地下建築に閉じ込められた9人――極限の状況が暴く人間の本性

■生きるために誰かを犠牲にできるのか

「ここを脱出するためには、誰か一人が、この水没しようとしている地下建築に閉じ込められなければならない」

人を殺してはならない。それは子どもでも知っていることだ。

でも、自分の命に危険が及ぶと、生き残るためなら他人を犠牲にしてもいいと思ってしまうのかもしれない。自分が助かり、殺した証拠が見つからなければ、なお良い。

夕木春央「方舟」。山奥にある地下建築を舞台としたミステリー作品となっている。

主人公の柊一は、大学時代の友人と、従兄の翔太郎と共に長野の別荘にやってきていた。友人のひとり、裕哉の父親の所有物だ。

午前中に湖で遊んだあと、裕哉は「おもしろい場所があるんだけど、行ってみる気ある？」と提案する。歩いて行ける場所で、すぐに着くという裕哉の言葉を信じてついて行った柊一たちだったが、日が暮れて帰れなくなる事態に。たどり着いた地下建築で偶然会った3人家族と一夜を明かすことになる。

翌朝になれば、帰れるはずだった。

当たり前のようにそう思っていた彼らを悲劇が襲う。地震が発生し、地上に出るための扉が岩でふさがれてしまったのだ。おまけに、建物内には水が流入し始める。このままだと1週間後には地下建築は水没する。抜け出す方法はひとつだけ。しかし、その方法を決行するためには、ひとりが犠牲にならなければならない。柊一たちに動揺が走る中、今度は殺人事件が起こった。

■極限状態での犯人捜し

自分たちが生き残るために、誰かひとりを犠牲にする。それはやはり彼らの良心が許さなかった。だが、殺人事件が起こったことで、ひとつの望みが生まれる。

犯人が地下に残ればいいのではないか？

いいわけがない。が、ひとりを犠牲にする大義名分が欲しかい。そして、そのひとりを選ばなければならないという重圧から逃れるようにして、彼らは犯人を捜すことに意識を向けていく。

残された時間は1週間。少しずつ増えていく建物内の水。この中に犯人がいるという恐怖。そして、自分も疑われているかもしれないというプレッシャー。

そんな中で彼らは比較的冷静を保っているようにも見えるが、再び殺人が起こり、疑心暗鬼は膨らんでいく。

本当の意味で冷静なのは翔太郎ぐらい。その翔太郎が淡々と推理を重ねていくが、そんな彼もまた怪しく見えてきて……。命がかかった犯人捜しは読んでいて手に汗を握る。

■息が詰まるような閉塞感

人が過ごす環境としては最悪なのがこの地下建築だ。

閉じ込められているだけでも気分が落ち込むのに、建物内には拷問器具もある。柊一たちは宗教団体か犯罪組織が使っていた場所なのではないかと推理する。

幸いだったのは、建物内には生活するには困らない程度の日用品は揃っていたこと。どうにか食べられる缶詰などもあり、1週間なら生き抜くことができる。

が、風呂に入れるわけでもなく、栄養も偏り、決して清潔と言えない場所で生活をする様子から、心がすさんでいくであろうことは容易に想像がつく。殺人事件が起こったことだけではなく、その空間自体が彼らにプレッシャーをかけていく。

思わず、自分を地下建築の中に置いてしまう。自分ならどうするか？　ほとんどの人が、「どうにかして生き残りたい」という気持ちを膨らませるのではないか。その結果、他人を犠牲にしてしまうのか……。

ミステリーだが、人間の本性を暴く物語だ。そして改めて、人の「生きたい」という気持ちの強さを実感させられる。それが醜い感情なのか、尊い感情なのか、分からなくなっていく気がする。

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