小説とはなんだろう? 「言葉」を磨いて広がっていく世界

文字数 3,673文字

「小説」とは果たしてなにか? 答えの出そうにない遠大な問いかけに対して最もシンプルに、現代に即した定義を示すならそれは、「言葉によって創造された物語」でしょうか。ひとつの小説にどのような祈りや願いや怒りやひと言では言い表せない感情を込めていたとしても、それらは等しく、言葉によって編まれています。つまり、小説を書くとき、書き手は必ず「言葉」と向き合う必要がある。小説を書くという営みは、自らの内側にある言葉を磨いていく行為でもあるといえるのかもしれません。


それでは、「言葉」とは、一体どのようにして磨かれていくものなのでしょうか?

今回は「言葉のレッスン」を受けながら、自分自身と向き合っていくふたつの新人賞受賞作を紹介していこうと思います。

~第4回~

小説とはなんだろう?

「言葉」を磨いて広がっていく世界

日比野コレコ『ビューティフルからビューティフルへ』


第59回文藝賞の受賞作。

物語の主役を担うのは、治安のよくない街でいまを生きている三人の高校生。ネグレクト家庭に育ち死にたいと常に願い続けてきたナナ、クラスメイトのダイに恋をしている静、そしてダイの親友であり、彼にいつもくっついているビルE。

「いま」に対して異なる絶望を抱えた三人は毎週金曜日の夜、「ことばぁ」と呼ばれる老婆の家に行き、救われるための言葉を処方されます。


「言葉」をテーマにした小説なだけあって、メインとなる三人は、それぞれ「言葉」に対して異なるスタンスを持ち合わせていました。ナナは死にたいと常に願いながらも「言葉を偽る」ことで自己肯定感を持っているふりして、クラスカーストに溶け込みます。静は左腕をリスカするかわりに「生きてもないのに、死んでたまるか!」と文字を書き、「言葉に突き動かされる」かたちで好きな男に好意を正面切って伝えていきます。そしてビルEは親友であるダイの「言葉を借りる」ことで何者でもない自分から目を逸らして、安心感を抱きながら日々を送ります。


生きながら常に抱いている自己否定に対し、三人はそれぞれ異なる「言葉」の用い方で自己肯定に変換していくので、読みながら暗さは感じさせません。また、あらゆるジャンルのカルチャーをただ取り入れるのではなく、自らの言葉に変換していく、登場人物たちの生きざまを重ねたような文体の小気味よさも相まって、疾走感あふれる文章となっていました。言葉の力によって生き延びようとする三人の生きざまは、作者の言葉への真摯な信頼に裏打ちされたものであると、その文体をもってはっきり伝えてきます。


しかし一方で、それらの言葉を用いた術は「いま」を生き抜くためのその場しのぎにすぎません。三人は事あるごとにいまの生き方を顧みて、元来からの自己否定に苦しみます。自己肯定と自己否定を表裏一体に置くことで、いまを生きる若者の不安定な生きざまは姿をあらわすのです。


そして、それを乗り越えるために言葉を授けるのが「ことばぁ」でした。この老婆が三人に対して投げかける託宣のような言葉は、普段は「言葉」で着飾っている三人の本質をしっかり捉えたうえで放たれています。その表層ではなく根っこを捉えた言葉は、母からネグレクトを受け、好きな男から愛されず、あるいは親友との一方的な関係を築いている(また、それによる自己否定を言葉の力で自己肯定に変換している)三人にとってはある種、大切な人から受けられなかった愛情としても機能していました。抱えている自己否定を変換するのではなく、根本から解決してくれようとする言葉はまさに三人にとっての「処方箋」でしょう。言葉の力を利用しても行き詰まりそうになる三人に対して、特異となる視点からも言葉の力をアピールすることで、内側にこもったままでは与えられない救いをもたらしていました。


最後にことばぁは処方箋として、「ビューティフルからビューティフルへ」と言葉を授けます。「ビューティフルからビューティフルへ」は、いまを生き抜くために使っている「言葉」の美しさを信じて、未来を生きるための術にもしていく、三人の生き方それ自体を肯定するものでしょう。決していまだけを描いた刹那的なものではなく、この小説自体が未来において取り込まれ、カルチャーとして立っていくのだと、力強さをも感じさせる作品です。

はんだ浩恵『ソラモリさんとわたし』


第3回フレーベル館ものがたり新人賞の大賞受賞作。

物語は小学六年生の日高美話が、童謡の作詞を書いたメモ帳を道に落としてしまうところから始まります。それを偶然拾ったのは、フリーランスのコピーライターをしているソラモリさん。美話はメモ帳を返してもらう流れで、ソラモリさんから「言葉のレッスン」を受けるようになります。


まず、読み始めて真っ先に目を引くのは個性的な文体です。


 美話は、うわ、と、かけより、

「あ(の……)」

声をかけた。

「なに」

と、見下ろしてくる顔がこわい。

「(それ)」

 ピンクのメモ帳を指させば、「これが、なに?」。

「ください」

「どうして」

「わたしの(だから)」

「きみさ」 女のひとはソフトクリームのポスターから、くるりと美話に体をまわして、「言葉をちゃんと使いなさい。あの、それ、わたしのじゃなくてさ。AIロボでも、もうちょっとまし」。


いま自らが思っていること、あるいはコミュニケーションに対して必要な言葉の足りてなさが、鉤括弧と括弧を併用した文体で表現されます。この独特の言い回しによって美話は序盤から無口な人物であると示され、同時にテーマである「言葉をちゃんと使うこと」がわかりやすく解きほぐされていきます。美話の台詞から括弧が外れていくのは内側に閉じ込められていた言葉が外に出ていく、解放される瞬間でもあるのだと、文体の変化に成長を重ねていくのです。


そして美話に言葉のレッスンをするソラモリさんも、いつもおやつばかり食べていて大人気ないキャラクターをしていながら、事あるごとに言葉への真摯さが見え隠れしていました。「大人のくせにと言っていたら、子どものくせにといってしまう人間になる」「じぶんとじぶんとの大切な対話を、ネットの言葉なんかに邪魔されちゃもったいない」「ものごとを言葉の鳥かごに入れてしまったらいけない」「言葉をちゃんと使えるひとになれたら、言葉にならない心が読めるようになる」。言葉に対する真摯さが忖度なくそのまま美話に注がれるので、二人のあいだには子どもと大人の境界線で区切られない、まるで「友だち」のような関係性が築き上げられていきます。この独特の距離感は、読んでいて非常に心地よいものです。


やがて美話は夏休みの宿題として映画のキャッチコピーを自ら作成し、その過程で、ソラモリさんが普段している仕事がどれだけ大変かを学んでいきます。言葉を学んでいくことをただ自らの成長に結びつけるだけではなく、相手を尊重する姿勢にも発展させていくのです。


言葉はただ学ぶだけでは誰かを傷つける可能性があり、コミュニケーションをするならば他者に寄り添うことが必要不可欠なのだ——言葉を磨きながらコミュニケーションの尊さをはっきりと伝えてくれる、「言葉」の活かし方までを丁寧に示した小説です。

今回は以上の二作品を紹介してきました。どちらも年の離れた人間から「言葉」の手ほどきを受け、未来に続く世界を広げていくまでの過程が描かれています。

そして共通しているのは作者自身の「言葉」に対する誠実さです。文体や表現を研ぎ澄まし、それによって作品世界を立ち上げていこうとする意識は、小説と向かい合う姿勢そのものの誠実さでもあります。


また、この二作には、共通するとあるギミックが作品のなかに仕込まれていました。これから読むひとのために今回は深く紹介しませんが、「言葉」を使うこと、それをテーマにして真摯に取り組もうとした異なる作品が同じアプローチに辿り着くのは、非常に興味深いです。

気になった方はぜひ今回紹介した二作品を手に取って、「言葉」に対する感覚を磨いてみてください。

あわいゆき

都内在住の大学生。普段は幅広く小説を読みながらネットで書評やレビューを手掛ける。趣味は文学賞を追うこと。なんでも読んでなんでも書くがモットー。

Twitter : @snow_now_s

note : https://note.com/snow_and_millet/

第4回「この新人賞受賞作がすごい!」で取り上げたのは――

絶望しながらいまを生きている三人の高校生、ナナ、静、ビルE。彼ら彼女らは毎週金曜日、ことばぁの家に集って言葉を処方される。三人がことばぁから新たに出された宿題は、「自分の人生を年表にしてくること」だったが……。

小学校6年生の日高美話は、学校の帰り道に秘密のメモ帳を落としてしまう。メモ帳を拾ってくれたのはふしぎな大人の女性、ソラモリさん。偶然の出会いをきっかけに、美話とソラモリさんのあたたかい言葉の「レッスン」がはじまる。

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