卵を割らねばコントは作れない/『卵』

文字数 1,849文字

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「1人前食堂」を運営する、料理・食材愛好家のMaiによる初書評連載。


動画に映り込む本棚、そこに並ぶ数々の本。

Maiによって選び抜かれた1冊1冊に秘めた想いが明かされる。


第4回は、三島由紀夫の『卵』について。

美味しい、安い、栄養満点の三拍子そろった素敵な卵の、奇妙な復讐とは?

卵は、美味しい、安い、栄養満点の三拍子そろっている。

割と日持ちすることで冷蔵庫に常駐し、さまざまな料理で大活躍の万能選手的な存在である。

むかしむかし「病気に卵、試験勉強に卵、戦の前に卵」といわれるほど滋養強壮の栄養食品として貴重な食材だった卵。


働きものの鶏たちにより365日毎朝ごろごろ大量の卵が産まれてくるゲージ飼いのシステムとは異なり、当時の鶏は放し飼いで自由労働だったから卵を産むのもなんと一年に一度きり。とても希少で高級な食材として扱われていたのだ。


そのような時代背景は映画やアニメーションのワンシーンからも垣間見ることができる。

『一命』という時代劇映画では、瑛太演じる若浪人が地面に落ちて割れてしまった卵を這いつくばってすすったり、『火垂るの墓』では、兄の清太が危篤状態の妹節子の滋養をつけるためになけなしの財産で買った卵でお粥をつくったりしている。こんな映画を見たあとは、卵の存在を重々しく感じてしまう。

だが戦後になると、経済の遅れを取り戻すためには日本人の食生活の洋食化が重要課題だと叫ばれるようになった。 “ココココ...コケコッコ皆さん卵を喰べなさい 美人になるよ いい声でるよ”という歌に合わせて卵の生産&消費拡大が進んでいった。


卵の安売り&早食い競争がなされたり(『乱れる・1964』)、若者たちが生卵をがぶ飲みする主人公に熱狂したり(『ロッキー』・1976)、終いには男女が生卵を使って口移しキスをするというエロの小道具に使われた(『たんぽぽ』・1985)。


私にとっては戦前の高級品としての卵はファンタジーで、正直なところコントでチープな感じの卵のほうが馴染み深い。

私自身、卵に対して飽食の限りを尽くしている。親子丼には卵トッピング、半熟オムライスには卵3個使いがマスト、近日自分のYouTubeチャンネルで卵1パック使い切り動画なんて出したらどうだろうと企んでいたところだった。

だから、三島由紀夫の短編『卵』(1953)で”君らを逮捕する”と卵が主人公たちに襲いかかってきた時、とうとうこの傲慢な卵の使い手である私たちに復讐にやってきた、とすぐに状況が飲み込めた。

“朝食の際、生卵を呑むのがかれらの日課であった” 主人公5人組。

ある日彼らは、夜道で顔のないのっぺらぼうな卵の警察官に逮捕され、被告人として卵たちの集会場に連行されたのち死刑を求刑されてしまう。


日本食の西欧化の象徴であるような卵を題材に選んでいるということもあり、失われつつある日本の国民意識への憂いが作品の底流に流れているように思えたが、卵を主食とする主人公達は懲らしめられ贖罪するどころか、フライパンをひっくり返すという一撃で卵らを割り、その溶き卵を嬉嬉として食べて物語の幕は閉じる。


以前より作者の持ち前の秀逸なレトリックに感銘を受けていた私は、このチンプンカンプンな筋書きにも教訓や啓蒙はたまた風刺なんかが潜んでいるのではないかと勘ぐり、それらしい答えを探ろうとするが、深読みすればするほど、ナンセンスの不毛地帯が広がる。不思議の国のアリスで帽子屋が出したなぞなぞの答えがもともとないように、そこにあるのはハチャメチャで痛快な笑いだけだ。


三島由紀夫があとがきで述べているところの「純粋なばかばかしさ」に多大なる敬意を払い、既成概念にとらわれまいと描きあげた類稀にユーモラスな作品である。 


それにしても卵にとってはかなり理不尽な展開でこれではかえって積年の恨みを倍増させてしまうことになるのではないか。またいつか卵の返り討ちにあう日がくるかもしれない…と彼らの機嫌を損ねないように卵料理を作ることにしよう。

Mai

料理・食材愛好家。Youtubeで料理動画投稿チャンネル「1人前食堂」の運営をしている。

著書に『私の心と体が喜ぶ甘やかしごはん』『心も体もすっきり整う! 1人前食堂のからだリセットごはん』など。


Twitter:@ichininmae_1

Instagram:@mai__matsumoto

Youtube:1人前食堂

次回は8/20(金)18時!

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