Day to Day〈4月21日〉〜〈4月30日〉#まとめ読み

文字数 12,313文字

2020年の春、ここtreeで、100人のクリエーターによる100日連続更新の掌編企画『Day to Day』がスタートし大きな注目を集めました。この2021年3月25日、その書籍版が発売されます。


>通常版

>豪華版


treeでは、それを記念し、『Day to Day』の原稿を10本分ごと(10日分ごと)にまとめて、一挙に読みやすくお送りいたします。それでは……珠玉の掌編をお楽しみください!

〈4月21日〉子守唄を聴いている


 うち同様赤ちゃんがいると知って以来、城戸君とテレビ電話で育児の話をしまくっている。父親育児の愚痴はやはり父親同士でないと言えないのである。
 だが、今日は少々趣が違った。なぜうちの子が泣くのか分からないから知恵を貸してくれ、というのである。
 そもそもあれは理由なく泣く生き物だ、ということはすでにさんざん話題にしていたはずだが、城戸君曰くそれにしてもおかしいのだという。城戸君のところのちゃん(5ヵ月)は「立って歩きながら抱いている時だけ、それまでご機嫌で寝ていたのに突然泣きだすことがある」のだそうだ。奥さんや義父母が同じようにしても泣かないのに、いつも寝かしつけている城戸君の時だけ泣きだすことがあるのだそうである。しかもその頻度が増えてきているという。
 それを聞いて興味をそそられた。基本的に赤ちゃんというのは座ったまま抱くより立つことを求めるし、突っ立っているより歩いたり揺することを求める。めんどくさい話である。凜ちゃんも普段は立って歩き回ることを好むし、寝付くところまでは問題ないのだという。歩き方が変なのではないか、などと色々と訊いたが、画面内の城戸君はいずれも首を横に振った。それらの理由なら毎回泣いているだろうし、頻度が増えていることの説明がつかない。だが外をバイクが通ったとか気圧が下がったとかいう外的要因もないし、お腹が張っていたとかいった凜ちゃん側の要因もないという。なのに突然わっと泣きだすのだという。
 だが、考えているうちに1つ思いついた。
 俺は言った。「ひょっとして、病院に行った方がいいかもしれない」
「うそ? 凜そんなヤバい?」
「いや、城戸君が」

 後日、城戸君から礼を言われた。検査で不整脈が見つかったという。しかも立って歩くだけで出るほどで、わりとひどいらしい。つまり凜ちゃんは聞き慣れた父親の心臓の鼓動を子守唄にしており、それが突然乱れるため泣いていたのである。そういえば、赤ちゃんは胎内で母親の鼓動を聞いている、という話もあった。安心する音なのだろう。
 凜ちゃんに命を助けられたかもしれないな、と2人でしみじみし、リビングから泣き声が聞こえたので急いで通話を切った。赤ちゃんは今日も気ままに平常運転である。
似鳥鶏(にたどり・けい) 
1981年千葉県生まれ。2006年『理由あって冬に出る』で第16回鮎川哲也賞に佳作入選しデビュー。同作をはじめとする「市立高校」シリーズや『午後からはワニ日和』にはじまる「楓ヶ丘動物園」シリーズ、『100億人のヨリコさん』『叙述トリック短編集』『育休刑事』など著書多数。

〈4月22日〉



 よいふうふのひ、である。
 奇しくも今年迎えた結婚記念日はわたしたち夫婦にとって節目となるものだったが、今となってはあまり関係のないことだ。旅行をするわけでもない。どこかへ何かを食べに行くでもない。子どもから特別な祝いがあるわけでもない。虚無じみた普通の日である。
 夫婦長年連れ添えば、格別な出来事はないに等しく、心を弾ませるような会話もそう出てはこない。刺激のない退屈な『いつも』。それが平穏無事であるということだ。
 ぼんやりとテレビを眺める。気の重くなるニュースから目を逸らすと、あたかも平常通りかのような莫迦らしいバラエティが始まる。
 日常をコーティングして、努めて何もなかったふりをするそれらにただ騙されているのも気分が悪い。皆、目を逸らしたがっている。この『非日常』がいつか終息すれば、きっとそれまでのような『日常』が当たり前の顔をして戻ってくるのだと信じたいのだ。しかしそんなもの、どこを探してもあるはずがない。幻想だ。日常という概念は既に書き換わっている。その事実を見ないふりして、欺瞞で気休めをして、『いつもどおり』という宗教に縋る。
 みな変わりたくないのだ。それはそうだろう。変わるということは恐ろしい。今までいた場所に戻ってこられなくなることは、心許ないものだ。だからこの疫病をなかったことにしたい。なかった頃にまるごと戻りたいと願う。心の故郷を過去に設定しているのだ。それはわたしも例外ではないのだけれども。
 しかし実際、世界はそれほどに様変わりしているのだろうか。ベランダに出て、いまだ冬の名残が色濃く、春らしい陽気を帯びることのない空気を吸う。見晴らした景色は――車の交通量も劇的に減ったわけではなく、通行人もまばらに存在する。
 自粛、休業、ロックダウン。口うるさく言うほどのものなのか。そう思う一方で、病魔は貧富の差も人徳の有無も関係なく平等に牙を剥いている。
 目には見えない危機に瀕して、わたしたちは今、崖っぷちに立たされているのだろうか。こうして生かされているのは厄災の気まぐれであり、家から出て誰かとこみいった接触をしようものなら、たちまち安全圏から突き落とされてしまうのだろうか。
 我慢ならずに自粛を破った行動的な人々が非難を浴び、常ならば顰蹙を買う引きこもりの内向的な人々が賞賛の的となる。世界はいつの間にか反転してしまっていた。
 このままでは店が潰れてしまう、事業が継続できなくなる、と経営陣の悲鳴が聞こえる。支援のために金を出そうにもわたしたちは生活費すら儘ならない。終わりの足音が近づいている。ここで終わるのは果たして何か、まだわたしには分からない。もし停滞した日常が終わり、より良い社会を目指す改革の日々が始まるとして、忌むべきことなのか、祝福すべきことなのか、今のわたしにはそう――なにも。
 確かなことはひとつだけ。わたしたちのいる欺瞞の狭い箱庭は、いつかそのうちに崩壊するのだ。変わらぬことなど何もないように、明日、または一月後、あるいは半年以内に。劇的な何かが巻き起こり、それがわたしたちの日常と変わる。遠くないそのうちに。
 リビングに戻り、テレビを見ながら空虚に笑う妻の顔を見る。同じソファに腰をおろして、しかしその間隔はいつも一定に空いている。この家におけるソーシャルディスタンスは騒動の前からひとつも変わっていない。しかしわたしたちは今、閉じこめられていた。
 テレビから顔を一切動かさない妻をもう一度だけ見遣る。
 ――よいふうふのひ、である。
黒澤いづみ (くろさわ・いづみ)
福岡県出身。『人間に向いてない』で第57回メフィスト賞を受賞。
〈4月23日〉『選考会』


 わたしはいま、日本推理作家協会賞の選考委員を仰せつかっている。任期は四年間だ。二〇二〇年四月二十三日──この日、わたしは上京し、都内のホテルにて、任期最後の務めである選考会に臨むつもりでいた。
「試されるのは候補者ではなく選考委員の方である」などとよく言われる。だから毎年この時期になると、かなり緊張してしまう。しっかりと候補作を読み込み、推す作品を決める前に熟考を重ねなければならない。それを怠ったりしたら、選考委員として落選だ。
 ところが新型コロナウイルスの影響で、ほかの多くの行事と同じく、この選考会も延期になってしまったのだった。
 で、代わりに何をしたかというと、山形県内にある拙宅において「裁縫」である。もっと具体的にいうとマスク作りだ。
 わたしの家内は、マスク信者とでもいうべき人間である。混んでいるバスや電車に二人で乗ったりすると決まってすぐ、わたしの目の前には、口と鼻を覆う白い布が「着けな」の声と一緒に横からすっと差し出されてくる。そんなわけで、今回の入手困難という事態に際し、家内は早い段階から、自分でマスクを生産する作業に着手していた。つまり、わたしはその手伝いをさせられたのだった。
 ネットを覗けば、簡単にマスクを作る方法がいくつも紹介されている。キッチンペーパーを折り畳むだけで出来上がるものもあるようだ。その中から家内が選び出して自作していたのは「HKマスク」なるものだった。これは、香港のある化学博士が考案したものらしい。身近な材料だけで作ることができ、しかも機能は医療用マスクに近いレベルなのだという。
 作業手順はといえば、①ダウンロードして作った型紙を布に当てる。②ふちを色鉛筆でなぞる。③その線に沿って布をハサミで切っていく。④それらパーツを縫い合わせる、といった具合だ。
 我が家にはミシンがないため手縫いである。現在わたしは五十一歳。目のピントが手元に合わないから、針に糸を通すだけでも一苦労というありさまだった。
 裁縫をやったのは、おそらく中学校で家庭科の授業を受けて以来だから、指先が思うように動かない。だというのに「そこマチ針で止めて、あとは波縫い」などと、向かいに座った家内から指示がポンポン飛んでくるから焦ってしまう。それでも自作のHKマスクは、三時間ぐらいでどうにか完成した。
 わたしの苦心作にじっと視線を当てていた家内は、やがてひとこと呟いた。「落選」。
長岡弘樹(ながおか・ひろき)
1969年、山形県生まれ。筑波大学卒業。2003年、「真夏の車輪」で第25回小説推理新人賞を受賞。2008年、「傍聞き」で第61回日本推理作家協会賞短編部門を受賞。2013年、『教場』が「週刊文春ミステリーベスト10」(国内部門)第1位に。近著に『救済 SAVE』『119』『風間教場』『緋色の残響』などがある。
〈4月24日〉意味を求めて


 DVDでロドニー・アッシャー監督『ROOM237』を観た。
 スタンリー・キューブリック監督の映画『シャイニング』(一九八〇年公開)について、深読みした人々がそれぞれの解釈をえんえんと語る、という地味なドキュメンタリー映画なのだが、なぜか年に一度くらい観たくなるのだ。タイトルは、映画の中で親子三人が住み込みで管理を任された真冬のホテルで、過去に惨劇が起きた部屋の番号である。
 『シャイニング』は原作者スティーヴン・キングが全く評価していない映画としてもよく知られている。キングの原作のイメージが再現されているかどうかはさておき、このただならぬ緊張感と完成度は、やはり映画として傑作としかいいようがない。
 先住民の虐殺が隠されたテーマだ、とか、アポロ計画のフェイクを告発している、などとトンデモ系を含め実にさまざまな解釈が繰り出されるが、確かに完璧主義のキューブリックなら見逃すはずのない「ミス」や「齟齬」がそこここにあるのを指摘されると、深読みを誘うのもよく分かる。
 この映画、観るたびに自分の中で反応する仮説が異なるのが面白い。今回「そうかも」と思ったのは、キューブリックがサブリミナル映画を作ろうとしていたのではないかという仮説。彼が『シャイニング』を作る前に、サブリミナル広告やプロパガンダ映像について調べていたのは本当らしい。それでは、キューブリックは『シャイニング』でいったい何を「サブリミナル」しようとしていたのだろうか?(仮説を立てた人も、そこまでは説明してくれなかった)
 深読みというのは楽しい。つまり、人は観たものに意味を求めるし、観た時の状況や心境によって異なる意味を見いだす。その意味は、時間が経過するにつれてどんどん変わっていくし、振り返るたびに上書きされていく。逆にいうと、人は意味のないもの、理由のないことには耐えられない。九年前の春、私は「どうやって流しの下の壜に毒を入れたのか」という推理小説にしがみついていた。動機と殺意のある、ただの数字ではない死を、小説の中に望んでいた。
 あとから振り返った時、この春に意味と理由を見いだせるのだろうか? そして、その頃また『ROOM237』を観た時に、私はどの仮説に反応するのだろう。
恩田陸(おんだ・りく)
1964年宮城県生まれ。第3回日本ファンタジーノベル大賞の最終候補作となった『六番目の小夜子』で1992年にデビュー。2005年『夜のピクニック』で第26回吉川英治文学新人賞と第2回本屋大賞、2006年『ユージニア』で第59回日本推理作家協会賞、2007年『中庭の出来事』で第20回山本周五郎賞、2017年『蜜蜂と遠雷』で第156回直木三十五賞と第14回本屋大賞を受賞。『七月に流れる花』『八月は冷たい城』『祝祭と予感』『歩道橋シネマ』『ドミノin上海』など著作多数。

〈4月25日〉


 久しぶりに、鼻をつく夫の加齢臭で目を覚ました。昨夜はこのところ夫の寝ていたソファベッドで、夫の枕に顔を埋めたまま寝たのだということを思い出す。二週間、夫はずっと書斎に籠もって仕事も食事もしていたのだ。君にうつすわけにはいかないから、と。
 何もかも夢であればいいと思っていたが、恐る恐るソファベッドの下を見下ろすとやはり夫はそこにいた。スマホがその手の近くに落ちているところを見ると、どこかへ電話しようとして、間に合わなかったらしい。
 昨日の朝、ドア越しに聴いた彼の声はいたって元気だった。一時高かった熱も下がったようで、咳は相変わらず辛そうだったけれど、毎年のようにる喉風邪とさほど変わらないので、多分アレではないと本人も言っていた。夜遊びもしていないし、出勤していたときもマスクは欠かさなかった(使い回しではあったが)。でもタチの悪い風邪なのは間違いないし、うつさないに越したことはない。万が一アレだったとしても軽症で済むよ、まだギリ四十代で病気もないし。
 彼の言葉を信じた。テレビでも医師が同じ事を言っていた。そしてもちろん、悪くなったとしたら、それから病院に行く暇くらいはあるのだと思っていた。LINEに返事があったのは夕方までだ。それ以降返信がなくなり、電話にも出ないので心配になって仕事を無理矢理早退し、戻ってきて見つけたのは氷のように冷たくなった夫の亡骸だった。
 夫の手元にあるスマホを使うことは躊躇われたので、階段を駆け下り、廊下に置いてあるFAX複合機の受話器を取って考えた。110? 119?
 119だ。救急車なら119。間違いない。──でもそもそも、救急車を呼ぶべきなんだろうか?
 さっき触った、夫の身体の冷たさを思い出す。
 死んでいた。とうに死んでいたのだ。救急車を呼ぶなんて馬鹿げてる。もし来てくれたとして、現場で事情を知れば、そのまま帰ってしまうに違いない。警察? 保健所? いずれにしろその後どうなるのかは想像もつかなかった。はっきりしているのは、多分もう二度と夫とは触れあうこともできず、顔も見られないまま火葬されるだろうということだ。そんなのは嫌だ。絶対に。
 受話器を置き、ふらふらと再び階段を上がり、夫の書斎へと入った。しばらく見下ろしていたが、やがて意を決して夫に触れた。さっきも触ったのだ、構うまい。
 誰のせい? 誰のせいでこんなことに? テレビに出ていた医者? 基準を決めた人? 電話しても検査をしてくれなかった保健所の職員? それとも──
 ゆっくりと身を倒し、彼の身体に寄り添って頭をかき抱いた。冷たい唇にキスをした。深呼吸する。彼の身体の中で増殖し、彼を食い尽くしたウイルスをすべて取り込んでやる。そう、そして枕にはたっぷりとそれが付着しているとも聞いた。

 書斎で寝始めて三日目の朝、夫がしていたのと同じ咳が出た。これでいい。これで、「責任者」のところへ行ける。そして──
我孫子武丸(あびこ・たけまる)
1962年、兵庫県生まれ。京都大学文学部哲学科中退。同大学推理小説研究会に所属。新本格推理の担い手の一人として、1989年に『8の殺人』でデビュー。『殺戮にいたる病』等の重厚な作品から、『人形はこたつで推理する』などの軽妙な作品まで、多彩な作風で知られる。大ヒットゲーム「かまいたちの夜」シリーズの脚本を手がける。近著に『怪盗不思議紳士』『凜の弦音』『監禁探偵』『修羅の家』などがある。
〈4月26日〉その日が来るまで


 家に帰ると、神城尊はまず風呂場に直行する。いつもの恋人と三匹の犬たちの出迎えもなしだ。脱いだ服はすぐにビニール袋に密封し、シャワーで頭の先から足の先まで洗う。
「お帰りなさい」
 風呂場の外から、かけがえのないパートナーである筧深春の声が聞こえた。
「ごはん、できてます。今日は先生の大好きな豚の生姜焼きですよ」
 すべてが変わってしまった。今、命を繋ぐ聖生会中央病院付属救命救急センターは感染症の最前線に立たされている。防護のための資材はあっという間に底をつき、医療者は感染に怯えながら、運を天に任せるような感覚で、現場に立ち続けている。
「お、美味そうだな」
 髪を拭きながら、茶の間に落ち着くとそろそろと3匹の柴犬たちが寄ってきた。
「ただーいま」
 可愛い犬たちを順番に撫でてやってから、筧が差し出してくれたおしぼりで手を拭き、箸を手に取る。
「……うん、柔らかくて美味い」
 少し味付けが濃いめなのは、神城が疲れていることを配慮してだろう。同じ職場のナースである筧も同じように疲れているに違いないのに、彼はいつものように、家を整え、神城が安らげるようにして、迎えてくれる。
「……もう、消毒用アルコールが底をつきそうなので、患者さんに使用する以外は、昨日から工業用アルコールになりました」
 筧がぽつりと言った。
「いつまで……続くんでしょうね」
「そうだな……」
 2人はそのまま静かに食事をした。食べなければもたない。眠らなければもたない。何としても、頑張らなければならない。
「あ、そうだ……」
 食事を終えて、ふと筧が言った。
「藤枝さんから、いいものをいただきました。待っててくださいね」
 5分ほどで台所から戻ってきた筧が持っていたのは、おそろいのマグカップだった。
「甘い……」
 2人で向かい合って、そっとすすると疲れた身体に染みるチョコレートの甘さ。
「ショコラショーというんだそうです」
 一瞬でいい。この疲れがとれてほしい。
 そう祈りながら、2人は甘いショコラショーを少しずつ少しずつ飲んだのだった。
春原いずみ(すのはら・いずみ)
新潟県出身。双子座のA型。医療職の傍らBL作品の執筆を行う。
〈4月27日〉電話越しのふたり


 スマホが着信を告げたのは午後六時二分、高橋がパソコンの電源を落としたときだった。画面に映し出された名前は高島達也堀内百貨店に同期で入社して以来の腐れ縁である。何か問題でも起きたかと心配しながら出てみると、至って呑気な声が聞こえてきた。
「久しぶり。元気か?」
「まあまあだ。ろくに外に出られないから体重が増えて困ってる」
「それはいかんな。俺は毎日筋トレしてるぞ。おまえもやれよ」
「そのうちな。で、用件は?」
「特に用はないけど、なんとなく、どうしてるかなーって」
 なんだそれ、と返しながら、伝治は冷蔵庫に向かう。取り出した缶ビールの蓋を開けたとたん、高島の声が大きくなった。おそらくプシッという音が聞こえたのだろう。
「何を開けてる! あ、さては酒だな!」
「ビールだよ。悪いか? 終業即酒盛り開始、ってのは在宅ワークならではだろ」
「だからって電話中に呑み始めなくても! くそう、俺だって呑んでやる! 近頃大人気、濃厚、高アルコールで有名なレモンチューハイ様だ、参ったか!」
「はいはい、参った参った。あ、そうだ、いっそビデオ通話にするか?」
 外出自粛が始まって以来、オンライン呑み会が盛んだという。ふたりならビデオ通話で十分だろうと思っての提案だったが、高島は即座に断った。
「いらん!」
「つれないやつだな。もうずいぶん会ってないのに」
「若い連中じゃあるまいし、声だけで十分。おまえの二重顎なんざ見たくねえよ」
「俺だって、おまえの頭なんかごめんだね」
 そしてふたりは同時に笑いこける。人が聞いたら眉を顰めそうな会話も気心が知れているからこそ、お互いに悪意などないことはわかっていた。
 酒を片手にとりとめのない会話が続いた。十五分ほどたったころ、高島がいきなり嬉しそうな声を上げた。
「ニュースを見たか? 感染者数がかなり減った。都内は二日続きで二桁らしいぞ」
「今日の数字は二週間前の感染者だ。天気が悪かったから、外に出る人間が減っただけだろ」
「出かけるやつが減れば感染者も減るって証明だろうが! よーし、ここが辛抱のしどころだ、さっさとけりをつけて呑みに行こうぜ」
 画面越しはごめんだが、直に会えるならおまえの二重顎も我慢してやる、という高島の言葉がたまらなく嬉しい。
 今回の騒動で、友人や同僚はおろか、家族ですらも離れて住んでいれば容易に会えない状況に陥った。ひとり暮らしで誰にも会わない日々は、伝治に会いたい人、会う必要がある人と、そうでもない人がいることを教えてくれた。それと同時に、もしかしたら自分は、誰からも会いたいと思われず、必要とされてもいないのではないか、と不安になっていた。
 高島の『特に用はない』電話と『会って呑もう』という誘いは、伝治の不安を払拭してくれた。少なくともこいつだけは、俺に会いたがってくれていると思えたのだ。
 会いたい人に自由に会える──そんな日が待ち遠しくてならなかった。
秋川滝美(あきかわ・たきみ)
2012年4月よりオンラインにて作品公開開始。2012年10月、『いい加減な夜食』で出版デビュー。著書に『ありふれたチョコレート』『居酒屋ぼったくり』『な百貨店』『マチのお気楽料理教室』『放課後の厨房男子』『向日葵のある台所』『ひとり旅日和』などがある。素泊まり温泉旅館の食事処に集う人々と店主たちの交流を描いた新刊『湯けむり食事処 ヒソップ亭』が好評発売中。
〈4月28日〉オリンピックとコロナ


 もはや遠い過去になってしまったような気がするが、「2020年東京オリンピック」で大騒ぎしていた時期があった。それが1年延期されたかと思うと、金メダルのかわりにコロナウィルスが取って代わった。もともと私は今回のオリンピックにたいして興味も関心もなかったので、延期になろうが中止になろうがを感じないが、前回の東京オリンピックをリアルタイムで観た世代としては、ふと感じるものもある。
 1964年に小学生だった私は、聖火リレー、チャスラフスカの体操演技、へーシンクの柔道優勝、女子バレーボールの「東洋の魔女」などを、おおかたは観た。マラソンの円谷の力走は学校のTVで観たが、授業が全校児童のTV観賞に替わったので嬉しかったえがある。
 そのときのオリンピックで最も印象に残っているのは、どんな名演技でも名勝負でもなく、閉会式だ。すでに暗くなった時刻だが、TV画面にあらわれたのは、ちょっと不思議な光景だった。各国選手団の旗手たちがつぎつぎとあらわれ、国旗をかかげて行進するのだが、旗手だけで、選手が出てこない。どうしたんだろう、何かあったのかな、と思っていると、ワーッと歓声があがって、スタジアムの出入口から、多くの人があふれ出てきた。列などつくらず、各国の選手たちが入り乱れて、肩を組み、手をとりあい、ハグし、笑いさざめき、ジャンプし、観客席に手を振りながら歩いていく。人種も民族も国籍も関係ない。見とれているうちに聖火は消え、夢は終わった。
 私にとって、これは歴代オリンピック史上、最高の閉会式である。どれほど巨費をかけ、奇をてらっても、これ以上、私の心にひびくことはない。今回は、とくに国威発揚の臭気がプンプンしていたから、私個人にとっては見たくもないものになっていただろう。
 どうせ国威発揚なら、さっさとコロナウィルス禍を収束させて、「さすが日本」といわせてほしいものだが、どうも期待薄である。医療現場の努力と苦闘には頭が下がるが、それをバックアップする政治に対しては、言いたいことが色々ある。もっとも、「罰則つきの強い規制を」という声には賛同できない。コロナより怖いのは、「強権と相互監視で国民一体を」と望む国民の「草の根ファシズム」である。「公園で子どもが遊んでいる」という通報が警察にあった、という話にはゾッとしましたよ。密告社会はイヤです。
田中芳樹(たなか・よしき)
1952年熊本県生まれ。学習院大学大学院修了。1978年『緑の草原に……』で第3回幻影城新人賞、1988年『銀河英雄伝説』で第19回星雲賞、2006年『ラインの虜囚』で第22回うつのみやこども賞を受賞。『夏の魔術』『アルスラーン戦記』『創竜伝』『タイタニア』『薬師寺涼子の怪奇事件簿』『岳飛伝』など著書多数。
〈4月29日〉ランプの魔神


 フリーマーケットで買ったランプを擦ったら、魔神が出てきた。
 二〇七〇年代にもなってランプの魔神とは前近代的だが、出てきてしまったものは仕方ない。お前の願いはなんでも叶えてやる、と言うから、しばし考えてAを殺してくれと頼んだ。Aは会社の同期である。おれより背が高くイケメンで、仕事ができるから出世頭で、社内一の美女と結婚した。こんな奴は殺したところで、誰も文句は言わないだろう。
 ところが魔神は、自分でやれと言う。殺人なんて後味が悪いから、いやなのだそうだ。願いをなんでも叶えるんじゃないのかと文句を言っても、引き受けてくれない。その代わり、ちょっと耳寄りなことを教えてくれた。
 平成十六年のみどりの日なら、何をやってもおれは捕まらないらしい。本当なんだろうなと念を押しても、ランプの魔神は嘘をつかないと言い張る。一応、信じることにした。
 二十一世紀前半にタイムトラベルが可能になり、今では過去へのツアーも珍しくなくなった。おれは平成十六年に行くことにした。もちろんまだAは生まれてないが、その祖父を殺すためである。
 平成十六年の日本は何もかもが珍しく、旗を振る添乗員に案内されてあちこち見て回った。そして自由行動の日に、Aの祖父になる男を捜してナイフで刺し殺した。自由行動の日がちょうど五月四日になるツアーを選んだのである。目撃されようと、証拠を残そうと、絶対に捕まらないのだから気にしなかった。
 だが、すぐに警察に通報されて現行犯逮捕されてしまった。どういうことなのか。ランプの魔神は嘘をつかないはずなのに。
「待って。今日はみどりの日じゃないの?」
 警察官に尋ねた。おれを地べたに組み敷いた制服警官は、怪訝そうな声で答える。
「何を言ってる。今日は国民の休日だ」
「何それ? 五月四日だから、みどりの日じゃないのか」
「みどりの日は四月二十九日だ。おかしなことを言うな」
 愕然とした。同時に、昔は昭和の日がみどりの日だったと聞いたことがあるのを思い出した。おれが生まれる遥か前のことだから、すっかり忘れていた。
 ランプの魔神は当然、それがわかっていたはずだ。わかっていて、みどりの日と言ったのだろう。あいつは魔神ではなく、悪魔だったのだと今頃気づいた。
貫井徳郎(ぬくい・とくろう)
1968年、東京都生まれ。早稲田大学卒業。1993年、第4回鮎川哲也賞の最終候補となった『慟哭』でデビュー。2010年『乱反射』で第63回日本推理作家協会賞受賞、『後悔と真実の色』で第23回山本周五郎賞受賞。近著に『我が心の底の光』『壁の男』『宿命と真実の炎』『罪と祈り』などがある。
〈4月30日〉リバース・それから


 深瀬はドアを開放したままの〈クローバー・コーヒー〉に足を一歩踏み入れた。客の姿が他にないことを確認し、中へと進む。
「あら、深瀬くん」
 奥さんが驚いたのは、カフェコーナーを自粛し、豆の販売のみとなった店に、深瀬が二日続けて訪れたからだ。
「今日は四軒、配送をお願いします」
 ここで買ったコーヒーを淹れるのは、三週間ぶりだった。営業時間の短縮により、連休に入るまで寄ることができなくなっていたからだ。
 深瀬は自らの罪を親しい人たちに打ち明けた。その結果、離れてしまった人、受け入れてくれた人がいて、今の生活がある。コーヒーをひと口飲むと、張り詰めていた身体が解きほぐされ、同時に、この安らぎを届けたい人たちの顔が頭の中に浮かんだ。
「豆はどれにする?」
「浅見には、苦味の強いケニアを」
 浅見の勤務する高校に配達に行くと、休校中の課題プリントの作成や、オンライン授業の準備で忙しそうにしていた。
「谷原には、酸味の強いコロンビアを」
 浅見によると、商社に勤務する谷原は、赴任先の上海から帰国できたものの、周囲の目は冷たいらしい。
「村井には、渋味の強いベトナムを」
 村井からは、連休中の遊びの予定がすべて家の片付けに変わった、というメッセージが届いた。
「広沢の家には、大地を思わせるインドネシアを」
 憎まれても仕方がない人たちなのに、つい先日も、しっかり栄養を取りなさい、と家の畑で採れた野菜を送ってくれた。
「それだけ? 念願のパン屋を開業したばかりなのに、大変そうよ。私、自宅の住所も教えてもらってるから」
 美穂子のことだ。彼女とは、罪の告白以降会っていない。酷い言葉を浴びせられたわけではない。お互い無言で別れたきりだ。
「いや、僕はもう……」
「ねえ、深瀬くん。世の中、コロナのせいで、って嘆く声でいっぱいだけど、何か一つくらい、コロナのおかげで、っていうハッピーなことが起きてもいいと、私は思うの」
 マスクの上の奥さんの目は、強く、優しい。一番に浮かんだ顔は誰のものだった?
「じゃあ、彼女の店のパンに合う、クローバーブレンドをお願いします」
 一日早い五月の風が、フワリと二人の間に吹きこんだ。
湊かなえ(みなと・かなえ)
1973年広島県生まれ。2007年『答えは、昼間の月』で第35回創作ラジオドラマ大賞を受賞。同年「聖職者」で第29回小説推理新人賞を受賞しデビュー。’09年『告白』で第6回本屋大賞、’12年「望郷、海の星」で第65回日本推理作家協会賞(短編部門)、’16年『ユートピア』で第29回山本周五郎賞を受賞。また『贖罪』は’18年米国のエドガー賞(最優秀ペーパーバック・オリジナル部門)の候補になるなど、国を超えて多くのファンをつかんでいる。
漫画版Day to Dayはこちら

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