第9話

文字数 4,085文字

 ストリップ小屋の入り口には、踊り子の写真がある。個性豊かに着飾り、ポスターサイズに引き延ばされたそれは、男性でなくとも目を引く看板だ。記念に撮影して、悪意なくSNSに投稿する人の気持ちも、わからなくはない。


 コンサートや映画に行くと撮影スポットが用意されているが、あれと同じ感覚なのだろう。本来は劇場の目の前か、18歳未満はアクセスできない劇場の公式サイトでしか目にしないはずの写真だ。事情のある踊り子は、そのつもりで掲載を承諾している。


 それをSNSに載せてしまえば、世界中に拡散される可能性が生じるのだ。知らなくてもいい人に届いてしまうこともあるだろう。


 知りたくなかった、知らないままでいたかった、知られたくなかった、という人に、知らせるという暴力を振るった匿名の誰かは、何のリスクも負わず、自らの手が何をしでかしたかも知らないまま、脅威の鈍感さで生きていく。


 ストリップは、何ら羞じるべきことがない仕事だと、私は思っている。だが、羞じるべきことがないのと、誰かが恥ずかしいと思うこととは、全く別の話である。それを変えさせることは難しいし、変えさせるという発想自体がそもそも傲慢である。


 話せばわかる、見ればわかってもらえる、というケースはもちろんあるだろうが、限りある他人の時間を奪ってまで、無理強いするようなことでもない。聞きたくない、見たくない人に押し付けることは、もはや嫌がらせ行為でしかないだろう。それが身内なら、なおさらだ。



 立地の良い「シアター上野」や「池袋ミカド劇場」は、飲み歩く団体客がたまたま通りかかって、看板に引き寄せられて入店するケースもある。場内でうっかりスマホを取り出してしまうのは、大抵そういう一見さんだ。マナーを熟知した常連客ばかりの中では、どうしても浮いてしまう。


だが福井県の芦原温泉にある「あわらミュージック劇場」は、別だ。



 温泉とストリップは相性がいい。かつて全国の温泉街には、数多のストリップ劇場があったそうだ。時代とともにブームは去り、旅行客自体が減った今でも、数軒が残っている。


 湯に浸かって酒を飲むくらいしかやることがない温泉客が、夜になると宿の浴衣に丹前を羽織ってなだれ込む。会社の慰安旅行で、男性社員だけがバスに乗せられて来るコースもあったらしい。平和な時代だ。私は昭和のそういうところが決して嫌いではない。鈍感なのかもしれない。


 初めてJRの「芦原温泉駅」に降り立ったのは令和の秋口で、駅前の土産物屋や飲食店は、ほとんどがシャッターを下ろしていた。そこから温泉街に行くには、タクシーかバスか「えちぜん鉄道三国芦原線」に乗り換えて「あわら湯のまち駅」で降りる。


 世界一の乗降客数を誇る新宿駅が最寄りの「新宿ニューアート」は、ベンチも含め50席ほどのキャパだ。一方、1時間に1〜2本しか電車が止まらない駅に、映画館のような独立したシートが2階席を含めて100席。そんな立派な劇場が、今も営業を続けていることを、私はこの目で見るまで信じられなかった。


 ステージは横にも奥にも広く、劇場らしい緞帳まで下がっていて、花道さえなければ学校の講堂である。しかしステージの真上には、床が透明の2階ステージという構造だ。


 いきなり、昔流行ったノーパン喫茶みたいである。1階ステージの脇にらせん階段があって、そこを滑らかに駆け上がった踊り子が、ジュリエットのように柵から身を乗り出すのを見上げると、一体自分が何を観に来たのかがわからなくなる。パンツ丸見えのシェイクスピアか。


 私はこの古くて新しい劇場が、観客としてすっかり気に入ってしまった。この時期でも、客席はそこそこ埋まっていたが、蟹のシーズンともなれば、立ち見客が出ることもあるという。それは、なんとしても見てみたい。ストリップ全盛期にタイムスリップしたみたいではないか。
 


 12月、蟹漁が解禁された後のタイミングで、相田樹音さんが乗ると聞いて、また泊まりがけで福井へ行くことに決めた。都心の劇場は、たいてい正午前後にはスタートする。最後まで楽しんでも、てっぺんを回ることはまずない。そんな中、ここでは20時過ぎから、ようやく1回目が始まる。


 その時間設定からして、夕食後の温泉客をターゲットにしていることが明らかだ。どんなに遅くなっても、温泉客には歩いて戻れる宿がある。歓楽街にある劇場の最終回の客席がガラガラになってしまうのは、終電の時間があるせいなのだ。


 前回は「あわらグランドホテル」に宿泊した。そこから徒歩数分の劇場で閉館まで楽しみ、近くのスナックに寄って、戻るのは2時、3時。それでも大浴場は利用できる。


 劇場帰りの客を想定したサービスなのだろう。仕事を終えた踊り子たちが、ここを利用することもある。掛け流しの温泉で疲れを癒やせるのだ。遠くても、あわらに踊り子がやって来るのは納得である。しかし、今回は宿の手配をしていない。劇場に泊めてもらうからだ。


 ほとんどの踊り子は県外から訪れるため、劇場に宿泊施設が用意されている。踊り子のように、そこで眠るのが夢だった。掃除でも皿洗いでも猫のお世話でもします、という気持ちで、ここまでスーツケースを転がしてきた。


 ところが、私に与えられたお役目は、舞台で踊ることだったのである。願ったり叶ったりだ。



 相田樹音さんと一緒に、チームショーで踊る。それは「大和ミュージック」で、師匠を驚かせるためだけに、2ステージ限定で企画したはずだったが、10月のハロウィンには、師匠のいない「シアター上野」で2ステージ。今回のあわらでは、宿泊する2日間に行われる全てのステージで踊る。


 クリスマスらしいカノンさんのソプラノに合わせ、揃いの衣装で舞い、私にはサンタのようにお菓子を配るという大役も与えられた。しかし例の如く、口頭での簡単な打ち合わせのみで、本番に挑む。


 しかも舞台が異様に広い。踊り子も、通常は6人程度でまわすところ、あわらは基本3人だ。とにかく、あっという間に出番が来るので、慌ただしいことこの上ない。本番より、楽屋をドタバタした時間のほうが、記憶に強いくらいである。


 旅の恥はかき捨て、楽しむ意気込みが強い温泉客は、イタリア人かと思うほど終始楽しげで、美しい、かわいい、と惜しげなく褒めてくれた。しあわせである。踊り子とポラロイドでツーショットが撮れる、ということにすら新鮮に驚いて、照れずに参加してくれる。


 大量に預かったポラにサインをしたり、シールを貼ってメッセージを書く作業は主に私が請け負った。その間、樹音さんはドレスをエプロンに換えて、終演後には遠方から駆け付けた常連客の腹が減るだろうと、米をたっぷり炊き、東尋坊で仕入れた佃煮で、大量の握り飯を拵えていた。


 私は樹音さんのこういうところが、たまらなく好きなのだ。ステージでディズニープリンセスみたいな笑顔を振りまいたのと地続きで、オラオラと米を握る。決して丁寧ではないが、早くて迷いがない。こっちは冷えるからと、私の体中にベタベタとカイロを貼り、幼稚園児みたいな分厚いタイツをはかせて、化粧した私を褒めそやしては、師匠に写真を送りまくる。


 残り僅かな時間で、私の何倍もの速さでつけまつげを付けて、ろくに鏡を見ずに口紅を塗る。そんな舞台の裏側を見ても、ステージの樹音さんにはうっとりして、踊りながら涙が出るのは変わらない。


 夜は他の姐さんからクリスマスケーキを分けてもらって、樹音さんと布団を並べて眠り、昼頃起きたら青汁とヤクルトを飲まされ、一緒に飽きるほど温泉に浸かった。一日中おそろいのつるつるしたすっぴんで、子どもみたいだった。だけど日が暮れたら、おしろいを叩いてステージで踊る。


その前にスーパーに寄って、他の姐さん方と食べる、夕食の食材を買い込まなければ。きっとスーパーの店員は、樹音さんを寮母か食堂のお母ちゃんか何かだと思ったに違いない。


 上と下にカゴを載せたカートをぐんぐん転がしていることと、足を上げてスポットライトを浴びることが、断絶していない。私もそういう風にありたい。



 ストリップのことをSNSに上げると、本や書店に関する話題とは、明らかに反応が違う。あからさまな拒絶はないが、気味の悪い静寂が訪れる。見えているはずなのに、情報をきれいに選り分けて、いいねをしたり、しなかったりすることが、許す、許さない、に見えて、なんだか気持ち悪かった。


気付けば私は、自分のTwitterが嫌いだった。見たいものしか見ない人たちに、なんなんだよ! と、突っかかりたい気分だった。



 共感してくれるだろうと思ったのに、そりゃ無理な話だろう、と勤め先の店長、花田菜々子は笑うのである。人は相手によって、見せる面を変えている。それを了解の上で、その面と付き合っている。


そこで突然、実はこういう面もあるから見せるね、もちろん受け入れてくれるよね、と押し付けるのは身勝手に過ぎる。確かにそうだ。私はいつも明るくて面白いけど、実は暗くて死にたい気分のときもあって、両方好きになってくれないと全部噓だ、なんて言われるのは迷惑である。


そういうのは、どこか他所でやってくれ、と思う。ああ、そういうことか。かんしゃくを起こして、半裸の画像なんかを投稿しなくてよかった。冷静な彼女には、いつもぎりぎりのところで助けられている。



 入り口の看板をSNSに載せないで、とTwitterで訴えた踊り子には、自分の仕事を知らせたくない身内がいるのかもしれない。仕事を誇りに思うことと、知らせたくないと思う気持ちは、同じ人間の中に入っている。踊り子としての彼女が好きな人もいれば、踊り子じゃない彼女だけが好きな人もいる。


 でも、どちら側から見ていても、たとえ呼ぶ名が違っても、私たちが好きな彼女は彼女しかいない。胸を張って踊って、実家に帰る時は、本名に戻ればいい。


 花田菜々子は最後にこう言った。「ストリップ用に別の名前でアカウント作ればいいんでないの?」

 その通りである。

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