五月×日

文字数 4,746文字

1日1冊、3年で1,000冊の本を読み、月産25万字を執筆し続ける小説家・斜線堂有紀。


謎めいた日常はどのようなものなのか――

その一端が今ここに明かされる。


毎月第一・第三月曜日、夕方17時に更新!

夕暮れどきを彩る漆黒の光・”オールナイト”読書日記が本日も始まる。

五月×日

 小説家にゴールデンウィークなどない。日々平常運転ばっちり仕事、今日のノルマもしっかりこなしていきましょうという感じである。だが、ゴールデンウィークは浮かれる。何故か? 仕事の関係者さんたちがお休みなので、若干連絡や〆切などがゆるやかになるのだ。なので、同じように仕事をこなしたり、あるいはちょっとゆるく過ごしたりしていても精神的な余裕が違うのである!

 そんなわけで『SFマガジン 異常論文特集』を読む。特集が発表された時から楽しみにしていたものだ。小説にしか出来ないものの一つに論文形式がある、という言葉をTwitterで見てから、なるほどな、と思った次第である。大学時代はあんなに忌避していた論文を大人になって嬉々として読むようになるとはな。

 お気に入りは倉数茂『樋口一葉の多声的エクリチュール──その方法と起源』であり、論文でありながら、いや論文だからこそ持つ幻想性が美しい。私の好きなSFの傾向として、一見接続し得ないものが融和するもの、というのがあるのだが、一葉の語りと口寄せを繋げ、あの叙情的なラストに繋げる手管には惚れ惚れしてしまう。あとはやはり柴田勝家殿の『火星環境下における宗教性原虫の適応と分布』。面白い。

 ところで、私は大学時代に派手に落ちこぼれていた。うっかり外国語の取得が必須の学部に入ってしまったものの、今まで勉強というものをまるでまともにやってこなかったので、必修講義で使われているドイツ語が全くわからないので負のループに入ったのだ。だが、幸いながら、本を読むのは速かったので、膨大な課題図書を読んで周りに内容を教えたり、レポートを代筆する代わりに作文などの課題をやってもらっていた。どこにでも抜け道はあるものだ。

 そんな有様であったので、担当教授からもかなり厳しい目を向けられていたのだが、そんな私が唯一褒められたのが卒業論文だった。私は当時『キネマ探偵カレイドミステリー』の執筆中で、ネタ集めの為に国内外の映画関係の論文や、映画関係の書籍を読み漁っていたので、それをそのまま流用して映画にまつわる論文を書いた。あれだけ徹底的に落ちこぼれていた人間の卒論を認め、最高評価をくれた教授のことは印象深い。

 でも、私は教授の言った言葉が分からないので、あの論文のどこがそんなに評価されたのかを、殆ど理解出来ていないのだった。



五月☆日

 ここまで外に出ないゴールデンウィークは最初で最後かもしれないな……と去年も思ったことを思い出す。もしこんな状況じゃなかったら、旅行に出ていただろうに。そもそも、本来は去年の十月にはラスベガスに行っている予定だった。こんなことになるなら、忙しいとばかり言っていないで、どこにでも行けばよかった。

 そんなことを考えながら読んでいた朝井リョウ『正欲』である。これは動物をパートナーとする動物性愛者(ズーフィリア)を扱ったノンフィクション『聖なるズー』(濱野ちひろ)が面白かったから、という流れで手に取った一冊。

 ここ数年、というレベルではなく、ここ一年の世界を綺麗に切り取った作品であると思う。この速度感は、書く側に相応の覚悟と筆力が無ければ出来ないことだと思い、感嘆した。一口に言ってしまえば、これは今ようやく目を向けられ始めた「多様性」と、そこから取りこぼされる「特殊性癖」の物語である。作中で必要なものと繰り返し主張される「繋がり」は、今の時代に求められるものだと思う。けれど、その「繋がり」にアクセス出来ない人間はどうなるのか? という部分まで踏み込んで語られる物語は迫力がある。

 この本を読んだ時に平行して思い出したのが、マイケル・サンデル『実力も運のうち 能力主義は正義か?』だった。この本は「努力すれば誰でも成功出来るっていうけれど、そもそも努力出来る環境がなければ土俵にも立てないのでは?」という、みんなが薄々勘づいていたことについて切り込んだ一冊である。そもそも「繋がりを得て社会から孤立しないようにしよう! という土俵に上がれない、認められないマイノリティーはどうすればいいのか?」という『正欲』と、同じものが通底しているのではないかと思う。



五月/日

 ケン・リュウ『宇宙の春』が出た。短篇集が出るのを毎回楽しみにしているので、このゴールデンウィークが彩られた気分だった。そして、全篇が傑作。小説家である自分からすると、読者が不適切だと思った表現を削除したり、自分好みに小説をチューンナップ出来るようになった世界での読者と作者の攻防『ブックセイヴァ』に思うところがあったり。読者が一番好ましいと思う状態で小説を読むことは一概に悪いとは言えない、けれど自分の小説に勝手に改編を加えられ「二次創作」を消費される作者の身を裂かれるような苦しみに思いを馳せてしまう。現実でもこの物語のデバイスに近いものはある。縦書きを横書きにするリーダーとか。その程度と『ブックセイヴァ』を比較するなんてと思われるかもしれないが、案外そういうところでさえ、この世界に繋がっているのだ。

 あとは先日、異常論文特集を読んだ時の感動が『マクスウェルの悪魔』にもあるな、と思ったり。幽霊とマクスウェルの分子ブンブン装置を接続して、一人の女の生き様を描いてみせる、この繋げ方の妙よ。そういえば、ラッパーのR-指定さん曰く、ラップにおける優れた韻には飛距離があるという。


 「A」という言葉と「B」という言葉で踏もうとしたら、「A」と「B」の言葉の響きは近ければ近いほどいい。でも、その内容がかけ離れていれば離れているほど、韻として面白いというか。


 という言葉と共に、ZORNさんの「表参道のオープンカフェより嫁さんとの醤油ラーメン」というリリックを紹介している。

 これを聞いた時、自分がSFに求めてるものも、多分こういうことなんだなと思った。飛距離。飛距離なのだ。私はキーボードを叩きながら、空に打ち上げなければならない。



五月●日

 先月、柴田元幸さんの翻訳しているものは自分の好みに合っていることが多い……と気づいたのでリン・ディン『血液と石鹸』を取り寄せて読み始めた。これがやはり当たりだった! 「訳 柴田元幸」の文字は、理想の地に導いてくれる鍵であることを知ってしまった。これからしばらくは未読の柴田元幸訳作品をローラーしていくことになるだろう。

 全体的に、言葉というものをどう取り扱うのかということをテーマにした短篇が多かったような気がする。作者が小説家であり詩人であるのが影響しているのかもしれない。

 一番印象的なのは『!』だ。エクスクラメーションマーク。主人公のホー・ムオイは戦争中に捕虜のアメリカ人兵士から英語を聞き取り、そこから自分の思う独自の「英語」を創り上げて生徒に教え、やがて偽英語教師として告発される──。この短篇における外国語、ひいては言葉の捉え方がとてもしっくりと馴染むのだ。

 ハッとするような一文もとても多い。


 君は自分の犯罪を美的に仕立て上げる腕にかけては天下一品だから、君の犯罪の犠牲者たちですら、おぞましい写真に入れてもらったことを感謝する。(『13』)


 こんな切れ味のいいセンテンスが書けたら、他に何も要らないよな、と思う。

 これからしばらくは柴田元幸訳作品を追っていくと思うので、読書日記にもそれが顕著に出てくることだろう。みんなもこのタイミングで柴田元幸作品を追って行くと、斜線堂有紀と同じ読書体験を追っていくことになると思う。というわけで、来週は多分スチュアート・ダイベック『路地裏の子供たち』を読む。



五月▽日

 亜紀書房翻訳ノンフィクションシリーズには外れが無い。ロックフェラー失踪事件を追った『人喰い』や、スティーヴン・キングも注目していたというゴールデン・ステート・キラーについて書かれた『黄金州の殺人鬼』など、年間ベスト級のノンフィクションを次々に繰り出してくるので、一介のノンフィクション好きである斜線堂有紀はこのシリーズに骨抜きにされている。

 そんな亜紀書房が満を持して出してきたのが、精神病院の実態を調査する為に、精神病者の振りをして忍び込んだ人々を描いた『なりすまし 正気と狂気を揺るがす、精神病院潜入実験』である。かねてから、人間の精神に興味を持っていたので、この題材は殊更に刺激的だった。正常を主張する精神病患者と、本当に正常な人間を判定出来ないままに進んでいった精神病治療。同じようにこの精神医療暗黒時代について書かれた名著といえば『ロボトミスト』があるが、こちらは更に「境界」について深く書かれている。

 この本は冒頭から、精神病院が不都合な身内を体良く厄介払いする為の場所として機能していたという衝撃的な話で始まる。金を払って入院させてしまえば、もう二度と戻って来られない追放の地だというわけだ。私の好きなドイツ文学作品にシュニッツラーの『闇への逃走』という物語があるのだが、まさにその世界である。(『闇への逃走』は、自分は正常なのに、実の兄に精神病院に入れられるかもしれないという恐怖と被害妄想に取り憑かれた末に、実の兄を殺してしまうという顛倒を描いた物語。正常なのに異常だと判定されてしまう! という妄想に囚われた異常という入れ子構造がすごい)

 そこから、患者を外に出すまいとして異常の判定を下し続ける医師と、自分が正常であることを証明しつつ、どうにか病院からの脱出を目論む男の攻防、1973年の「ローゼンハン実験」に繋がっていくのだが、これは精神医療の負の歴史の話であり、人間の尊厳の話でもあった。ここ数年でもかなり上位にくる傑作ノンフィクションである。(ちなみに、この本の話をした時に、流れで進めたくなったのはドーン・ラッフェルの『未熟児を陳列した男:新生児医療の奇妙なはじまり』である。何でだろう……)

 さておき、これを読んでいる時に私生活で大きな変化があって、心がハチャメチャになった。以前からあまり動揺しない性質だったので、こんな感じに生活が乱れることが初めてで驚いてしまった。そのことを友人に相談したら「知らなかったかもしれないけど、人間っていうのはみんな、そんな感じなんですよ」と、心を初めて知ったアンドロイド向けのアドバイスをされた。そう、人間ってこういう生き物なのね……。

 折角なので、そういう一連の流れを文字に起こして纏めてみたりなどをした時に、これの積み重ねが自分の好きなノンフィクションなのだ! と電撃的に気がついた。どんなノンフィクションも、最初はこういった人間のささやかな歴史から始まるのだ。とはいえ、なるべく気持ちを穏やかに、健やかに過ごしていきたい次第である。

最高評価のつけ甲斐がない卒業論文……


次回の更新は6月7日(月)17時です。

Written by 斜線堂有紀 

小説家。2016年、第23回電撃小説大賞にて“メディアワークス文庫賞”を受賞。受賞作『キネマ探偵カレイドミステリー』でデビュー。著作に『詐欺師は天使の顔をして』(講談社)、『恋に至る病』(メディアワークス文庫)、『ゴールデンタイムの消費期限』(祥伝社)などがある。2021年、『楽園とは探偵の不在なり』(早川書房)が本格ミステリ大賞にノミネートされ、注目を集める気鋭の書き手。

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