陰毛スプラウト/石田夏穂

文字数 2,376文字

文芸誌「群像」では、毎月数名の方にエッセイをご寄稿いただいています。

そのなかから今回は、2021年7月号に掲載された石田夏穂さんのエッセイをお届けします!

陰毛スプラウト


 世は、脱毛戦国時代だ。電車に乗ると、その広告の多さに驚く。「客の希望する部位を無毛にする」という共通の使命を帯びつつも、各社の宣伝文句、起用する広告塔、売りのポイントなどは千差万別で、その群雄割拠ぶりは、実に興味深い。もっとも、高みの見物を気取るつもりはなく、私自身、脱毛という行為に淫する者である。両親が霊長類であることは間違いなさそうだが、どの霊長類ですかと問いたくなるほど、私は生来毛深いのだ。


 私の知る限り、脱毛には「光」「レーザー」「針(ニードルないしは電気とも)」の三種類がある。この内、電車の広告に見られるのは「光」と「レーザー」だ。これらの施術では、特殊な「光」ないしは「レーザー」を、無毛にしたい部位に照射する。この「照射系」の手法は、その手軽さから国民的行為にまで上り詰めたわけだが、実は照射の前に、施術部をつるつるに剃っておかなければならない。所謂「自己処理」と呼ばれる事前準備だが、これを怠ると、毛が長すぎ、火傷する恐れがあるのだ。


 脱毛と聞くと、他愛ない女の遊びのようだが、照射を侮ることなかれ。照射を終え、一週間か十日もすると、ぽろぽろと毛が抜けてくる。元が毛深いほど、この現象は劇的だ。こればっかりは、何度経験しても面白い。施術部がVライン(ビキニライン)だと、パンツの内側に、二ミリ前後の陰毛たちが、殉死した戦士よろしく力尽きている。これは、照射により弱められた毛根が、遂に毛を繫ぎ止める力を失ったことを意味する。無論、一度の照射で、毛根の全滅が達成されるわけではない。毛根は、回を重ねるごとに毛を細くしながら、徐々に再起不能になるのだ。

 そう、脱毛というのは、長期戦だ。毛には毛周期なる輪廻転生のような生死のサイクルがあり、一般に、このサイクルに則った照射頻度は、最短でも一ヵ月に一度とされる。そのため、どれほど金持ちであろうと、暇であろうと、無毛を切望しようと、一年に照射できるのは、誰しも精々十二回程度だ。何回照射するかは個人次第だが、私のような剛毛だと、一年や二年は平気で掛かるらしい。


 このように、毛根の息の根を段階的に止めることが脱毛なら、そこには介錯人のような一抹の情けさえないに等しかった。この非情さに思いを馳せると、脱毛という行為は、むしろ殺毛と呼ぶべきなのかもしれない。しかし、半眼になり、そんなことを考えながら、次の予約を週末に控えた私は、いそいそと剃刀を持ち出し、施術部をつるつるにする。本来「自己処理」には剃刀よりも電気シェーバーが推奨されるが、一体、私はいつになったら買うのだろうか。


 先月、シャワーを浴びていると、その二週間前に脱毛したVラインの表面に、新たな黒い点々が表出していた。この時、Vラインの照射は五回目を終えており、一度の照射の効果は高が知れているとしても、流石に一回目の時よりは、毛は少なくなっていた。


 通常、外界に晒すことのないVラインの肌というのは、紫外線とは無縁のせいか、他の部位より白く柔らかい。一方、そこに生える毛もとい陰毛は、他の部位より濃く太く、何より縮れていて忌まわしい。この肌感にこの毛質かよという、残念な組み合わせの不運を思わせる部位である。


 この黒い点々を目にした時、また生えてくんのかよーと、私は自らの陰毛にブーイングした。しかし、死の照射に幾度となく晒されているにもかかわらず、こうして頑なに生えんとするのは、一体何の意地だろう。この、路傍の雑草のような強かさと健気さは。


 その時、私が正気だったか否かはさておき、その在り方がスプラウトの発育に酷似していることに、私は気づいた。台所の脇に、最近買った、スプラウトの栽培キットがある(三八〇円也)。これは、下部のプラスチックの容器を水道水で満たし(カップラーメンのように「ここまでっ」と指南する横線が書いてある)、上部のざるにスプラウトの種(別売)を蒔いておくと、翌朝には、もう種の外皮が剝けているという驚くべき代物だ。さらに、会社から帰ってくると、何と、もう萌芽しているではないか。その在り方は、一日一回、水道水を取り替えているだけとは思えない(それも日によっては忘れる)、スプラウトが持つ剝き出しの生命力を思わせた。床に落としたら二度と回収不可能というほど小粒だった種たちは、その迷いのないスピード感を維持したまま、一週間後には一端のスプラウトになる。


 そう、どうやら、私が自らのVラインに垣間見たのは、そういう生命力の発露だったらしい。先週末に六回目の照射をしたが、依然として、この陰毛たちは不死鳥のように蘇る。死の照射を生き延びた毛根たちは、死んだ毛根たちの仇討ちかという勢いで、むしろ以前より猛々しく、肌の中から顔を出すのだ。


 会社では頻繁に上司に怒られ、同僚に雑務を押しつけられ、飼い猫にはしばかれ、ろくに言い返せない(やり返せない)私である。しかし、こんな負けん気が、この身体の中にあったとは。勇気づけられたというほど感動的な気づきでもなかったが、私は、ふうんと、じょりじょりと硬い陰毛を撫でてみる。要介護になる日に備え、ハイジニーナ(所謂「パイパン」)を目指している私だが、この毛根たちが本当に全滅してしまったら、あるいは、独りぼっちになった気分にでもなるのだろうか。


 もっとも、そういう負けん気は、毛根ではなく、脳の然るべきところにあったら良かったのだが。まあ、いいだろう。


石田夏穂(いしだ・かほ)

作家、1991年生まれ。近刊に『我が友、スミス』。

2022年3月号「群像」に、中篇「ケチる貴方」が掲載されています。

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