『黒猫館・続 黒猫館』(倉田悠子)/滅びつつ、生きていく(岩倉文也)

文字数 1,924文字

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今回は詩人の岩倉文也さんが『黒猫館・続 黒猫館』(倉田悠子)について語ってくれました。

ぼくの故郷は、廃墟の多い街だった。だからという訳ではないが、ぼくは滅びという観念に親しみを持っている。あらゆるものは淡々と滅んでゆき、やがて忘れ去られる。ときには廃墟のような遺物がこの世界に残されることもあるが、それだっていつかは風化し、取り壊されて更地になってしまう。


当然のことなのだ、と思う。こうした滅びに、感傷の余地はない。もちろんそれに抗うことだってできるだろう。詩人であれば滅びを美しく歌い上げ、ある種の慰めとして受容可能な形に作り替えることもできるはずだ。


しかしそれにしたって、滅びの運命を変えられる訳じゃない。全てのものはただひたすらに滅んでゆくのであり、人間に唯一可能なのは、その滅びに対していくつかの解釈を与えることだけ。ぼくたちは指一本、滅び去るものに触れることはできない。


『黒猫館・続 黒猫館』が描いているのは、そんな滅びの物語だ。


「黒猫館」の舞台は太平洋戦争勃発間近の昭和十六年十一月。大学生・村上正樹が、新聞の求人欄で見つけた広告に惹かれ、軽井沢の奥地にある洋館〝黒猫館〟を訪れるところから物語ははじまる。


まずはっきり言ってしまえば、本作のメインヒロインは表紙に描かれた少女・有砂ではない。むしろその母親であり、黒猫館の女主人たる冴子がそうである。


実際、本書を読み終えたあと頭から離れないのは、冴子が主人公に言い放った鋭利な言葉の数々だ。それらの言葉は、官能と官能の狭間から、奇妙は迫真性をもって迫ってくる。

  「戦争はキライ。若い人は皆、戦争に行ってしまいます。残されるのは女や子供ばかり。ねえ、村上さん、残される者の気持ち、おわかりになる? 時々、私、一瞬にして何もかもが破滅すればいいと思うことがありますのよ」


  「美しいもの、美味しいもののない世界に住むのは無意味ですわ。例え、明日は無一文になろうと、私、今日は最高の美と楽しみを求めたいんです」


  「自ら、滅んでいく自由もありますわ」


  「己れの心と書いて、忌わしいと読みます。己れの心に従って堕ちてゆくのが忌わしいなら、それもまたよいものですわ。人間は、皆、仮面のようなもの。忌わしさや仮面から、どうせ逃れることはできないのですから、どんな自分を演じても、同じことですわ」

こうした言葉から、黒猫館で繰り広げられる頽廃的な宴が、すべて滅びへの意識というものを背景に持っていることが分かる。そしてこの滅びとは、単なる個人の滅びではない。戦争による日本の滅び。元華族である自らの一族の滅び。そしてもっと普遍的な意味での、生あるものの滅びに対する透徹した洞察がある。

  「ねえ……村上さん。あなたにはお分かりにならないでしょうが、あたしたちは、生き続けるために死んでいくのです」


  「私たち黒猫館のものはみな、滅びにとりつかれているのですわ。滅びつつ、生きていくことに魅せられている……」

「黒猫館」の三十年後を舞台にした「続 黒猫館」では、冴子の滅びに対する認識はより先鋭化した形で語られている。


生き続けるために死んでいくこと。滅びつつ生きていくこと。この二つは、重なり合うようでいて、決定的に異なっている。前者はすり減っていくだけの、消耗の生。しかし後者は、滅びていく自らを強く実感した上での、燃えるような生だ。


だが皮肉なことに、「続 黒猫館」に出現した館は、しょせん主人公が見た幻に過ぎない。幻の館に住む、幻の住人こそが誰よりも雄弁に滅びの中の生を語り、そこで永遠に生きつづけることを願うという逆説。


ぼくはこの逆説を愛する。真に生き生きと滅びの生を謳歌できるものは、すでにして、この世の住人ではないのだ。だからこそ主人公は、黒猫館に強い魅力を感じつつも、結局はいつもそこから逃げ出してしまう。


黒猫館は、滅びという観念が結晶化したような場所だ。そこでは、滅びの持つ官能も、堕落も、諦めも、恐怖も、慰めも、全てが一体となって存在している。


ぼくが黒猫館に行ったら、二度と帰ってこれそうにない。

岩倉文也

詩人。1998年福島生まれ。2017年、毎日歌壇賞の最優秀作品に選出。2018年「ユリイカの新人」受賞。また、同年『詩と思想』読者投稿欄最優秀作品にも選出される。代表作に『傾いた夜空の下で』(青土社)、『あの夏ぼくは天使を見た』(KADOKAWA)等。

Twitter:@fumiya_iwakura

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