〈4月6日〉 真梨幸子

文字数 1,153文字

「映像の世紀」風に、コロナ禍を振り返ってみる


 あれは、2020の冬のことだ。
 オリンピックイヤーを迎えて、日本はどことなく浮ついていた。
 隣の国で、謎の風邪が流行っている。そんな声が聞こえてもきたが、まだ、呑気な日々は続いていた。
 が、それはあっという間だった。
 白が優勢のオセロが、終盤、みるみる黒に変わるように、世界は、謎の風邪に飲み込まれた。
 それでも、楽観的な政治家やコメンテーターたちは言った。
「イースターまでには、収束する」
「ただの風邪だ。慌てるな」
「マスクなど、することはない」
 が、オセロの黒の攻勢は続いた。3月に入ると、ヨーロッパ、アメリカの都市が次々と陥落。日に日にカウントされる、大量の死者。
 絶望の声が、ネットに溢れる。
 もうおしまいだ。耐えられない。助けてくれ!
 人々は、恐怖の虜になった。
「感染者を晒せ!」
「感染者を監視しろ!」
「感染者を封じ込めろ!」
 人々は、躊躇しなかった。この恐怖から逃れることができるなら、自由も人権もプライバシーも差し出していい、……そんな風に思うようになった。
 あのヨーロッパが。あのアメリカが。
 自由、人権、プライバシーを勝ち取るために、先人たちは多くのものを犠牲にして戦ってきたはずだ。その成果は、謎の風邪の前では、あまりに脆弱だった。
 そして、日本でも、緊急事態宣言が決定。4月6日のことだ。そして、その翌日、発令。
 今思えば、あれが、すべてのはじまりだった。分岐点だった。
 あれから、80年。 
 今、私たちは、何不自由なく平和に暮らしている。
 少しでも熱があれば、主治医から連絡がくる。働く必要もない。月々、必要最低限のお金が口座に振り込まれる。悩みがあればAIが解決してくれ、犯罪も、AIが未然に防いでくれる。
 人は、この世界をユートピアという。
 が、私には少し、違和感がある。
 部屋には監視カメラが取り付けられ、体にはGPSチップが埋め込まれ、外に出れば、監視ドローンがあちこちに飛んでいる。
 これが、ユートピアというものなのだろうか?
 私には、暗黒郷(ディストピア)にしか見えない。

(2100年、ある小説家の没収された日記より)


真梨幸子(まり・ゆきこ)
1964年宮崎県生まれ。2005年『孤虫症』で第32回メフィスト賞を受賞しデビュー。2011年に文庫化された『殺人鬼フジコの衝動』がベストセラーに。他の著書としては、『人生相談。』『5人のジュンコ』『おひとりさま作家、いよいよ猫を飼う』『初恋さがし』『三匹の子豚』など多数。最新刊は『坂の上の赤い屋根』。

【近著】

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