「世界の変化」にどう立ち向かう? フィクションから見えてくる「日常」のすがた

文字数 4,554文字

こんにちは、あわいゆきです。


唐突ですが、新型コロナウイルスが流行り出す前の生活を、あなたは思い出すことができますか?

2020年に世界中でウイルスが流行ってから、私たちの生活は急激な変化を強いられるようになりました。そろそろ3年が経とうとするなか、マスクをつけた生活はもはや、私たちの日常として定着しつつあります。


これまで当たり前に過ごしていたはずの日常は、少しずつ過去になろうとしています。

私たちの日常は、これからどうなっていくのでしょう?


先の見えない未来が暗雲のように世界を覆うなか、〈フィクション〉の明かりを灯して答えを示せるのは小説の強みです。コロナ禍を直接描くのはもちろん、「世界の急激な変化」が訪れた世界観をゼロから創り上げることで、いま私たちが対峙している未来をいちから見つめ直そうとする作品も存在します。


今回はそんなフィクションの力を使って、「世界の急激な変化」に向き合っていく二作品を紹介していきます。

~第2回~

「世界の変化」にどう立ち向かう?

フィクションから見えてくる「日常」のすがた

天城光琴『凍る草原に鐘は鳴る』


第29回松本清張賞の受賞作。


舞台は〈稲城国〉と呼ばれる架空の国です。ここでは国土の南側を「稲城民」と呼ばれる人々が、稲の育たない北部の草原を「アゴール」と呼ばれる遊牧民がそれぞれ分かちあっていました。過去には戦争に発展したこともある二者間ですが、ここ百年は米と乳製品を交易することでなんとか均衡を保っています。


そして主人公となるマーラは、アゴールで伝統的に愛されている「生き絵」の演出を手がける絵師です。「生き絵」は私たちの世界でいう演劇のようなもので、場面を描いた幕を背景に、数人の演手が舞台を演じます。〈合わせ〉を二度きり、〈通し〉を一度しか行わず即興性を重視することで、まるで生きているような躍動感を生み出すのが特徴です。


一流の「生き絵司」として認められたマーラは、部族長たちの前で生き絵を披露する役目に大抜擢されました。これから明るい未来が待っている——しかしその予感は、唐突な災いによって掻き消えます。

ある日いきなり、国中の人々が動いているものを視認できなくなってしまったのです。



動いているものが見えない、とはつまりどういうことでしょう?

作中では「動きが遅ければ、かろうじて靄を纏った輪郭が見えるが、早く小刻みな動きであれば、身体ごと消えてしまう」「自分自身が動いていると、視界全体が揺らいでしまう」と説明されます。

視界が靄だらけになるため馬には乗れず、飼っている山羊がどこにいるかわからないので引き連れての大移動もできない。遊牧民のアゴーラにとっては大打撃です。


また、生活の不便さだけではなく、“死んで”しまった生き絵の描写を通じて、〈変化〉した世界のおぞましい現実が突きつけられます。「その顔は衝撃に打たれている筈だが、肌の色の中に霞んで失われていた。やがて現れた目だけが、空を見つめている」「身体は霞み、首は尾を引いて、鬼火のように怪しく乱舞した」、あるいは演者が涙を流す感動の場面では「青年の首は、ふっと立ち消え、手首と同時にまた現れる。いつの間にか、頬の化粧が一筋、僅かに剥げていた」と、その涙を捉えさせることすら許しません。

表現しづらい状況をうまく描写で補っているので、読みながらでもするりとイメージが浮かび上がってくるようになっています。



そして元の生活を奪われ、それどころか「生き絵」の魅力すら喪ったマーラは、失意のまま稲城の街を訪れることに。

そこで奇術師の苟曙と出会い、厄災によってもたらされた社会の〈変化〉を目の当たりにします。


ここで巧みなのは「動くものを認識できなくなった」、つまり「変化するものを認識できなくなった」世界観に設定することで、重要なテーマである〈変化〉に対して二重にアプローチを施している点です。人々が社会の変化自体を拒絶するのに対応して、世の中の価値観はより「変化しないもの」を過激に求めるようになります。不気味な表情から目を逸らすために白い仮面を身に付けるようになるコミュニケーション観、風情を詠んだ詩や動きの伴う芸が迫害されて書物を求めるようになる芸術観、あるいは生き物に愛着を抱けなくなり、すでに息絶えた動物に安堵を覚えてしまう死生観。


社会の〈変化〉を拒絶し、現実から目を背けようとする“虚”な心を描く一方、災厄によって喪われてしまった「変化するもの」からも目を逸らす人々の様子が克明に描かれます。そしてこの二つが〈変化〉というテーマの下に重ね合わせられることで、私たちが現実に直面している〈変化〉に対してどう向き合っていくべきかを、よりストレートに力強く問いかけていました。


当初こそ社会の変化を受け容れられなかったマーラは街での交流を経て、〈変化〉した現実をただ嘆くだけではなく、どう受け容れて向き合っていくか考えるようになっていきます。

はたしてマーラの未来は、アゴーラの人々の運命は。その結末はマーラが生き絵を通して披露した「答え」を目の当たりにして、確かめてみてください。

ハイファンタジーの王道を貫きながら、「いま」を生きる私たちを確実に見据えた作品です。

荒木あかね『此の世の果ての殺人』


第68回江戸川乱歩賞受賞作。


舞台となるのは現代の日本——ですが、私たちの生きている現実とは決定的な違いがあります。この世界では2022年9月7日、直径7.7kmの小惑星「テロス」がちょうど半年後に熊本県に衝突すると発表されました。

惑星の衝突は確実なため回避しようがなく、どこに住んでいようと衝撃波と粉塵で死は免れないため、世界中がパニックによる〈変化〉を余儀なくされます。特に衝突地域にあたる日本では自殺が毎日千件以上発生し、生活インフラは停止し、警察も行政も機能していないため治安は終末世界そのもの。三ヵ月が経つと、すでに九州にはほとんど誰もいなくなってしまいました。


そんななか、主人公の小春は逃げることもせずに太宰府の自動車学校に通っています。当然、自動車学校もろくに機能はしていないため、残っている教官はイサガワ先生ひとりだけ。無免許運転をしてもいまさら検挙されないのに、「一人で車を運転して熊本に行って、この世の終わりを見届ける」ため、二人は残りの日々を教習所で過ごしていました。

しかし、人類最後の大晦日、二人は教習車のトランクに滅多刺しの死体が詰め込まれているのを発見します。もうすぐ皆死ぬのに、なぜ殺人を犯してわざわざ隠蔽までしたのか? ホワイダニット(「なぜ」犯行を行ったのか)から始まる物語は二転三転して、本格ミステリに相応しい大きな謎に発展していきます。



先ほど紹介した『凍る草原に鐘は鳴る』と異なるのは、小春が「どうせ皆死ぬ」「以前の日々に戻るなら死んだほうがマシ」と、後ろ向きに世界の〈変化〉を受け容れている点です。それゆえに序盤は(父親の首吊り死体を処理して、引きこもりの弟を心配しながら)真面目に教習を受ける日常が淡々と進み、荒廃した世界と個人に広がる日常の隔たりを提示することで、読者の物語への興味をがっちり掴みます。


そして、「車」というモチーフが単なる掴みのインパクトに留まっておらず、作中の至る所でうまく利用されている点が物語の強度を確かなものにしていました。バディを組んだ二人は事件の解決を目指して教習車を乗り回し、最期の瞬間まで日常を過ごそうとする、「取り残された」人たちと出会います。終末世界を車に乗って旅する、ポスト・アポカリプス(終末SF)的ロードノベルのジャンルを自然な流れで成立させていました。

もちろん本格ミステリとして読んでも「車」は重要な役割を果たしており、派手なカーアクションも作中に盛り込まれているので、読んでいるあいだ息をつく暇すらありません。エンタメのアクセルを全力で踏んで、ドライブしているような疾走感で一気に駆け抜けていきます。



その一方で物語は〈変化〉してしまった世界で「どこまで日常を守れるか」にも焦点が置かれていました。人を殺しても罪に問えない環境で犯人を追いかけるうち、歪んだ正義と暴力の衝動は二人を蝕み、ときにブレーキを踏むことを忘れさせます。

現実では非日常にあたる「殺人事件」と治安の崩壊した世界を重ね合わせることで、教習所に淡々と通うことで演じてきた「日常」の脆さを改めて指し示し、〈変化〉した世界でどう「日常」を維持していくかを問いかけていく姿勢は非常に巧みです。

〈変化〉を受け容れ、そのうえで日常を送ろうとしても、変わってしまったものから目を背けることはできない。

そして世界が変わってしまっても、捻じ曲げるわけにはいかない倫理観や信念がある。

私たちがいまの現実でどう「日常」を生きていくか、切実さのなかに一筋の希望を見出せます。


本格ミステリとしての完成度はもちろん、あらゆる点でエンタメとしての技巧が施されており、間違いなく楽しんで読める物語になっていました。

ミステリ好きだけではなく、ロードノベルやポスト・アポカリプス、あるいはシスターフッド(ここでは利害関係を超えた女性同士の連帯)が好きな人にもおすすめできる、非常に間口の広い小説です。

今回は二作品を紹介していきました。


どちらの作品も〈変化〉を拒絶し、あるいは受け容れながら、共通して描かれているのは「日常」をどう保っていくかです。どれだけ世界が変わってしまおうとも、生きている以上、私たちは日常を送っていかなければいけない。現実であろうとフィクションであろうとそれは変わりません。

そのうえで、混沌のなかに身を堕として道を踏み外してしまわないよう、過去にあった「日常」を忘れないで胸に刻み込むことも重要なのだと思います。


まだコロナウイルスが収束する兆しは見えません。だからこそいま広がっている現実をこの目でしっかり捉えて、ハンドルは握ったまま、前に進んでいきましょう。

あわいゆき

都内在住の大学生。普段は幅広く小説を読みながらネットで書評やレビューを手掛ける。趣味は文学賞を追うこと。なんでも読んでなんでも書くがモットー。

Twitter : @snow_now_s

note : https://note.com/snow_and_millet/

第2回「この新人賞受賞作がすごい!」で取り上げたのは――

ある日突然、国中のあらゆる人々が「動くもの」を視認できなくなってしまった。「生き絵」を手がけていた遊牧民のマーラは、もう「生き絵」を披露できない事実を突きつけられて失意に暮れる。

変わってしまった世界で「生き絵」を再び披露することは叶うのか。マーラは多くの人々と交流して、変わってしまった世界と向き合っていく。

2022年、惑星「テロス」が地球に衝突すると唐突な発表がされた。Xデーは半年後。阿鼻叫喚に陥る世界中の人々。

そんな世間から離れて、小春は太宰府の自動車学校で淡々と教習を受けていた。しかし大晦日の日、教習車のトランクを開けると滅多刺しの死体を見つけてしまう。指導教官のイサガワとコンビを組んで、二人は地球最後の謎解きにとりかかる。

登場人物紹介

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