五月◎日

文字数 5,293文字

1日1冊、3年で1,000冊の本を読み、月産25万字を執筆し続ける小説家・斜線堂有紀。


謎めいた日常はどのようなものなのか――

その一端が今ここに明かされる。


毎月第一・第三月曜日、夕方17時に更新!

夕暮れどきを彩る漆黒の光・”オールナイト”読書日記が本日も始まる。

5月◎日

 相変わらず忙しい日々である。長編の改稿をしつつ、息抜きに短編を書きつつ、その他まだ発表されていない仕事などをしていると、日々があっという間に過ぎていく。充実していて楽しいけれど、色々と目まぐるしい。今日はホンシェルジュというサイトで連載している「××にハマる徹夜本10選」という連載の原稿を書く為に、お気に入りのSFを書棚からひっくり返す作業をしていた。初めてこのジャンルを読む人から、SF好きまで楽しめるグラデーションのある10選を選ぶという趣旨なので、自分のお気に入りの中から更に選ばなければならない。逆に特にお気に入りのものでも紹介出来なかったりする。

 そんな中で、10選に挙げる為に読み返したお気に入りの一冊がある。ギョルゲ・ササルマンの『方形の円: 偽説・都市生成論』だ。

 お気に入りすぎてあんまり口に出すことが出来ない本があって、この本はそういう一冊だった。何故好きなのかは、ホンシェルジュの連載「××にハマる徹夜本10選」第二回を読んでほしい。かつてはこの口に出せないくらいお気に入りの本に佐藤友哉先生の『フリッカー式 鏡公彦にうってつけの殺人』があったり、フェルナンド・バジェホの『崖っぷち』があったりした。このような心のやわらかなところにある本は、大事な時に話をしてきた。たとえば、後者は阿津川辰海先生の対談で初めて出したタイトルだ。

 折角の読書日記だから、ここでもう一冊、今まで口にしなかったお気に入りの本のタイトルを挙げておこうと思う。カレン・ラッセルの『狼少女たちの聖ルーシー寮』だ。とっておきを共有した時、なんだか共犯者になったような気分になる。共犯者を増やせるように、また私も人に言えないとっておきの一冊を増やしておこう。



5月☆日

 『楽園とは探偵の不在なり』が候補に選出された本格ミステリ大賞が発表された。

 『楽園~』は受賞を逃してしまったものの、選ばれた『蟬かえる』を初めとして候補作は大好きな作品ばかりなのでよかったな、と思う。『楽園~』は私にとって初のハードカバー単行本で、自分の好きな物を詰めた本格ミステリだった。それがこうして評価されたことは嬉しかった。

 小説家になった以上、色々な作品を書いていきたいと思っていて、デビュー時のインタビューでも同じことを言った。ミステリもSFも、ファンタジーもホラーも書きたい。そう思っている中で、自分にいいミステリが書けると分かったのは大きかった。これからも、自分の好きなものを楽しく書いていこうと思う。

 ちなみに、九月にはミステリの新作である『廃遊園地の殺人』が刊行される予定なので、ミステリ好きの人はそちらも読んで欲しい。今回は特に特殊設定ミステリではない。そういえば、今村先生の新刊と舞台が被っているのだが、世は廃遊園地ブームなのだろうか? この影には、多分としまえんの閉園が関係している。と思ったのだが、本人にはまだ聞いていない。

 ところで、この作品の取材の為に、閉園直前のとしまえんを訪れた。色々なアトラクションを調べ、使えそうなところをメモしてきたのだが、私は絶叫マシンが苦手なのでアトラクションの全制覇は出来なかった。取材の際は怖いから絶対に無理だと言っていたのに、今思い出すと乗っておけばよかったと思うのだから不思議だ。でも、これは多分もう無いものに対する憧憬であって、目の前にコークスクリューが現れたら泣き喚くのだろう。

 私の中のジェットコースターは、小説の中に登場させるだけにする。ちなみにサイクロンは頑張って乗った。死ぬかと思った。



5月◇日

 小学館Storyboxに、新作短篇である「肉壁通信」が掲載された。これは家族をテーマにというお題で書いたもので、自分なりに家族小説を考えて作った話だった。これは一応家族をテーマにした短篇群として纏める予定となっているので、今からどんなものを揃えていこうか考え中だ。今回の短篇は四十枚縛りだったのだけれど、意外と綺麗に仕上がったのではないだろうか。

 そんなことを考えながら『冤罪と人類 道徳感情はなぜ人を誤らせるのか』を読む。これは歴史上有名な冤罪事件<浜松事件><二俣事件>を例に挙げながら、それが何故引き起こされたかを検証していく本だ。これは日本の黎明期プロファイリング史でもあって、ドラマ『マインドハンター』(実在の殺人犯達を登場させながら、アメリカでのプロファイリング黎明期を描くサスペンスドラマ)なんかが好きな方は、そちらの方面でも楽しめるのではないだろうか。

 事件自体に馴染みが無いはずなのに、この本で取り上げられる感情には覚えがあるような気がする。評判に囚われ、絶対に焦ってはいけない場面で焦る。何故なら、人々に安心を与える為には事件を解決しないといけないから。興味深かったのは、冤罪を掛けられ孤独になった容疑者の側が、目の前の取調官からの評判──好意の為にやってもいない犯罪を自白し始めることがあるという話だった。考えてみれば納得がいくというか、自分と対話出来る人間が限られた状況だったら、目の前の人間の愛を受けようと必死になるよなと腑に落ちてしまった。この辺りの話がしっかりと説明されているので、感情のバグについて知りたい人には特におすすめな一冊。

 ところで、「肉壁通信」は小学校教師の実近が、子供達に向かってマラソンの大切さを説くところから始まっている。いざという時に走れないと、不審者が学校にやってきた時にあっさり殺されてしまう。恐ろしい想像だが、実近は実際に自分の兄の実巳が小学校に乗り込んで教え子たちを殺し回ることに怯えている。

 それとは特に関連は無いのだが、私は今年に入って運動の為にジムに通い始め、毎日トレッドミルでハムスターのようにパタパタ走っている。あまりに体力が無く、買い物に行っただけでパタンと伏せるくらいの人間だったので体力作りの為に通っているのだが、これがなんとかなり健康にいいようだ。運動が死ぬほど嫌いなので認めたくはないが、日々が楽になったし肩こりも治った。運動は身体にいいのだ。以前の私ではいざという時に逃げることも叶わなかっただろうが、今の自分ならそれが出来てしまう。

 でも、運動が嫌いだから運動が健康にいいなんて絶対に認めたくない。血行なんてよくならないでほしい。運動、絶対に効果出てほしくない。そもそも、自分がそんなに運動をしているのが似合わない気がする。解釈違いだ。でも、ちゃんと運動をしている身体は疲れにくい。もう戻れない……。

 今日も私は嫌だなと思いながらジムに通っている。友人から勧められた『ゴッサム』を観る為に通っているのだと自分に言い聞かせながら、人間用の回し車をぐるぐると回している。



5月▽日

 何やらセールをしていたので、読みそびれていた『サクラダリセット』を全巻一気に読む。『天冥の標』を読んだ時と同じアドレナリンが出て、一気読みとはこんなに脳にいいものか……と思う。少年と少女と異能力の物語なのだが、後半で明かされるとある仕掛けが完全に本格ミステリで痺れた。そう考えると、『サクラダリセット』は壮大なワイダニットの物語なのだ。

 私は相馬菫さんが好きです。



5月/日

 昨年『探偵は御簾の中 検非違使と奥様の平安事件簿』を読んで、あまりに忍様と祐高の関係性にときめきすぎて泣いた。その際にTwitterで大はしゃぎしたお陰で『探偵は御簾の中』2巻のゲラを頂いた。嬉しい!!!

 『探偵は御簾の中』こと「たんみす」は、私が今一番楽しみにしているシリーズである。色恋に疎い検非違使別当(平安時代の警察のトップ)である祐高と、行き遅れた為に彼と契約結婚することになった、賢い探偵役の忍様が平安を舞台に起こる事件を解決するラブコメミステリーなのだが、これが本当に面白い。出てくる事件はその時代ならではのもので、本格歴史ミステリとしても楽しめる。特に一巻二話は、今でこそ奇妙に思う当時の人々の感性が綺麗にミステリに昇華されていて、鮮やかな手つきに膝を打ってしまった。『雪旅籠』(戸田義長)を読んだ時の感動だ。

 そういうわけで、ミステリとしても満足度が高い一冊なのだが、とにもかくにも主役夫婦二人の関係性が最高なのである。有り体に言って、めちゃくちゃ萌える。

 というわけで、読書日記の原稿を放置して読んだ。いや、もう、大恋愛……。二巻も素晴らしかった。かねがねミステリというものは心を描くのに向いたジャンルだと思っていた。何しろ、殺人には動機がある。事件には理由がある。たんみすは愛というものを描く為に、ミステリのギミックを物凄く上手く使って刺してくるのだ。たまらない。一巻の時点で関係性に一応の決着が付いているので、二巻は一話からトップスピードである。なんと忍様と祐高が出会った頃の物語なのだが、この出会いと今の二人を並べるのはずるい。おまけに、一話の魅力的な謎がそのまま二人の関係性の変遷にも絡んでいて、ああ……人間は変わる……と思わされる。

 ラブコメを、というか恋愛小説を読む時は、作中に書かれている愛の手触りが肌に合うかが重要になってくるのだが、たんみすはこの点が……かなり……自分の肌に合う……。どんな恋愛ものを読むより、ときめく……。そして、一巻四話で毎回ボロボロに泣く……。たまにデトックスしたいな、と思った時は祐高が忍様の前で泣くところを読んで共に泣いている。最初は契約結婚だった夫婦が、本物の比翼連理の鴛鴦夫婦になるという物語を、ここまで丁寧にやさしく書いてくれる作品は他にない。

 理想の愛は、お互いの存在を尊重することだと思う。そのことが忍様と祐高の物語を読むと分かる。よければ是非、いや絶対読んで欲しい。

(※編集部注:絶対読んで欲しい



5月○日

 芦沢央先生の『神の悪手』を読んだ。芦沢先生は最近物凄く将棋に嵌まられているようで、色々なところでその愛を観測することが出来た。その愛がとてもよく伝わってくる傑作短篇集で、悔しくなるくらい面白かった。芦沢先生の得意とする意外性のあるワイダニットがあり、将棋を巡る人間ドラマがあり、とにかく贅沢。

 個人的には表題作でもある『神の悪手』が好きだ。この物語のあらすじというか構造を詳しく説明してしまうとネタバレになってしまうくらい「上手い」短篇だった。芦沢先生の作品だと『埋め合わせ』にもなんて新しいミステリなんだと感嘆したものだが、これも思わず唸ってしまった。なるほど……。それでいて、この物語は自分の才能と神に対する反抗の物語でもある。将棋などの遊戯をテーマにした物語は──あるいはスポーツものなんかもそうだろうけれど、ルールを知らない人にも楽しんで貰えるようにするハードルがあるのだが、それのハードルを全く感じさせない筆力が素晴らしい。かくありたい。ちなみに、将棋ミステリで一番好きなのは『日曜は憧れの国』の『一歩千金二歩厳禁』で、倒叙モノとしても最高だと思っている。

 なんて語ってはみたものの、実は将棋を一回もやったことがない。ルールは分かっているのだが、対局の経験がない。ペーパードライバー的に言うなら、ルーラープレイヤーである。ルールは分かるものの、強い手弱い手は分からない。取った駒使えちゃうってルールで本当に対局が成立するのかよと思っている。

 家にあるのはチェス盤だけで、チェスが出来るなら将棋盤は要らないだろうというのが家庭の方針だった。ゲームキューブとプレステは両方あったのに、不届きかもしれない。今ではアプリなんかもあるのだから、一度くらい本当に将棋を指してみた方がいいのかもしれない。

 でも、ここまでくると私が将棋を指す時は、本当に特別な瞬間になってしまいそうで恐ろしいのだ。そこから将棋に目覚め、小説家を辞めて棋士になると言い出したらどうしよう。ありえなくはない。けれど、この歳だともうプロにはなれないんだっけ? ここ次第で、斜線堂有紀が将棋界に行くかどうかが決まるかもしれない。


としま園閉園の悲しみで、本格ミステリの未来は変わったのかもしれません


次回の更新は6月21日(月)17時です。

Written by 斜線堂有紀 

小説家。2016年、第23回電撃小説大賞にて“メディアワークス文庫賞”を受賞。受賞作『キネマ探偵カレイドミステリー』でデビュー。著作に『詐欺師は天使の顔をして』(講談社)、『恋に至る病』(メディアワークス文庫)、『ゴールデンタイムの消費期限』(祥伝社)などがある。2021年、『楽園とは探偵の不在なり』(早川書房)が本格ミステリ大賞にノミネートされ、注目を集める気鋭の書き手。

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