Day to Day〈6月20日〉〜〈6月29日〉#まとめ読み

文字数 12,147文字

2020年の春、ここtreeで、100人のクリエーターによる100日連続更新の掌編企画『Day to Day』がスタートし大きな注目を集めました。この2021年3月25日、その書籍版が発売されます。


>通常版

>豪華版


treeでは、それを記念し、『Day to Day』の原稿を10本分ごと(10日分ごと)にまとめて、一挙に読みやすくお送りいたします。それでは……珠玉の掌編をお楽しみください!

〈6月20日〉写実画の女


 無人、静寂、疲労――あくびの条件は揃っていた。
 先週末の引っ越しの後は、荷解きや警察署での免許の住所変更など、仕事以外のほとんどの時間が新生活のあれこれのために潰れている。
 目尻に滲んだ涙を指先で拭った私は、入口の受付カウンターから展示会場を見回した。幻想画やイラストなど、主に額装された作品が四十点ほど。百貨店の美術画廊ではおなじみの、若手画家数人によるグループ展。今週水曜から始まったが、昨日までの三日間で売れた絵は一枚だけだ。
 例のコロナによる全館休業から営業を再開して三週間余り。ようやく客足が戻ってきたものの、画廊は休業中と同様の静けさだった。
 背の高い男が目の前を横切った。足音がなかったことから不意を衝かれ「いらっしゃいませ」と声掛けしたときには、男は既に奥へ向かって進んでいた。やがて会場の隅で足を止めた男は、一枚の絵を眺め始めた。
 鉛筆の写実画。テーブルの上で両腕を交差させた女性が、瞳をやや左に向け、凛とした表情で座っている。鼻も口も小づくりで、顎先も引き締まった端整な顔立ち。左目の半分を隠す長い前髪の艶や、ゆったりとした肩幅のシャツに入る皺など、かなり細密に描かれた作品だ。
 B4用紙より小さいF4サイズの絵なので、比較的求めやすい価格になっている。企画展が始まって初めての土曜を迎えることもあり、私は幸先の良さを感じた。
 ただ、話し掛けるタイミングが難しい。特に一つの絵を熱心に観ている来客には注意が必要だ。あの上背のある若い男は今、作品の世界観に入り込むため、目の前の絵から可能な限り情報を得ようと試みているはずだ。彼の中で最初の解釈が成り立つまで、カウンターからそれとなく観察する。
 少し変だと思ったのは、男が力んでいるように見えたからだ。半袖の黒いポロシャツから伸びる腕の先で拳が握られ、手の甲に鮮明な血管が浮いている。眉間に皺を寄せたまま絵と対峙し、よく見ると黒目が忙しなく動いていた。
 男はジーパンの後ろポケットからスマホを取り出すと、何度か画面をタッチした後、通話を始めた。刹那の会話を終えてスマホを後ろポケットに戻すと、彼はまた額の向こう側を睨み始めた。
 一体、何者なのか――。もはやあの写実画目当てでここに来たのは間違いないだろう。気配がして入口に目をやると、画廊に入ってきたショートカットの年輩の女が、私をチラリと見て頭を下げた。だが、声を掛ける間もなく、白いブラウスの背が遠ざかった。女は当然のように男に近づき、絵の前で横になって並んだ。
 そうして二人で佇むと、親子ほど年が離れていることが分かる。女は何度も頷くと、小さなバッグからハンカチを取り出して目元に当てた。隣の男がその背中をさすったことで、彼女を支えていたものが折れたのか、きつく結んでいた口を開いて嗚咽を漏らした。
 二人については何も知らない。もちろん、絵画との関係についても分からない。だが、私の勝手な想像力が、免許の住所変更のために訪れた警察署の光景を思い起こさせた。
 手続きを待つ間、ベンチ横にあった掲示板の数々を見て回った。そのいずれにも貼られていたのが、行方不明者の写真が載ったポスター。或る女子高生は通っていた塾から帰宅せず、別の六十代の女性は旅先で突然いなくなった。平然と続いていく自らの暮らしからは考えられない影の地帯。掲示板の前で私は思い知った。
 人は忽然と姿を消す。
 しゃがみ込んだ女と膝を折って寄り添う男。あくびが出るような穏やかな朝のはずが、すぐ手が届く距離に日常の落とし穴が空いていた。
 カウンターから美しい写実画の女を一瞥した私は、画家の連絡先を調べるため、引き出しの取っ手に指を掛けた。

塩田武士(しおた・たけし)
1979年兵庫県生まれ。関西学院大学卒業後、神戸新聞社に勤務。2010年『盤上のアルファ』で第5回小説現代長編新人賞、‘11年将棋ペンクラブ大賞を受賞。同書は’19年、NHKでドラマ化された。‘12年、神戸新聞社を退社。’16年『罪の声』で第7回山田風太郎賞を受賞、同書は「週刊文春ミステリーベスト10」第1位、第14回本屋大賞第3位にも選ばれ、本年秋に映画公開予定。‘19年『歪んだ波紋』で第40回吉川英治文学新人賞を受賞した。
〈6月21日〉夏至の庭で


 青々とした枝の下、彼女が笊を抱えて摘んでいる。
 赤く透き通った実は、庭のゆすらうめだ。彼女はふと振り向いてマスクを顎の下にずらし、深紅の一粒を口の中に入れる。
「あなたも食べる?」「要らない」と、僕は縁側で頭を振った。彼女は「そう」とマスクを顔に戻し、また樹下に屈んだ。せっせと摘んでは笊に入れてゆく。
「ゆすらうめの実って、さくらんぼに似てるんだな」
「桜の仲間だもの。花が梅花に似てるから、山桜桃梅と書くのよ」
「何でもよく知っている」と、僕は皮肉を籠めて笑った。
 彼女は小説家だ。十数年前、突如として小説を書き始め、たいして売れてはいないが執筆の依頼は細々と続いたようだ。
 やがて彼女の昼と夜が逆転し、僕との約束を忘れ、家事を点々と放擲した。会社から帰ってドアを透かせば、いつも何かを読んでいるか書いているか、あるいは机に突っ伏している。口論する機会さえないまま、ある日、彼女は「一人になりたい」と言った。「好きにしろ」と答えた。
 どのみち何の苦楽も共有せず、僕はすでに独りだったのだ。彼女はいつも、今、ここではない時空を彷徨い、僕の見知らぬ人々と対話していた。
「大収穫。あなた一人じゃ食べきれないでしょうから、甘煮にしておくわね」
 目の周りがうっすらと赤い。また熱が出てきたのか、それとも陽射しが笊の中の深紅を照り返しているのか。
「そんなこといいから、横になれよ」「こんなの、すぐよ。雑作ない」と庭下駄を脱ぎ、素足を縁側にのせる。ひとたび言い出したらきかない女なのだ。些細なことも、重大なことも。
 彼女は手頃な家を探し、今日、山ほどの本をひきつれて出てゆく。
 けれど三日前、熱を発した。報道されている症状もある。相談センターに電話してみれば、受診が必要だと言われたらしい。診察と検査の結果次第では、そのまま入院になる。
「明日、本当に一人で大丈夫なのか」と、僕はまた念を押した。「当たり前じゃないの。でも、あなたにうつしちゃってる可能性もあるわね。だったら、ごめんなさいね」と、彼女も繰り返す。
「詫びたりするなよ。君らしくない」
 だいたい、何で今日に限ってエプロンなんかつけているんだ。神妙なほど白い。
「陽性であったとしても、死ぬと決まったわけじゃない」声を励ましたけれど、彼女は笊を抱え直して肩をすくめた。
「生き残ったら、手紙を書くわ」「LINEでいいよ」
「ううん、手紙にする。この季節はインクの匂いが立つのよ」
 彼女は六月の空を振り仰ぎ、「そういえば、今日は夏至ね」と懐かしそうに目を細めた。
朝井まかて(あさい・まかて)
1959年大阪府生まれ。甲南女子大学文学部卒業。‘08年、小説現代長編新人賞奨励賞を『実さえ花さえ』で受賞してデビュー。’14年に『恋歌』で直木賞、『阿蘭陀西鶴』で織田作之助賞、‘15年に『すかたん』で大阪ほんま本大賞、’16年に『眩(くらら)』で中山義秀文学賞、‘17年に『福袋』で舟橋聖一文学賞、’18年に『雲上雲下』で中央公論文芸賞、『悪玉伝』で司馬遼太郎賞を受賞。近著に『落花狼藉』『グッドバイ』『輪舞曲(ロンド)』などがある。
〈6月22日〉きぼうのうた


 シュージがリクを殴って、あいつが叩くのならもう俺は歌わない、とリクが言った。せめて最後にライブをやろうぜ、と俺はふたりを説得しにかかったが、こんどは世の中が妙なことになってしまった。なし崩し的に解散かなと思っていたら、不思議な仕事が舞い込んだ。

 ドラムだと苦情が出かねないからさ、カホンとシンバルでやらせて欲しいんだ。シュージが電話してきた。いいよ、と俺は言った。似たようなことは、曲を書く前に、リクからも言われたよ。夜中に録音するから、シャウトしなきゃなんないような曲は書かないでくれって。シュージはふんと鼻を鳴らしただけだった。
 次の朝起きたら、もうクラウドに上がっていた。夕方にはイトちゃんがベースのトラックをアップした。それを聴いた俺はテレキャスターに手を伸ばす。それから、ミックスしたオケをアップして、できてるぞ、とリクにLINE。明け方に電話が鳴った。あのさあ、この「明日はきっと」ってとこ、「明日はたぶん」のほうが歌いやすいんだけど。リクは言った。じゃあ、それでいいよ。とにかく希望を持てるようなものならなんでもいいんだそうだ。へえ、誰がそう言ったんだ? 誰だったかな、とにかくネットの会社の人だよ。
 昼頃に起きて、トーストを齧りながら、ALEXAでリクのボーカルを聴いた。コーヒーを淹れ、パソコンの前に移動して、歌とオケを合わせた。これをクラウドのフォルダーに放り込み、みんな3日以内に映像をくれよ、とLINEのグループアカウントにメッセージを残した。
 やることがないからだろう、翌日には、オケに合わせて弾いたり、叩いたり、歌ったりしている映像ファイルがフォルダーに収まっていた。俺もこうしちゃいられないと、音に合わせて手を動かし、カメラに収まった。
 いつもビデオを作ってくれてる高橋さんが編集して、次の日には完パケがYouTubeに上がっていた。四分割された画面の中の俺たちは、それぞれの自宅で、ひとつの曲を奏でているように見え、バラバラの場所でもちゃんとつながれるぞ、なんて幻想をばらまいていた。一月後、ギャラはちゃんと振り込まれていたけれど、まだ解散ライブの目処は立ってない。
榎本憲男(えのもと・のりお)
1959年和歌山県生まれ。西武セゾングループの文化事業部、東京テアトルにて映画事業に携わり、劇場支配人、番組編成担当、プロデューサー等を務める。2011年、映画監督デビュー作『見えないほどの遠くの空を』公開とともに、同作の小説を執筆。’16年『エアー2・0』が大藪春彦賞候補に。他の著書に『巡査長 真行寺弘道』、同シリーズで『ブルーロータス』『ワルキューレ』『エージェント』がある。

〈6月23日〉



 家にもるようになっても生活に大きな変化はなかった。それまで事務所や近所のファミリーレストランで執筆していたのを、自宅に変えただけだ。
「この時期にホラーはちょっと……」「世相をみてまたご連絡しますね」などと、いかにもな理由で依頼をにする出版社は、幸いなことに一社もなかった。
 生活必需品はすべて通販で購入し、家族全員、外出を控えている。区の感染者は都内でも多い方に入り、決して油断はできない。
 ただ、僕が住む団地では今のところ感染者ゼロだ。マンモス団地と呼んでもいいほどの棟が建ち並び、大勢が住んでいるにもわらず。
 これは幸運ではない。住民の高い衛生観念と、高い団結力のだ。パパ友、ママ友、同じ階の住人、皆が一丸となってウイルスと戦い、打ち負かした結果だ。今までの頑張りを決して無駄にしてはいけない。
 だから数週間前から食事の味やいを全く感じなくなったのは、妻の料理の腕が落ちたせいに決まっている。
 が痛くなったのも慣れないリモート打ち合わせで、つい声を張りすぎたせいに決まっている。
 熱が引かなくなったのも単なる風邪に決まっている。しそうなほどが出るのも、精神的な問題に決まっている。病は気からと言うではないか。
 僕は感染していない。僕たち家族は感染していない。みんなと同じように。
 妻は三日三晩咳をし続け、一週間前の夜ふと見たら冷たくなっていた。だからもう感染していない。
 二歳の娘は熱で苦しいのか泣きまないので、今週頭に強くしつけたら動かなくなった。だからもう感染していない。 
 小中高とクラス全員が皆勤だった。腹痛でもインフルエンザでも、みんな頑張って登校した。全校生徒の前で校長先生から表彰された時の、あの達成感。の拍手で祝福された時の、あの連帯感。足並みを乱しそうな同級生を、みんなでよってたかって応援する充実感。
 自分が足並みを乱すことを想像したときの、耐え難いほどの不安、恐怖。
 今回も同じだ。みんなで健康的な日常を送ろう。今日は六月二十三日、妻の誕生日だ。思い切って僕が手作りケーキに挑戦してみようか。
 僕はとしながらキーを叩き続けた。

 ※  ※

「これ、小説ですか?」
 編集者がスマホの向こうで訊ねた。
「もちろん」僕は答えた。「大作家先生なら昔話や飼い猫のエッセイで成立しますけど、僕みたいなポッと出は小説で勝負しなきゃダメじゃないですか」
「ははは、ですよねえ」
 編集者は通話を切った。
 僕はにもたれ、咳が止まっているのを幸いに、たっぷりと酸素を吸い込んだ。すっかりした鼻でも耐えられないほど、まじい死臭が部屋に充満していた。
澤村伊智(さわむら・いち)
1979年大阪府生まれ。2015年『ぼぎわんが、来る』で第22回日本ホラー小説大賞〈大賞〉を受賞しデビュー。2019年「学校は死の匂い」で第72回日本推理作家協会賞〈短編部門〉を受賞。近著に『ひとんち 澤村伊智短編集』『予言の島』『ファミリーランド』など。2020年8月に『うるはしみにくし あなたのともだち』刊行予定。

〈6月24日〉



 この文章はあなたに希望を抱いてもらうために書かれている。
 少なくとも、そういう機能を期待されている。そもそもこのDay to Dayという連載自体が、読者を少しでも勇気づけ、心を明るくしてもらうことを願って立てられた企画である。
 もっとも効果的に人に希望を与えるのは金銭的な余裕だが、私のような小説家が提供できるのは、速やかにして充分な補償ではなく、ささやかな言葉だけだ。リアルな脅威と不安に苛まれているあなたに、小説家として何が言えるだろうか、何を言えばあなたに希望を与えられるのだろうかと、だいぶ考えた。
 ネットでエゴサーチをしていると、ときどき読者が、私が書くシリーズものの続きが出るまで死ねないとか、新刊が生きる希望だとまで言ってくれていて、正直びびることがある。そういう感想は、自分の本以外に対してもしばしば見られる。「またライブに行く日まで死ねない」「舞台が再開するまで死ねない」「映画が公開されるまで死ねない」……たくさんの人が、いろいろな娯楽作品を、生きる理由として語っている。インターネットの言葉は基本的に大げさだから、それはただ「楽しみにしている」の誇張表現として受け止めるべきだとは思いつつも、そこに隠しきれない切実さを感じるのは私だけではないだろう。
 非常時において、私たち娯楽産業従事者にできることはほとんどない。医療従事者やエッセンシャルワーカーに比べれば、私たちは圧倒的に「役に立たない」。しかし、私たちの作品が誰かの心を支える一助になっていることも、また事実だと感じている。朝目を覚ますのが嫌になるような出来事が続く日々を、多くの人がぎりぎりのラインで耐え忍んでいる。折れそうな心を、小説やマンガやアニメや映画やゲームや音楽や旅行や、その他諸々の娯楽への期待で、なんとかつなぎ止めている人が大勢いる。それらの期待一つ一つは、生きる理由としては小さいかもしれない。しかしその小さな理由をいくつもかき集めて、ようやく人は生きていけるのだと思う。
 だから、娯楽産業従事者が非常時に可能な、唯一にして最大の貢献は、「持ち場を守る」ことだろう。暗闇の中に小さな火を灯し続け、今までもこれからもここにいるぞと示し続けることが、あなたに対して私ができるただ一つのことだ。私だけではない。あなたが振り返って、Day to Dayの目次を見直せば、そこに並んでいるのがそうして掲げられた灯火の列であることに気付くだろう。顔を上げれば、無数の小さな火が星空のように広がっている様子が目に浮かぶだろう。誰かに希望を抱いてもらうのは簡単なことではないが、誰かの道行きをわずかなりとも照らすことを祈って、篝火に薪をくべ続ける者たちが数多くいる。あなたの暗闇を、この火が少しでも明るくすることを願う。

宮澤伊織(みやざわ・いおり)
秋田県生まれ。2011年、『僕の魔剣が、うるさい件について』(角川スニーカー文庫)でデビュー。2015年、「神々の歩法」で第6回創元SF短編賞を受賞。冒険企画局に所属し、「」名義で『インセイン』(新紀元社)などTRPGのリプレイや世界設定も手がける。他代表作に「裏世界ピクニック」シリーズなど。
 〈6月25日〉奇跡の秘密


 うちのお祖父ちゃんは、今日六月二十五日で七十六歳になった。認知症というほどではないが、話の内容がごっちゃになることがある。それは中学三年の私でも気づく。
 お祖父ちゃんはママの父親で、岩手県盛岡市で生まれ育ち、ずっと県立高校で国語の先生をしていた。お祖母ちゃんが病気で亡くなってからも、庭に花を植えたり、趣味の文学講座などに通い、盛岡で一人暮らしをしていた。
 だが、去年あたりから「ごっちゃ」と「もの忘れ」がひどくなり、パパの勧めもあって東京で私たちと一緒に暮らしている。
 今、お祖父ちゃんの一番の自慢は、新型コロナウイルスの感染者数が、全国で岩手県だけゼロだということだ。
 夕方、テレビのニュース番組が始まると、私はドキドキする。今日もゼロだろうか。お祖父ちゃんは必ず聞くのだ。
「今日はなんただったべか、盛岡」
 私は毎日、ホッとして答える。
「今日もゼロだよ! でもお祖父ちゃん、盛岡だけじゃなくて岩手県全部でゼロなんだよ。花巻水沢も岩手県ぜーんぶ」
「たいしたもんだおな、盛岡」
 何度教えても「盛岡」だ。
 岩手県だけがゼロで、新聞やテレビが「奇跡だ」と伝えることが、お祖父ちゃんの生きる力になっている。パパもママもそう言っていた。
 だから、私達は恐れている。今日は感染者が出たのではないか、今日は、今日はと心配する。一人でも出たら、お祖父ちゃんは「そが、だべな……」と、うなずくだろう。そんな姿は見たくない。まして今日は誕生日だ。何とか奇跡が続いてほしい。テレビをつけるのが恐かった。
 ゼロだった! お誕生日おめでとう!
 私は大喜びでお祖父ちゃんに聞いた。
「すごいよ、岩手! どうしてだ?」
 すると、いつになくキッパリと言った。
「花巻出身の宮澤賢治が書いでるべ。『注文の多い料理店』の序文さな。こいづは岩手県人のごどだと思うっともな。俺はよ」
 お祖父ちゃんは嬉しそうに暗誦した。
「きれいにすきとおった風をたべ、桃いろのうつくしい朝の日光を飲むことができます」
 お祖父ちゃんが岩手山の見える教室で賢治を教えていた時も、すきとおった風と桃色の日光を体に入れていたのだと思う。
 もしもゼロが途絶えた日には、
「もうコロナはいいよ。バラエティ見よッ」
 と言うつもりだ。
内館牧子(うちだて・まきこ)
1948年秋田市生まれの東京育ち。武蔵野美術大学卒業。‘88年脚本家としてデビュー。テレビドラマの脚本に「ひらり」(’93年第1回橋田壽賀子賞)、「毛利元就」(‘97年NHK大河ドラマ)、「私の青空」(2000年放送文化基金賞)など多数。元横綱審議委員。2003年、大相撲研究のため東北大学大学院入学、2006年修了。著書に『終わった人』『すぐ死ぬんだから』などがある。
〈6月26日〉囲いを越えろ


 スターターピストルが鳴った。
 ジョンは地面を蹴り、最初のハードルに向けて加速をはじめた。よし、と心中でつぶやく。感触はいい。気持ちはいでいるし、競技に集中できている。まず最初の一台、ついで二台目のハードルを飛び越えた。
 二ヵ月後のオリンピックに向けた、四〇〇メートルハードルの代表選考レースだ。オリンピックへの出場を望むなら、今日、いまここで結果を出さなければならない。
 この日のレースに至るまでには、さまざまなことがあった。
 まず何よりも、世界を覆い尽くしたあの疫病だ。悪夢のような第三波がやってきたのが、去年の秋のこと。病はいまだ世界各地でくすぶり、収束したとは誰にも言えない。
 そして、前回のオリンピックは中止。
 今年、ジョンは二十七歳を迎えた。年齢から考えると、これが大舞台に臨む最後のチャンスかもしれない。一人のアスリートとして、世界になんらかの爪跡を残せるかもしれない、その最後の機会。
 五台目、六台目とハードルを越える。
 すでに心臓は潰れそうだ。
 四〇〇メートルは、人間が全力疾走できるかできないかの、ぎりぎりの長さになる。いわば、究極の無酸素運動。最高に苦しく──それでいて、最高に気持ちのいい競技だ。
 スピードが落ちてくるのが自分でもわかる。
 だんだんと、ハードルが高く見えてくる。が、このときだ。ジョンの身体の、なんらかのスイッチが入った。苦痛が、快楽へと反転する。静かだ。あたかも、自分一人しか走っていないかのような。
 七台目。そして、八台目。
 ハードルとは塀や柵を意味する。最初は、羊のための囲いが競技に用いられたそうだ。越えろ、と念じた。そうだ、越えろ。いま、自分たちを取り巻くあらゆる囲いを。
 九台目を越え、最後の十台目のハードルを越える。
 ゴールはもう目の前だ。もう、ジョンにはわかっていた。いまのところ、ミスらしいミスはない。あとは、ゴールへ走りこむだけ。自分は、世界最速の男になったのだ。
 ──ジョン・ケリー・ノートン。
 一八九三年生、のちのコロンビア大教授。スペイン風邪が世界的に流行するさなかの一九二〇年六月二十六日、アントワープオリンピックの代表選考レースにて、四〇〇メートルハードルで五四・二秒の世界記録を樹立した。
宮内悠介(みやうち・ゆうすけ)
1979年東京都生まれ。早稲田大学第一文学部卒。2010年、「盤上の夜」で第1回創元SF短編賞選考委員特別賞(山田正紀賞)を受賞しデビュー。『盤上の夜』で第33回日本SF大賞、『ヨハネスブルグの天使たち』で第34回日本SF大賞特別賞、『彼女がエスパーだったころ』で第38回吉川英治文学新人賞、『カブールの園』で第30回三島由紀夫賞、『あとは野となれ大和撫子』で第49回星雲賞を受賞。他著に『遠い他国でひょんと死ぬるや』『黄色い夜』など多数。
〈6月27日〉悪魔の報酬


 時計の針が午前零時を指して、日付が6月27日に変わったころ悪魔の声がした。
「私を呼んだのはキミかな?」
 十数年前の死去からずっと手つかずだった祖父の書斎で見つけた古い本の通りに、悪魔の召喚方法とやらを試してはみたものの、まさか本当に現れるとは思ってもみなかった。
「俺のライバルの、山田二郎を殺してほしい」俺は迷いもなくそう言った。
 俺にとっておそらく最後のチャンスだったオリンピックの代表になるためには、すでに代表に決まったその男を排除する以外に方法はなかった。怪我をさせるだけでも目的を果たせはするのだが、代表確実だと言われていた俺を土壇場になって絶望の淵に蹴り落とした山田に、いつしか俺は殺意すら抱くようになっていた。
「他人の人生を縮めるからには、その代償はキミの人生で支払ってもらうことになる」
 テーブルの上の、身長十五センチの葬儀屋のような悪魔が言った。
「どのくらい?」俺の問いに、悪魔は左の掌を見て電卓を叩くような仕草をした。
「三十二年と少し。……まぁ端数はまけておくよ」
「それだと、俺は何歳で死ぬことになるんだ?」また悪魔が電卓を叩くような仕草をした。
「八十八」「え?」なんだ、俺は本来百二十まで生きる運命だったのか。三十二年減らされても八十八まで生きられるんなら構いやしない。「じゃあ契約成立だ」俺がそう言うと、悪魔はフッと姿を消した。途端にデスクの電話が鳴った。受話器を取ると女の声がした。
「山田二郎さんが亡くなりました」ほう、悪魔は仕事が早いな。だがこの女は誰なんだ?
「新型コロナの肺炎です。もともと肺に疾患をお持ちだったらしくて……」
 新型コロナってなんだ? 肺に疾患を抱えてて、マラソンの代表になるわけがない。
「このご時世ですから葬儀は近親者のみで行うそうです。お花を手配いたしますか?」
 そのとき、目に入った自分の指が、やけに皺っぽいのに気がついた。
「あの、山田は何歳で死んだのかな?」
「え? たしか会長と同い年のはずですから、五十八じゃないですか?」
 二十六から五十八までの三十二年を奪われた俺は、ただため息をつくしかなかった。
木内一裕(きうち・かずひろ)
1960年、福岡県生まれ。2004年、『藁の楯』(2013年映画化)でデビュー。同書はハリウッドでのリメイクも発表されている。他著に『水の中の犬』『アウト&アウト』『キッド』『デッドボール』『神様の贈り物』『喧嘩猿』『バードドッグ』『不愉快犯』『嘘ですけど、なにか?』『ドッグレース』『飛べないカラス』がある。
〈6月28日〉幻句


夜桜も化けて来たれや京の宿

五億年待てとは仏の嘘ぞ花吹雪

青き鱗のどこまでが哀しみぞ蛇眠る

月を真白となりぬ

万緑の底に哭きいさちる神あり青嵐

卵胎生の子を生めり

狼がくわえている夏の月

蛍火の口より出でよ
秋の指青き乳房となる

酒尽きて月と寝ている李白かな

松の月笑うてぶらさがり

月をや影赤し

人ことごとく滅びて赤し曼殊沙華

湯豆腐を虚数のような顔で食う

寒月を睨んでおりぬ土佐衛門

青き嘘つきたる唇の真紅

いちめんのなのはな虚数のの海光る

ゴジラも踏みどころなくて花の山

盲獣となりし母なり赤き月

花揺るる那由他不可思議無量大数

夢枕獏(ゆめまくら・ばく)
1951年1月1日、神奈川県小田原市生まれ。‘77年作家デビュー。『キマイラ』『サイコダイバー』『闇狩り師』『餓狼伝』『陰陽師』などの人気シリーズ作品を次々と発表。’89年『上弦の月を喰べる獅子』で日本SF大賞、‘98年『神々の山嶺』で柴田錬三郎賞受賞、2011年刊の『大江戸釣客伝』で泉鏡花文学賞、舟橋聖一文学賞、吉川英治文学賞をトリプル受賞。他の著書に『大江戸恐龍伝』(全6巻)、『ヤマンタカ 大菩薩峠血風録』など。多数の連載を抱えながら、釣り、観劇、作陶など多彩な趣味を持つ。
〈6月29日〉小沼丹先生とセーヌ河畔の謎


 コロナに遭わないために、家にいなさい、という声があちこちからきこえると、ふだん意識しないことを意識するものである。めずらしいことに、家のなかをじっくり視るようになった。文庫本がならぶ書棚に、講談社文芸文庫がならんでいて、そのなかの数冊がすべて小沼丹先生の作品であることにおどろいた。恩師の作品である。私は嬉しくなった。初期の『村のエトランジェ』から後期の『珈琲挽き』まである。それらを買ってきたことを忘れていた。
 私は大学を卒業して雑誌社に勤めるようになってからも、二、三か月にいちど、三鷹の小沼先生を訪ねては、話をうかがった。先生は小説家志望の青二才の相手をよくしてくれたものだ、といまさらながら頭がさがる。
 先生は英文科教授という肩書きのまま、ロンドンに留学なさった。そのロンドン滞在の成果は『椋鳥日記』にこめられている。私は帰国後の先生から土産話をきくことができた。その話のひとつに、こういうものがあった。
「吉岡がヨーロッパ旅行の途中で、フランスにくるというので、パリで会ったんだ。セーヌの河畔で赤ワインを飲もうということになり、注文したところ、ボーイがパンとミルクをもってきた。どうしてだろうかね」
 話のなかの吉岡というのは、吉岡達夫さんのことで、私のもとの上司であり、小説家でもある。先生はその話を微笑をまじえておっしゃったが、私は笑わなかった。笑えなかった、といったほうがよい。
 ――とんまなボーイだ。
 と、笑い飛ばしてしまえば、その話も記憶の外に飛び去ってしまったであろう。その後、小沼先生が亡くなられたあとも、憶いだしては、なぜ赤ワインがパンとミルクになったのだろう、と考えた。そんな謎が十年以上も解けなかったのだから、私こそとんまであるというしかない。
 あるとき、こういうことではなかったか、と思いあたった。先生は赤ワインの赤を、フランス語のルージュではなく英語のレッドと発音したのではあるまいか。それをボーイはフランス語のレつまりミルクと理解した。つぎにワインは英語でワインそのままだが、フランス語ではヴァンである。先生はレッド・ワインと発音したか、もしかしたらレッド・ヴァンといったかもしれない。そうなると、レ・エ・パンつまりフランス語でミルクとパンになる。謎解きのあまりの遅さに、天上の先生は苦笑なさったであろう。
宮城谷昌光(みやぎたに・まさみつ)
1945年愛知県蒲郡市生まれ。『天空の舟』で新田次郎文学賞を、『夏姫春秋』で直木賞を、『重耳』で芸術選奨・文部大臣賞を、『子産』で吉川英治文学賞を受賞。中国古代に材をとった歴史ロマンの第一人者。『孟嘗君』『管仲』『楽毅』『晏子』『王家の風日』『奇貨居くべし』『太公望』などの小説、エッセイの『クラシック 私だけの名曲1001曲』ほか著書多数。近著に『呉漢』『三国志』『呉越春秋 湖底の城』『劉邦』『窓辺の風 宮城谷昌光 文学と半生』などがある。2006年に紫綬褒章、16年に旭日小綬章を受章した。
漫画版Day to Dayはこちら

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