第32回

文字数 2,816文字

「北風と共に勢いが増しているコロナの感染状況は、

“第三波”との報道もあり、またまたひきこもり圧が高まりそうな日本列島。


街にイルミネーションが灯ろうと、気が早いクリスマスソングが流れようと、

トレンドは間違いなく“ひきこもり”!


脳内とネットでは饒舌な「ひきこもり」の代弁者・カレー沢薫がお届けする、

困難な時代のサバイブ術!」

先日NHKが「ひきこもり」をテーマにした番組を放送したが、こういった「ひきこもり」を取り上げた番組が放送されるたびに物議を醸すのが「ひきこもりの定義」だ。


ウィキペディアの「ひきこもり」の項目を見ると、「学校にも仕事にも行かず家に引きこもっている状態」と書かれている。

これがひきこもりでなければ、もはや「土に首まで埋まっている状態」ぐらいしかひきこもりとは言えなくなってしまう。


これはあまり物議を醸さないタイプのひきこもり像なのだが、最近「買い物など、必要がある時以外外出しない状態」をひきこもりと呼ぶ報道も増えてきているように感じる。


これに対しては、「用がなければ外に出ないのは当たり前だろう」「家の外に出られる奴をひきこもりと呼ぶな」「買い物などという高度な社会活動をするひきこもりがいるはずない」「うちのじいちゃんは用もないのに外に出て近所の社会問題化している」など、反論意見が多い。


つまり、必要以上外に出ないというだけで、「ひきこもり」などと問題のある人間扱いされても困るということである。

確かに、平日は仕事という「用」のために外出し、休日は家に籠りっきりで用がなければ外出しないという人間を「ひきこもり」と呼ぶなど「生でしたことないから実質童貞」と言っているようなもので、本物の童貞からしたら片腹痛い、としか言いようがないだろう。


前に、女性のひきこもりは「専業主婦」や「家事手伝い」という名称に隠れて可視化されにくいという話をしたが、だからといって「家に籠って家事だけしてるような人間なんて実質ひきこもりっしょ」などと言ったら、確実にツイッターが燃える。


つまり、物理的に家の外に出ないことだけを「ひきこもり」と呼ぶのは、語弊があるということだ。

その理屈で言うと、家から出ずに仕事をして自活し、電話やネットを使って社会や他人とコミニュケーションをとっている人間には問題があり、公園のベンチで朝から晩まで誰とも話さず虚空を見つめているおじさんは、何の心配もいらないということになってしまう。


つまり、外に出ないということだけを問題視していたら、本当の問題が見過ごされてしまう可能性があるということだ。

「外に出て買い物などはできる」と言ったら一見ひきこもりではないようにも聞こえるが、親の金で買い物をし、他者とのコミュニケーションは、店員の「レジ袋いりますか?」の問いに首を振るのみで、明日親が死んだら詰むという生活をしているなら、やはり問題のある「ひきこもり」と言わざるを得ないような気がする。


つまり「ひきこもり」とは家の中にひきこもっている状態ではなく、社会の輪から外れて孤立している状態を指すのではないだろうか。


学校や仕事を辞めてしまうことが、社会から孤立する大きな原因の一つなのは確かだが、必ずしも何もしていない=孤立というわけではない。

自宅でインターネットビジネスをして生計をたて、お金はあったものの、周囲との関わりが一切なかったせいで心身を病み、孤独死したうえにしばらく気づかれなかったというケースもある。

逆に言えば、無職なのに何故か明るく社交的であればひきこもりではないし、事件も事故も起こる可能性は低いと言える。


だが、そもそもこの「無職の分際で何故か明るく社交的」などと言ってしまう感覚こそが、ひきこもりを生んでいるのかもしれない。


世の中には病気など諸般の理由で働けなかったり、国の保護を受けている人もいる。

そして日本には、そういう人たちが、テレビを見たり外を歩いているだけで「元気じゃないか!」と怒り出す人がいるのである。

つまり、病人や無職ならそれらしく家に閉じこもって、自らを恥じながら部屋の隅で体育座りをしておくべきということであり、それはまさに「ひきこもり」の姿だ。

そんな圧をかけられたら、ドロップアウトした人間はひきこもりにならざるを得なくなってしまう。


よって「社会貢献できてないやつは、それらしく家に引っ込んで申し訳なさそうにしていろ」というのは、世の中にひきこもりを増やし、国の所得と税収が下がり結局増税などで自分の首を絞める行為なので、とにかく明るい無職や元気ハツラツオロナミンCな病人を見たら、「その調子だ!」とガールズバーに誘うぐらいの寛容さを見せた方が、結果的に自分のためなのである。


ともかく「家から出ない奴はひきこもり」という括りは若干雑すぎる。だが一方で、ひきこもりの定義をあまりにも狭めすぎない方がいいとも思う。


もしひきこもりの定義を「一ヵ月以上家から一歩も出ず、家族との会話すら、母親に「おいババア!」しか言っていない状態」にしてしまうと「俺は『おいババア!マガジンじゃなくてジャンプつっただろ!』と言っているからひきこもりではない」ということになってしまう。


アルコール依存症の治療も、まず自分が自分をアル中と認めない限り前に進まないように、ひきこもりも自分をひきこもりだと認識しないと解決できないのである。


よって、ひきこもりの定義を狭めて「自分はひきこもりではない」と安心させてしまうよりは、定義をガバガバにして「もしかして自分はひきこもりでは」と疑いを持たせる報道の方が、ある意味では正しいと言える。


何事も「自分は違う」と当事者意識を持てないことが一番危険なのだ。

よって、やたら主語のでかいひきこもり番組を見ても「その程度でひきこもりなんて言われちゃ、たまらねえ」とは思わずに、自分はひきこもりなのではないかと疑ってみることも大事である。


そうすれば「よく考えたらこの一週間、コンビニの店員に『レジ袋いらない』のジェスチャーしかしていない」ということに気付き、「せめて声ぐらい出そう」という生活の改善につながることもある。

★次回更新は12月11日(金)です

カレー沢薫

漫画家・コラムニスト。長州出身の維新派。漫画作品に『クレムリン』『アンモラルカスタマイズZ』『ニコニコはんしょくアクマ』『やわらかい。課長 起田総司』『ヤリへん』『猫工船』『きみにかわれるまえに』。エッセイに『負ける技術』『もっと負ける技術』『負ける言葉365』『猥談ひとり旅』『非リア王』など。現在「モーニング」で『ひとりでしにたい』連載中&第1巻発売中。最新刊『きみにかわれるまえに』(日本文芸社)も発売中

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