『響け! ユーフォニアム』シリーズ/どこかで響きが生まれている(守宮多和)

文字数 4,524文字

『響け! ユーフォニアム』の武田綾乃がおくる最新作『愛されなくても別に』が8月26日(水)に発売されます。それを記念し、tree編集部では武田綾乃の全作品レビュー企画を実施しました。書き手は、多くの人気ミステリ作家も在籍していた文芸サークル「京都大学推理小説研究会」の現役会員の皆さんです。全8回、毎日更新でお届けします。

書き手:守宮多和(京都大学推理小説研究会)

1996年生。大学院生。

『響け! ユーフォニアム 北宇治高校吹奏楽部へようこそ』(宝島社)ほか
どこかで響きが生まれている

死にそうなほどの緊張の糸が切れて、黄前久美子は安堵していた。中学最後の京都府吹奏楽コンクールで金賞をとったからだ。金は金でも、関西大会には進めないダメ金ではあったものの、周りもそれに安堵し、喜びの声を上げている。そんな中、久美子はトランペットの同級生、高坂麗奈が泣きながら絞り出した言葉を聞いてしまう。「悔しくって死にそう」と。


そうした記憶を抱えて中学校を卒業した久美子が入学したのは、お世辞にも強豪とは呼び難い吹奏楽部を擁する北宇治高校だった。同じクラスになった加藤葉月と川島緑輝に流されるようにして、高校でも吹奏楽部へと入ることになった久美子だったが、高坂麗奈もまた北宇治高校の吹奏楽部に入部していた。吹奏楽の強豪高校へも推薦がもらえるほどの腕前を持つ彼女は、しかし、今年度から北宇治高校へと赴任し、吹奏楽部顧問となる滝昇の指導を受けたい、ただその一心で北宇治高校への進学を決めたのだった。赴任早々、滝は今年度の目標を決めるよう吹奏楽部員たちに迫り、結果、多数決で「全国大会出場」を目標に一年間活動していくことが決まる。これは、今までの北宇治高校には手が届かない場所を目指すことを意味しており、必然、努力して相応の実力をつけなければならないことを意味する。それだけではない。吹奏楽コンクールのA部門で演奏できる人数には上限があることから、実力のあるもののみが選ばれて舞台に上がるようなシステムが必要となる。そこで滝は、コンクールに出場する部員や、その中でソロパートを担当する部員を、オーディションによって選ぶことを決定する。


滝が導入した一種の徹底した実力主義は、様々な形の不和を引き起こす。オーディションのための練習に時間を取られ、受験勉強の妨げになるから、と退部した三年生がいた。一年生ながらその実力でソロを勝ち取った麗奈に対して、二年生のトランペット、吉川優子が、三年生の中世古香織がソロを吹くべきだと主張し、周囲の部員の多くもその主張に同意した。久美子が二年生になってからも、三年生になってからも、実力主義は様々な不和を引き起した。自分よりも実力が劣っていながら、間違った方法で長時間練習していたひとが、自分を差し置いてコンクールメンバー入りをした過去を引きずっている者もいた。部内に不和を生み出したくないからと、しきりに他の人へソロを譲ろうとする者もいた。それ以外にも、複数の不和が生み出された。


久美子がそれらの問題に出会った時に毎回思い、そして、久美子自身がその不和を解決せねばならない時に繰り返し説くことは、現在の北宇治高校ではその人の実力が唯一絶対の評価軸である、と言うことであった。上手くなればAメンバーに入ることができ、さらに上手くなればソロを任される。それは、この北宇治高校吹奏楽部において、滝が赴任してから絶対に変わることのないひとつの原理である、と。久美子自身、吹奏楽部に入部してからは、よく「上手くなりたい」と呟いている。それは彼女の本心であろうし、もっと言えば、久美子自身の中学生時代の過去を下地に、麗奈の「悔しくって死にそう」と言う言葉の響きが彼女の中で止まぬ中、滝の構築した実力主義というシステムの中に身を浸すことでしっかりと根を張った、彼女を駆動しつづける言葉でもあろう。


そもそも、久美子は高校でも吹奏楽を続けるかは決めておらず、吹奏楽部に入部したのも葉月と緑輝の二人に流されたと言う面が大きかった。中学時代の同級生の佐々木梓も、彼女のことを「流されやすい」と評している。その流されやすさのせいで、彼女は将来の進路を選ぶことにも苦心していた。将来進むべき道を決められずにいる間にも、時間は止まることなく流れていく。高校生にとって、進路選択は重大な問題であろう。しかし、実力主義の中で練習時間を増やしていくことは、その他のことに割くリソースを減らしていくと言うことでもある。先述の通り、受験勉強に専念するためにオーディションに参加せずに退部した者もいる。さらに久美子は、高校へ入学するよりも前に、姉の麻美子が部活よりも受験勉強を選んだところを見ている。そのことを、久美子は忘れられずにいた。あるいは、作中においてもっとも印象的な出来事をここでは取り上げるべきかもしれない。久美子が一年生の時に三年生だった、久美子と同じユーフォニアムのパートを担当していた田中あすかも、同じく受験勉強に専念するために退部することを母親に迫られていた。楽器を吹くことへの思いや、自分を育ててくれた母親への思いを語りながら、一方では完璧に見える論理を以って部活への復帰を拒むあすかを説得したのは、やはり久美子の言葉であった。詳細はここでは述べない。しかし、久美子は、自分の将来やあすか自身の将来でさえも一旦保留し、「いま」に留まった上で、自分の本心を打ち明け、そして、あすかもまた「いま」に留まるように説いた。言い換えれば、全国大会出場、あるいは全国大会金賞という目標に向かってただひたすらに実力を向上させていくと言う行いは、「いま」に執着しつづけると言うことにも見える。翻って、実力主義に端を発する問題に対して久美子が説き続けてきた「北宇治高校吹奏楽部では実力が唯一絶対の評価軸である」と言う考え方は、見方を変えれば、そうした不和の只中にいた者たちに対して、あるときには自らの過去を一旦保留して、「いま」に執着せよ、と促すことと等価だったのかもしれない。


しかしながら、あるいは、だからこそ、実力主義を信じること、「いま」に執着することは、厳密な意味では不和を解決しない。問題は様々なところに散在しており、個々の形の、個々人それぞれの有する問題がある。実力主義を説く際に、ときに説得の言葉が相手に「刺さった」とさえ考えることもある久美子は、意識的か、あるいは無意識にか、そのことを知っている。そして、久美子自身にとって本当に問題なのは、そうして問題を保留しなければならない理由の方にあるのではないか、と私は思う。


久美子が実力主義の絶対性を説く時、その論理は滝が構築した実力主義の枠組みに強く依拠していた。滝は実力のみを見て、公平に判断を下す、という認識を全員が共有し、受け入れていたからこそ、久美子の言葉は説得力を持っていた。しかし、久美子が三年生になってからまた実力主義に端を発する不和が生じたとき、その渦中に置かれたのは他でもない久美子自身であった。滝の方針へ疑念を抱く部員たちの言葉を聞き、久美子自身もまた滝への疑念を抱いていく。この不和と対峙するために、久美子は自身の言葉、考え方が依拠していた先、北宇治高校における実力主義というパラダイムを下支えしていた存在への無理解を認識し、初めて批判的考察を加えていくことになる。その考察を通して、久美子はその存在、すなわち、自身が拠って立っていた実力主義の枠組み、あるいはそれを支えていた存在に対して、今までよりもさらに近づくことに成功する。さらに、その向こう側で、久美子は「将来」と「いま」とを、自然にぴたりと接続させる。「いま」を生きることが、その先の将来を生きていくことと、やっと一つながりになる。


思い返せば、実力主義の枠組みの中で、久美子が「上手くなりたい」と言う思いを持ち続けけることになった一つの理由は、中学最後のコンクールで、麗奈が絞り出した「悔しくって死にそう」と言う言葉にあった。その言葉が久美子の内に長い残響を生み、それが久美子の生きる指針となった。麗奈の言葉だけではない。友人の、後輩の、先輩の、姉の、親の、先生の、様々なひとの様々な言葉が様々な瞬間に彼女の中に響き、そして、様々な残響を生んでいった。それらの残響に、時にはうなずき、時には抗い、それらが久美子の生きる指針となっていった。


そうして、北宇治高校吹奏楽部で生きた「いま」が、彼女の過去、そして将来の一本の線の中で意味づけされていく。言い換えるならば、彼女が北宇治高校吹奏楽部で生きた「いま」を通して、過去、いま、未来全てを包み込んだ彼女の人生が語られていく。「北宇治高校吹奏楽部の物語」である、と作中で定義づけられている、この物語のなかで。


最後に付け加えるならば、それは、久美子だけに当てはまることではないだろう。


麗奈自身も、自身の「特別になりたい」「人とは違うことがしたい」と言う思いと共鳴する相手として認めている久美子のことを、最初に気にし始めたのは、「悔しくって死にそう」という麗奈の言葉に対して、久美子が放った言葉が原因だった。ここに、お互いの言葉がお互いの内に響きを生み、お互いの中に長い残響を生んでいる関係がある。


久美子は三年生の間に、不和を解決するためのアドバイスを求め、ある人物のもとを訪ねている。その際、とある人物から、久美子はこんな言葉を聞く。


「誰かは誰かにとって特別なんだよ」


久美子にとって麗奈が特別なように、香織にとってあすかが特別なように、鎧塚みぞれにとって傘木希美が特別なように、あるいは、それらの逆も、もしかしたら成り立つかもしれないように、誰かが誰かにとって特別な関係は、語られなかった場所にも存在していたのかもしれない。この言葉は、それを示唆する言葉のように見える。様々な場所で様々な響きが生まれて、それらが重なる残響を生みながら、たった一つの目標に向かって進んでいく。様々な部員が北宇治高校吹奏楽部の「いま」を生き、それが部員たちそれぞれの人生の中で意味づけされていった。


普遍的な営みかもしれない。しかし、だからこそ、この物語は「北宇治高校吹奏楽部の物語」なのだろう。


(書き手:守宮多和)

★次回は明日正午更新です!

★武田綾乃最新作『愛されなくても別に』(講談社)8月26日(水)発売です!

人気作家・綾辻行人氏や法月綸太郎氏もかつて在籍していた京都大学の文芸サークル。担当者が課題本を決めそれについて発表・討論を行う「読書会」や、担当者が創作した短編ミステリー小説の謎解きを制限時間内に行う「犯人あて」等を主たる活動としている。また大学の文化祭では会員による創作・評論を掲載する同人誌「蒼鴉城」を発行している。最近はSNSでも情報を発信中。

Twitter:@soajo_KUMC

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