七月▽日

文字数 6,432文字

1日1冊、3年で1,000冊の本を読み、月産25万字を執筆し続ける小説家・斜線堂有紀。


謎めいた日常はどのようなものなのか――

その一端が今ここに明かされる。


毎月第一・第三月曜日、夕方17時に更新!

夕暮れどきを彩る漆黒の光・”オールナイト”読書日記が、本日も始まる。

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七月▽日

 「小説推理」2022年9月号に新作短篇『妹の夫』が掲載された。


 二度と地球に戻れぬ長距離宇宙航行ミッションに出た荒城は、地球にいる妻の琴音の姿をカメラ越しに見つめ続けていた。だが、長距離ワープの直前に自宅の妻が殺されるところを目撃してしまう。犯人は琴音の妹の夫であった。


 地球時間で七年後の長距離ワープ明け。荒城は「犯人は妻の妹の夫」と、フランス人オペレーターのドニに伝えようとするものの、翻訳機の故障と重なる不運により、荒城は全く話せないフランス語でそれを伝えなければいけなくなってしまう。おまけに、次のワープは20分後に迫っている。ワープが明ければ、地球時間ではなんと70年以上が経過。宇宙飛行士の荒城とフランス人オペレーターのドニは、史上最長の伝言ゲームを成功させられるのか。……という言語解読コミュニケーションミステリだ。


 小説推理に載せる短篇は全部「コミュニケーション」をテーマにしたミステリにしようということになっているので、今回は伝言ゲームを元に着想した隔てられた二人、というエモーショナルなシチュエーションを描きつつ、異言語を用いた一種の暗号ミステリをやりたい! というのが着想のきっかけだった。ちなみに、言語で書くか~と思ったのは川添愛『言語学バーリ・トゥード』を読んだからだった。これは言語学者である著者が言語学の初歩を説明しつつ日々を綴る本であり、言語学に纏わるコラムを楽しめる。(好きなのは「恋人が/はサンタクロース」問題を扱った章である。多くの人がこの曲のタイトルを覚え間違えるが、それは一体何故なのか? という話だ)


 それはそれとして岡田憲治『政治学者、PTA会長になる』を読む。これは担当編集さんに薦められたものだ。他人のオススメは大体私に刺さるものなので、怖々と読んだ。案の定面白かった……!


 内容はタイトルの通りで、誰もがやりたがらないPTA会長という役割を政治学者である著者が引き受け、改革を進めていくというドキュメンタリーだ。


 私はまだPTAというものに関わったことがないが、幼い頃に母がPTAの仕事で苦しめられるのを見ていた為、PTAとは不合理な悪の組織だという偏見も甚だしいイメージを持っていた。従って、この本を読む前は理不尽なPTAを政治学者知識で成敗してくれるのだろう……と思っていた。そんな内容ではなかった


 そもそも、この本を読んで知ったことなのだが、PTAは悪の組織ではない。不合理で時代遅れな仕組みはあるが、別に親を苦しめようと組織されたものではないのだ。著者は保護者からの聞き取りを行い、みんなが苦しんでいる活動をどんどん廃止していこうとするのだが、その試みには成功したものもあれば、失敗したものもある。著者は最初、慣習になっていたことをやめることへの不安を漏らす保護者に寄り添えず「一体何が不安なのか?」と悩んだりもするのだが、この漠然とした不安を一つ一つ切り崩していくと、みんなが本当は何を考えていたのかが明らかになってくる。


 特に、あまりコストパフォーマンスの良くない活動だと思われていたベルマーク回収や古紙回収がPTAにもたらす役割なんかは、読んでいて面白かった。この本を読む前の私であれば、絶対に得られなかった視点だ。そうした丁寧な検証と共に「不合理なことはやめて、もっと合理的なやり方に変えたい」と殆どの人が思っているのに、どうしてPTAは変われなかったのかを明かしていくのだ


 本の終盤には、もうすっかり私達の生活の中に溶け込んでしまったコロナウイルスに関する章が設けられている。一斉休校の煽りを受けたPTAがどのように変わったのか、何が残り何が無くなったのかを論じる章は、それまで丁寧にPTAの活動を検めていたからこそ深く考えさせられる。それこそ、今読むと面白い一冊なのではないかと思う。


七月/日

 詠坂雄二『5A73』に推薦文を書かせて頂いた。私は「世界最小の多重解決。たった一文字にこれだけの世界を込められるとは」という言葉を寄せた。とても面白い物語だったが、一番の面白みに言及しただけでネタバレになってしまうところがあるのが詠坂作品の難しいところだと思う。(『T島事件~絶海の孤島でなぜ六人は死亡したのか?~』の時も、これと同じことを思った。前半はともかくとして、後半に言及するのが難しすぎる)


 物語の主題は謎の連続自殺事件。死んだ人間の身体にはおしなべて〝暃〟の文字があった……という謎を追っていきます。暃は読みや意味が存在しない「幽霊文字」であり、本来なら存在しないのにパソコンなどではJISコードが割り振られているという不思議な文字だ。事件の謎を追う人々は、必然的に暃とは何なのか? を考えさせられることとなる。死者によって残された文章の解釈をするのがダイイングメッセージものだと定義すると、この物語は世界最短、あるいは世界最小のダイイングメッセージものだと言えるかもしれない。ちなみに、この幽霊文字を扱った長編はあまり見かけないので、その点でも珍しい一作だ。


 この文字による解釈バトルが読んでいて本当に楽しかった。読んでいる私達の側も「暃」というのがどういう意味なのかを考えざるを得ない展開なので「この解釈は思いつかなかった」「私もそういう解釈だと思っていた(けどこの段階で出てきたということは、恐らくその解釈は違うのだろうな)」と、どんどん物語の中に入っていける。そうして迎える結末は……詠坂作品の味よ!! 読み終えた後に青崎先生の推薦文を読むと、うわあこのコメント……! と噛みしめることが出来る


 一作者一ジャンルとなるのが小説家の本懐だと思うのだが、詠坂作品は既にそれを達成しているように思える。こういう小説が生み出される世界であってよかった、と思う。よろしければ是非、お手に取ってみてほしい。


七月◎日

 星野道夫『旅をする木』を読む。この本を手に取ることになったきっかけは、とある漫画がきっかけだった


 私は『働かないふたり』という漫画が好きだ兄の守と妹の春子は、互いに成人しながら働かないニートの兄妹。そんな二人がゆるく楽しく日々を過ごしつつ、愉快な友人達や近所の人と交流を重ねていく……という日常コメディものである。この漫画に描かれている世界は優しく明るく、のびのびとしている。読んでいて「頑張ろう」という気持ちになれるので、とてもいい物語だ。(ちなみに、沢山のサイト・アプリで無料公開しているので、今すぐに読み始めることが出来る)


 ニートになる前、守は世界中を旅していた。彼は旅先で色々な苦労を味わうのだが、その度にこの『旅をする木』という本を読んで、心をフラットに戻すのだ。この本に関するエピソードは、連作としてとても素敵に纏まっているのでおすすめである。


 さて、肝心の『旅をする木』についてだが、これはアラスカに暮らす写真家・星野道夫が日々を綴ったエッセイだ。雄大な自然の中に暮らしながら、彼はアラスカ先住民族や開拓時代の白人達の生と死が隣り合わせだった頃の記憶を辿っていく。彼の言葉で特に印象的だったのは「自分の持ち時間が限られていることを本当に理解した時、それは生きる大きなパワーに転化する可能性を秘めていた」という言葉だ。彼はそれを原動力にアラスカまでやって来たらしい。その後、彼はカムチャツカ半島にてヒグマに襲われて死亡した。


 あとは、こんなエピソードもあった。友人と満天の星空を眺めている時に、星野は「愛する人にこんな星空や泣きたくなるほどの夕陽の美しさをどうやって伝えるか」という話をする。そして、友人はとある人に聞いたとっておきのやり方を教える。


【「自分が変わってゆくことだって……その夕陽を見て、感動して、自分が変わってゆくことだと思うって」】


 私はなるほどなあ、と思ったのだが、ここで『働かないふたり』のことも思い出した。旅から戻った守は、家に籠もるニートとなる。この本の内容と守の状況を照らし合わせると、つまり守は旅の感動をニートになることで表している……のかもしれない。なんて、こういうことをこじつけられるから、漫画の中で実在の本が出てくる展開が好きなのだ。


七月◇日

 最近よく映画を観るようになった。元々、人よりは映画を観る方ではあったものの、大学生時代の二日に一本観る、それも齧り付くように観る、という状態からは大分観る本数が減ってしまったな、と思っていた。(そもそも、そんな勢いで映画を観られるのは暇な大学生くらいだろうと思うのだが。こういうことをしているから留年するのだ)


 きっかけは、友人と話題のホラー『呪詛』を一緒に観たことだった。元々ホラーがあまり得意ではないのだが、これだけ話題になっているものを観ないのも何だかな、という気持ちで視聴に臨んだのである。これがとてつもない当たりだった。確かに怖い、けれどちゃんと細かく作り込まれていて面白い。細部のデザインも凄く好みだ。ということで、とても当たりだったのだ。これは話題になるだろうな、という部分も含めて面白かった。


 勢いづいた私は、その後にも友人とホラー映画を観た。これは少し古い映画で『呪詛』とテイストが似ていると話題になっているものだったのだが……こちらはさほど面白くなかった。観ている途中から、これは……これはどうなんだろうね? という話をしてしまうほど微妙な出来だった。(好きなところも無くはなかったのだが)


 その後から、再び色々と映画を観るようになった。『呪詛』よりもむしろ二本目の映画のお陰だった。私はこの体験のお陰で気づかされたのだ。自分が無意識のうちに「面白い映画だけを観たい」「微妙だったな、という感想を抱きたくない……!」と思ってしまっていたことに!


 日々忙しく過ごしているお陰で、私はどんな映画でもあらすじに惹かれたら観る、という気持ちを忘れてしまっていたのだ。友人とつまらない映画を観て「これは外れかも……」と思いながら、私は久々にこの感覚を味わったな、と思ったのだ。自分で選んだ映画を観て、微妙だったなー! と後悔する感覚を! けれど、別に面白くなかったからといってマイナスではない。それが映画鑑賞なのである


 それから私が観た映画は『フローズン・ライター』『フローズン・ビロウ』(映画配信サイトは名前が似ているものをサジェストしがち)『画家と泥棒』『さがす』『ゴーストランドの惨劇』『Ms.ベビーシッター』などである。面白さに差はあれど、どれも観てよかったな、と思った。


 友人と私は「映画って見終えた後に絶対に自分の中で得られるものがあっていいよね」という結論に至った。多分、どんな映画にも残るものがあるのだ。


 以下は、面白かった本である。


『月灯館殺人事件』/北山猛邦

 二〇二二年に生まれ出てきてしまった北山猛邦ミステリの集大成。北山猛邦のファンはこれを読むことで横っ面を張り飛ばされるような衝撃を受けるだろう。私はずっと北山作品を読んできてよかった! と思った。


 様々な事情で書けなくなったミステリ作家を集め、よりよいミステリを書く為の環境を提供する月灯館。そこで、ミステリにおける七つの大罪を犯した作家達が次々と殺されていく。北山作品お馴染みの大がかりな物理トリックや、凝った意匠の館など、物理の北山に求めるものが全て詰まった事件がたまらなかった。今年一番面白かったミステリかもしれない……と思ってしまう。特に、三番目の密室の謎が好きだ


 あと、本書の解決編のやり方にも驚いた。これ、アリなんだ……!? この解決編のやり方が物語に大きく関係しているところも膝を打ってしまう。何より、このパートを読んでいる時のテンションの上がり方が凄い。本格ミステリを愛する方には是非読んで欲しい一冊である。



『トマトソースはまだ煮えている。 重要参考人が語るアメリカン・ギャング・カルチャー』/HEAPS編集部

 タイトル通り、アメリカの有名なギャング達の日常から文化、伝説を扱った連載コラムを纏めた一冊。ギャングがどのように発展し、生きてきたのかを面白エピソードと共に紹介してくれている。主に話をしてくれているのは、ニューヨークで「ミュージアム・オブ・アメリカン・ギャングスター」を営業しているローカン・オトウェイ氏である。そもそもニューヨークにはギャングの博物館があるの!? というところに驚いてしまった。中には当時の新聞や、ギャング達の使ったトミーガン、アル・カポネが指揮した抗争で使用された銃弾などが飾られているらしい。……行きたい!


 ギャングへの偏見を取っ払い正しい彼らの姿を伝えたいというローカンさんの伝えるエピソードのギャング達は、なんだか少しお茶目で親しみやすい。(とはいえ、彼らが暴力と切り離せない存在であることは重々強調されるのだが)例えば、彼らはとにかくトマトソース(彼ら流に言うならトマトグレービーらしい)と甘いものに目がなく、逃亡中であれトマトソースを煮たりする始末。レストランで出てきたトマトソースが気に入らなければ、自分で厨房に行って調理をしたそうだ。


 ギャングについては朧気なイメージしか無かったものの、この本を読むとギャングがどんな仕事をして、どんな日々を過ごしていたかが分かる。一般社会とは馴染めない彼らの流儀は、端から見ると案外面白いものだ。



『ロンドン・アイの謎』/シヴォーン・ダウド

 観覧車に乗ったはずの少年が、降りてくる時には消えていたという謎を追う青春ミステリ。ミステリの魅力の大半は探偵役が担っていると思うのだけど、今作の探偵役──十二歳のテッドが物凄く魅力的。「人とは違った脳」を持つ周りからは変わり者だと扱われているテッドが、いとこが消えた謎に正面からぶつかっていく物語なのだが……このテッドの見ている世界の描き方が物凄く上手い。テッドの視点から見る世界はこんな風で、だから彼は謎を解くことが出来たのだ、というストンと落ちる納得。何よりもこの筆致が凄い小説だと思った。


 おまけに、この物語はテッドの成長物語である。賢いが融通が利かず、姉のカットとも微妙に分かり合えていないテッドが、謎を解くことでちょっとずつ世界を知っていく様が、とてもいい小説だな……と思った。どうしてこんな事件が起こったのか? という動機も、等身大でとてもいい。もう一度テッドの物語が読みたいので、続編が無いかと思ってしまった。けれど、作者のシヴォーン・ダウトは本作を発表して間も無く病で亡くなっている。


 この作品を世に遺してくれたことに、心の底から感謝した。


「あなたへの挑戦状」(阿津川辰海・斜線堂有紀)が、会員限定小説誌「メフィスト」初の単独特別号として発行! 発売カウントダウン企画として、8月20日(土)に配信イベントも開催いたします!


次回の更新は、8月15日(月)17時を予定しています。

Written by 斜線堂有紀 

小説家。2016年、第23回電撃小説大賞にて“メディアワークス文庫賞”を受賞。受賞作『キネマ探偵カレイドミステリー』でデビュー。著作に『詐欺師は天使の顔をして』(講談社)、『恋に至る病』(メディアワークス文庫)、『ゴールデンタイムの消費期限』(祥伝社)などがある。2021年、『楽園とは探偵の不在なり』(早川書房)が本格ミステリ大賞にノミネートされ、注目を集める気鋭の書き手。

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