書いているあいだじゅう、ずっと

文字数 1,091文字

 書いたものはみんな忘れる。ほんとうに忘れる。おおよその筋くらいは覚えているつもりでいるのだが、タイトルを見ても中身を思い出せないことが多くてびっくりする。トシもトシだし、天然ではなく、ついにまじもんのボケがきたかと一通りドキドキしたあと、そうだった、と思い出す。わたしは前から自分の書いたものをちゃんと覚えていられないのだった。
 このたび『平場の月』が文庫化される。単行本が出たのは三年前の十二月だった。さすがにまだ覚えている。青砥と須藤という五十代の男女の恋愛小説で、(わたしにしては)多くの人に読んでもらえたし、賞もいただいた。たぶん、わたしの書いたものではもっとも知られている小説だろう。
 わたしにとっての『平場の月』は、類い稀な、という意味でユニークな小説だ。
 書いているあいだじゅう、ずっと、コンディションがよかったのだ。わたしは心身ともにすこぶる健康で、原稿に向かうと即座にとてもよい集中力を発揮できた。心地よく疲労し、一日を終え、明日もまた続きが書ける喜びにうっとりしながら熟睡し、ぱっちりと目覚め、ああ今日も続きが書ける、と窓を開けた。晴れでも雨でも曇りでも空はそれぞれ美しく、吸い込む空気は都度新しく、ちょうど目の先にあるソテツの葉は、いつもぴんぴんと力強く、したたるような緑色をしていた。そう。
 書いているあいだじゅう、ずっと、わたしはたとえようもなく幸せだった。思うにまかせず辛いこと多めの世の中に、にっこり笑いかけてもらったような、めずらしい一時期だった。
 おそらく、というか、もしかしたら、というか、なんというか、わたしにこの経験をさせてくれたのは、青砥と須藤ではないかという気がしてならない。ふたりは、ふたりの目に映る世の中をわたしに見せてくれたのではないか。ちがうかな。いやでも、そうだったらいいな。すごくいいな。
 実は、わたしは『平場の月』の細かいところはもう覚えていない。きっとこれからどんどん忘れていく。でも書いているあいだじゅう、ずっと、たとえようもなく幸せだったことは忘れない。青砥と須藤に感謝する。



朝倉かすみ(あさくら・かすみ)
1960年生まれ。2003年「コマドリさんのこと」で第37回北海道新聞文学賞、’04年「肝、焼ける」で第72回小説現代新人賞受賞。’09年に『田村はまだか』で第30回吉川英治文学新人賞を受賞。’17年、『満潮』で第30回山本周五郎賞候補、’19年、本作で第161回直木賞候補、第32回山本周五郎賞受賞。

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