『宝島』文庫刊行にあたって /真藤順丈

文字数 2,104文字

 単行本の刊行から三年が経つが、めくるめく沖縄の叙事詩から僕はいまだに解放されていない。
 作家のキャリアを〈航海〉に(たと)えることがあるが、それでいくと順風満帆なんて夢のまた夢、しょっちゅう暗礁に乗りあげるどころか暗礁の上が定位置、おかまいなく、ずっとここにいます、と開き直りたくなるほど不出来な作家だった。だが今回にかぎっては、別の意味で遭難したかのようだ。歳月が過ぎても、沖縄の磁場から離れられないのだから。
 持てるかぎりのものを注いだエンターテイメント小説で世の中を変えたい、読者の世界を見る目を変えたいという願望を頼りに書いた『宝島』は、ありがたいことに大きな反響を得て、いくつもの冠をいただいた。おかげで沖縄でも出会いの輪がひろがり、作中の実在人物のご家族や「おれも戦果アギヤーだったよ」という読者からとっておきの逸話や秘史も聞かせてもらえた。これほど稀有(けう)贅沢(ぜいたく)なリアクションにふれられる書き手はそうそういるものじゃない。すべては望外の喜びだった。
 ところでこの文章を書いているのは、二〇二一年六月の緊急事態宣言下である。昨年来のコロナ禍で、政権は無謀なGo To事業と五輪開催に執着し、給付や補償を拒み、医療の拡充に尽くさずにワクチンも遅配、場当たりの愚策無策で国民の命を危険にさらしている。集団免疫を得られるのがいつになるかもわからず、その間にも変異株が猛威を振るって、感染爆発の第五波が来ることは確実視されている。渡航禁止の対象にすらなった日本は、世界から見れば〈()れ物〉に成り果ててしまった。
 たかだか政局や利権のために、五輪を一か八かの賭けで強行しようとしている政権は、国民の〈命〉をその賭け金にしている。
 なんだろうこの既視感は? 現在の政治はそのまま、戦時から沖縄を敷石にして、基地を押しつけ、民意を無視して辺野古の海に土砂を投じる姿勢と完全に重なってくる。だとすれば県外の僕たちは、沖縄を意識の外に追いやり、政府の腫れ物あつかいを追認してきた報いを受けているのか。〈政権浮揚〉〈国家の利益〉という目標を掲げたとき、為政者はかくも個人の命を無視して暴走する。今となっては政府が「そういう国ですが何か?」と居直っているにも等しい。僕たちが約束されていたはずの未来が、権利が、大事な人たちと過ごす時間が、現状維持すらも危ういフェーズに入ってきている。これほどののっぴきならなさは、あの戦争以来ではないか?
 だからこそ、刊行記念エッセイという場にもかかわらず贅言(ぜいげん)(ろう)するのだ。そして、そういう今だからこそ僕は沖縄から離れられないのだ。
 戦争や圧政のただなかから、どのように未来に価値を認めるかを模索してきたこの島からは、僕たちが生き延びるための廉(れんけつ)で恵み深い知恵を受け取ることができるはずだ。
 僕の場合は、他者への想像力を鍛えること。たったいま自分が書かなくては二度と語られない物語を全身全霊で書き残すこと。暗闇の中で差しだされる手をしっかりと握り返し、小説の言葉に換えて、最高のエンターテイメントとして還流させつづける方途を模索すること――『宝島』を書くうえで探り取ったそれらは、一人の小説家としての組成まで変えてしまった。
 だから沖縄から離れられない。というのはつまり、もっと書かずにはいられないという意味だ。実際、単行本で語りきれなかった島の英雄たちの外伝を、さらには『宝島』のその後の直接の続編すらも起稿して、今も書きついでいる(あいかわらず座礁もしてますが、いずれも今年から来年には発表の予定です)。
 これはある意味で、僕の〈遭難〉である。
 作家にとって、これ以上なく過酷で、しかし幸福な遭難だ。
 刊行される文庫版は、この閉塞した社会の中で自分が存在する価値を見出したい、何かをやらかしたいと願っているあなたにこそ読んでほしい。そこにある現実の壁は不動ではないし、あなたは自分で決めつけるほど無力ではない。沖縄のもっとも熱い時代の物語が、皆の奥深くで密かに身を縮こまらせている宝を呼びさましてくれることを信じてやまない。

二〇二一年六月十八日 仕事場にて/真藤順丈

真藤順丈(しんどう・じゅんじょう)
1977年東京都生まれ。2008年『地図男』で、第3回ダ・ヴィンチ文学賞大賞を受賞しデビュー。同年『庵堂三兄弟の聖職』で第15回日本ホラー小説大賞、『東京ヴァンパイア・ファイナンス』で第15回電撃小説大賞銀賞、『RANK』で第3回ポプラ社小説大賞特別賞をそれぞれ受賞。2018年に刊行した『宝島』で第9回山田風太郎賞、第160回直木三十五賞、第5回沖縄書店大賞を受賞。著書にはほかに『畦と銃』『墓頭』『しるしなきもの』『黄昏旅団』『夜の淵をひと廻り』『われらの世紀』などがある。





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