われてしまっては、撮らないわけにはいかなかったのだが、前日に長谷部を交えて三人で供養をしたのが効いたのか、シャッターを切る時、堀江が「お願いですから写らないでください」と念じたのが功を奏したのか、何事もなく無事にこやかな顔の家老のポトガラができあがった。

 しかし、堀江と上野はしばらくの間、ポトガラを撮ってからできあがるまで、心休まらなかったそうである。


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