『すぐ死ぬんだから』解説 若竹千佐子氏

文字数 3,203文字

年をとったら見た目ファースト、くすんだ婆さんなんか大嫌い!


人生100年時代の「終活」をテーマに、単行本で30万部の大ベストセラーとなった内館牧子さんの『すぐ死ぬんだから』が待望の文庫化!


63歳にして『おらおらでひとりいぐも』で作家デビュー、同作で芥川賞も受賞した若竹千佐子さんが、本作の見どころを読み解きます!

 忍ハナさん、かっけー。


 こんな婆さん、好きだなぁ、いや、こんな女性に同性として惚れまする。

 小説冒頭からビシバシと鞭うたれる心地、人は見た目が一番。若さを磨け、老化に磨きをかけてどうする、ですもん。人は中身っていうやつほど中身がない、ですもん。イチイチごもっとも。


 私なんか、ぶしょったれで、もっかい嫁に行くわけでなし楽が一番とばかり、ゴム入りのズボンに出っ腹が目立たないようにだぶだぶの上着。そもそも服のどこを何というか名称も定かでない。今どき私ぐらいでしょうか、チョッキって言う人。そうそう、たまにスーパーで買ったような安い帽子にリュックで外に出かけます。それもコロナ禍で減り、おまけにマスク生活では肌の手入れも化粧も怠って、シミたるみソバカスいっぱいの現在に至っております。反省しきりです。うすうすはなんとかしなければと思っていたのです。


 今この文章を中断して顔を洗ってきました。(そう言えば、石鹼使った朝洗顔、何日ぶりか)久々にお肌の手入れ化粧を施し、そしたらこのだらしない恰好も何とかしたくなり、たんすをかき回して、今、花柄ブラウスにグレーのスカートです。うふ。確かに外目を決めれば自ずと背筋も伸びますやる気も出ます。そういうことなんですね。分かりました。遅ればせながら、ほんとに遅ればせながら、オンナ磨きます、と決意表明したところで、私の思うところを少し。



 私がハナさんに惚れるのは、我慢しない女だからです。主張する女、吠える女だからです。

 どうしてでしょう、私たち。目立たないように、でしゃばらないように、控えめに、おとなしくというのが骨の髄まで染みついているんでしょうか。己が欲望を悪とでもとらえているんでしょうか、これをけちょんけちょんに押しつぶし無きものにして、大勢に従うことを良しとする風潮があります。空気を読め、ですと。これを日本人の心性などとは口が裂けても言いたくない。ましてや美風などというやつには心底腹が立ちます。


 しかし、御しやすいでしょうね。権力を持ってこれを治めようなんて言う人には。なんせ、言いなりなんだもん。私は恐れます。ひとたび悪意を持って悪しき方向に連れて行こうなんて輩が出てきたらひとたまりもないんじゃないかと。


 コロナ禍のせいもあるんでしょうか、世の中全体が今暗く重苦しい。

 こういう時代に、老いることは何か分が悪いってか、お荷物扱いされそうで気分が悪い。そういう風潮を敏感に察してなのか、子どもに迷惑かけないようになんて、五十六十で早々と店じまいするかのように身辺整理なんて考える人もいる。それが悪いというわけじゃないけれど、何か内向き、後ろ向きの感じがする。


 そもそも、老いるということはそんなにショボい寒々しいものなのでしょうか。


 私は、老いることも成長のうちと思っています。

 確かに体力の衰えというのは如何ともし難いものがあるでしょう。でも百メートル徒競走するわけじゃなし、普段の生活を営むぐらいの体力に若いころと比べてそれほど遜色ないでしょう。

 経験という実験とその結果を、つまりはデータを私たちはいっぱい持っています。それをもって推し量るに若いころは分からなかったけれど、今だったら分かる、ということがいっぱいあると思います。知力は、深い意味の知力も確実に成長していると思います。

 体力、知力、まだまだ十分として、あとは気力だけ。実はこれが一番重要じゃないでしょうか。


 気力、つまりやる気を削ぐのは実は目に見えない慣習のようなものだと思います。例えば、「老いては子に従え」なんて気分がいまだに毛穴から浸透している。何で今さら江戸時代の封建道徳がと思うかもしれませんが、老いたら膝を畳んでという気分が知らず知らず染み付いて、気力を萎えさせていると思います。実際、高齢者になってみると、あれ、昨日の私とそんなに変わらないじゃないか、と思うのですが、年を取ったらこうならなくちゃなんて、つい自分を小さくまとめてしまう。

 こういうとき、ハナさんのひと言ひと言ガツンときます。


 しっかりしろ。自分を磨け。

 シャンと歩け。セルフネグレクトなんてとんでもない。

 自分をだいじにしろ。好きなように生きろ。思い通り生きろ。


 ハナさんの言葉はともするとうつむきがちな私たちの気力を奮い立たせてくれます。老いてこそ自分に従えと言っている。こういう流されない生き方、私は好きです。といってハナさん、品行方正の人ってわけでもない。チクチクと息子の嫁さんへの毒舌っぷり。この人間臭さがたまらない魅力です。

 小説世界の住人であれ、現実の人であれ、日ごろの自分に喝を入れてくれる人は貴重で得難い友人です。忍ハナさんに出会えて良かった。



 忍ハナさんの生みの親、内館牧子さんに私は一度お目にかかったことがあります。

 内館さんのお父様が盛岡のお生まれ、私も遠野出身ということで盛岡文士劇に一緒に出させていただきました。内館さんはそこの常連さん、看板スターです。私は初出演。ちなみに文士劇は衣装からカツラから本格的で、涙あり笑いあり、とにかく大興奮の楽しい舞台でした。内館さんは初対面の私に開口一番「ねぇ、老後は盛岡で一緒に暮らさない」とおっしゃった。私アワアワ。無理もないです。若いころからあこがれていた作家さんが目の前にいて、話しかけられて、しかも一緒に暮らそうですから。ただ内館さんの老後っていつなの、と思ったこともこっそり告白します。あのときシラッと「そうですね、一緒に暮らしましょう」って言えれば良かった。己の度量のなさを恥じます。そう言えなかったのは彼我の差。


 内館さんと私はそんなに年が離れていません。にもかかわらず仕事量は文字通り、雲泥の差。私はといえば、藤井聡太くんが将棋の新人として颯爽とデビューしたころ、私も新人と言われていた、のが自慢です。新人にして老人。だから、老いをどう生きるかは私にとっても最重要かつ喫緊の課題なのです。


 さて、どうしようと頭をひねっても、老いの正しい生き方なんてものはないのでしょう。それぞれに個別具体の老いがあるわけで、自分の老いを手探りで行くことしかないのかもしれません。

 私は「お引越し」のその日まで、笛太鼓、鉦の音もにぎやかにドンヒャラドンヒャラ行きたいものだと思っておりますが、さて、どうなりますやら。

※本稿は、文庫『すぐ死ぬんだから』の解説の転載になります。読みやすさを考慮し、改行などを加えております。

若竹千佐子(わかたけ・ちさこ)

1954年岩手県遠野市生まれ。岩手大学教育学部卒業。結婚後に上京するが、55歳のとき、突然の病気で夫が亡くなる。悲しみに暮れながらも小説講座に通いはじめ、2017年、『おらおらでひとりいぐも』で第54回文藝賞を受賞しデビュー。2018年1月、同作で第158回芥川賞を受賞する。2020年、同作は田中裕子主演で映画化された。

終活なんて一切しない。それより今を楽しまなきゃ。

人生100年時代の痛快「終活」小説!


78歳の忍ハナは、60代まではまったく身の回りをかまわなかった。だがある日、実年齢より上に見られて目が覚める。「人は中身よりまず外見を磨かねば」と。仲のいい夫と経営してきた酒屋は息子夫婦に譲っているが、問題は息子の嫁である。自分に手をかけず、貧乏くさくて人前に出せたものではない。それだけが不満の幸せな老後だ。ところが夫が倒れたことから、思いがけない裏を知ることになる――。

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