気づかないふりでまわす信頼と友情/小川さやか

文字数 2,512文字

 

香港に住む友人のタンザニア人のSNSの更新がある日突然止まった。「もしや」と思って香港にいる彼の仲間たちに尋ねてみると、案の定、彼は警察に捕まっていた。「何の罪で捕まったの」と聞くと、「それは……」となんとも言いにくそうだ。私は香港に行こうと決心した。

 私が香港で調査をしているタンザニア人たちの多くは、香港や中国本土で商品を仕入れ、母国へと輸出するビジネスで一旗あげることを夢見る交易人たちである。ほとんどの交易人は、目当ての商品を仕入れて帰国するが、交易人のアテンド業をしたり商品輸出の仲介業をしたりしながら、そのまま香港に留まる者たちもいる。そのなかには、難民認定を受けたり現地の女性と婚姻関係を結んだり、中国本土やマカオなどと行き来し香港での滞在可能期間を引き延ばしたりと合法的に香港滞在の道を模索する者たちの他にオーバーステイの者もいる。また表稼業とは別に、麻薬の密売や強盗などの裏稼業に手を染める者たちもいる。友人もそのようなタンザニア人の一人だった。

 香港に着いた私はまず、彼らの多くが滞在するチョンキンマンションに向かったが、タンザニア人を見つけることができなかった。異変を感じた。彼の仲間に連絡をとり、刑務所の場所や面会方法を聞いた。仲間の一人が刑務所まで案内してくれることになった。刑務所に向かう途中、刑務所指定の売店でタバコを友人への贈り物として購入した。刑務所に着くと仲間は仕事があると帰っていった。私は面会受付で申請し携行品をロッカーに預け、待合室で自分の番号が呼ばれるのを待った。面会の注意事項を流すビデオを眺めながら、彼にどんな言葉をかけるべきかをぼんやりと考えていた。

 面会ブースに現れた友人は、思ったより元気そうだった。「少し瘦せたんじゃない」と声をかけると、「刑務所のメニューでは腹が減って仕方がない」などのありきたりな刑務所生活からはじまり、「同室のコロンビア人が大物の麻薬ディーラーで本当にヤバイ奴だ」といった話を和やかにした。会話の途中、彼はおもむろに「仲間の誰かに俺が捕まった理由を聞いたか」と私に尋ねた。「教えてくれなかった」と答えると、「仲間たちが俺についてあれこれ噂しても信じないでくれ」と懇願した。「で、何で捕まったの」と単刀直入に聞いてみると、難民認定の更新手続きを怠っていたために警察が捜しに来て、その際に人から預かっていた荷物のなかから、〝他人のクレジットカード〟が見つかったのだと説明した。

 3ヵ月後、香港に短期調査に行った私は、再び友人に会いにいった。面会ブースに現れた私を見て、彼は驚いた顔をした。母国で待つ彼の妻への支援にカンパしたことを告げると、彼は急に涙ぐんだ。「どうしたの」と聞くと、彼は涙をぬぐって「俺が収監されている間に、仲間にガールフレンドを奪われちゃったんだ」といたずらっぽく笑った。「ふふ、そりゃ大変だ」と私が笑うと、彼は、「本当は仲間のセックスワーカーが、客の白人から盗んだカードを現金化するのを手伝って捕まった」と告白した。「とっくに知ってた」と答えると、彼は「気が乗ったら、少しでいいから母国に残した息子に送金してくれ」と泣いた。

 日本で「現地で仲良くなった人に騙された」という話をすると、すぐさま「簡単に人を信用するからいけないのだ」と言う人がいる。でも人類学のフィールドワークには、疑念を脇に置いておくことでしか始められない調査もある。知らないふりや気づかないふり、上手な噓、少しの諦めのうえで、一般的な信用とは違う「信じる」間柄が必要なこともある。

 私は、大学院生の頃、タンザニアで路上商人の調査をしていた。当時の友人にドゥーラという愛称の古着の行商人がいた。露店を構えることを夢見ていた彼は、タバコも酒もやらず、儲かった日には「持っていると使ってしまう」と、私に売り上げの一部を貯金してくれと届けにきた。帰国前に少しばかり色をつけて貯金を返したら、ふっくらした顔をほころばせ、「次にタンザニアに来たら、絶対に俺の露店に遊びに来てよ」と語っていた。

 1年半後にタンザニアに戻ると、再会したドゥーラは、瘦せこけた体に汚れた服をまとっていた。あまりの変貌に驚いて「何かあったの」と尋ねると、「一緒に暮らしていた友人に貯金を盗まれた」「いまは借金で首が回らない」と告白した。たいした額ではなかったので、私は、彼の親族や友人への返済の肩代わりを申し出た。私は彼とともに借金相手たちのもとへと向かった。彼は借金相手のもとに着くと、「女の子に肩代わりしてもらったとばれるのは恥ずかしい。5分だけ待ってて」と、私を毎回近くの路上で待たせた。

 その後、旧友たちにドゥーラに会ったことを話すと、彼らは顔をしかめて「サヤカが今日歩いた場所は、刑務所への入り口だ」と語る。聞けば、彼は貯金を盗まれた後に自暴自棄になり、悪い仲間ができ、薬物中毒になっていた。私が訪ねた何の変哲もない貸家や作業場は麻薬の取引所だったのだ。騙されたと思った。でも嫌な気持ちになるどころか、ちょっぴり感動してしまった。この出来事から数日後、変貌したドゥーラは路地裏で女性から携帯電話を強奪した罪で捕まった。彼にとって、私から金品を強奪するのは、路地裏で女性を襲うよりもずっと簡単だったはずだ。わざわざ下手な言い訳をして、私を近くの路上で待たせた行為に、私は彼なりの友情を信じることにした。

 生き馬の目を抜く香港の地下経済の友人たち、生活困難なタンザニアで生きる友人たちをどれほど信用しているかといえば、それほどでもない。けれども友人としての彼らへの信頼はそこそこある。私は、いま刑務所の彼との文通を楽しみにしている。

【小川さやか(おがわ・さやか)】
文化人類学、アフリカ研究。78年生まれ。著書に『都市を生きぬくための狡知 タンザニアの零細商人マチンガの民族誌』『チョンキンマンションのボスは知っている アングラ経済の人類学』など。

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