十月◎日

文字数 4,972文字

1日1冊、3年で1,000冊の本を読み、月産25万字を執筆し続ける小説家・斜線堂有紀。


謎めいた日常はどのようなものなのか――

その一端が今ここに明かされる。


毎月第一・第三月曜日、夕方17時に更新!

夕暮れどきを彩る漆黒の光・”オールナイト”読書日記が、本日も始まる。

前回の日記はこちら

十月◎日

 季節の変わり目を窓の外の風景でしか認識出来ない人間でも、なんだか秋が本格的にやってきたことだけは分かる。基本的に買い物ですら陽が落ちてからしか行かないので、ああなるほど秋なんですね……と、すれ違いざまに見るアウターの具合で知る。


 読書の秋ということで、文庫化された山田詠美『つみびと』を読む


 自分で鍵を開けることも出来ない小さな子供二人を灼熱のマンションに置き去りにして殺してしまった冷血な母親・琴音を中心に、果たして彼女を鬼にしてしまったのは何だったのか? そもそも彼女は救いようのない悪だったのかを描き出していく。


 この小説を読んで私が思い出したのは小野不由美『残穢』だった。あれは大元に呪いの源泉とも言うべき忌まわしき家があり、そこから連鎖して呪いが枝分かれして、遠く離れた地に怪異を引き起こすという筋である。元とは殆ど関わりのない場所へも、呪いが感染していってしまうのだ。


 『つみびと』の蓮音が凄惨な事件を引き起こしてしまったきっかけは、主に母親の琴音が受けた仕打ちにある。琴音はまともな愛情を受けられない家庭で性的虐待を受けて育ち、逃げるように結婚を選ぶ。その選択が、娘である蓮音にも大きな影響を与えていく。元を辿れば際限の無い罪と不幸の連鎖があり、果たして幼子を殺したのは蓮音だけだったのか? 本当のつみびとは誰なのか? というところまで突きつけてくる。物事には原因があるけれど、原因にもまた原因があるのだ。


 この小説は大阪二児置き去り死事件をモチーフに取っている、ということで杉山春『ルポ 虐待 ――大阪二児置き去り死事件』も購入した。こちらはこちらで別の原因とその源流があるのだろうな、と思う。



十月/日

 家の中に蟻がいるから退治しなくてはならないということで、弟が私に電話を掛けてきた。おいそれと会えない距離に住んでいるのに、なんで電話を掛けてくるのだろう……と思ったのだが、通話を通して勇気をもらっているらしい。なるほど。


 蟻の駆除を実況しつつ、弟が蟻の出所について頻りに考えていたのだが、割と綺麗にしている部屋に突然現れた蟻はミステリっぽいなと思う。十中八九荷物か何かに紛れ込んでいたのだと思うが、どこかに穴があいていたり、誰かが人為的に蟻を送り込んでいたりしたら面白い。となると、弟の部屋に蟻を送り込んで得をする人間がいることになってしまうが……。犯人としてそれっぽいのは私になってしまう。弟から電話してほしいし頼られたいからね。


 そんなことを考えつつエリック・マコーマック『ミステリウム』を読む。これで邦訳されているマコーマックは全部読んでしまったことになり、寂しい。


 マコーマックの本の中ではあらすじが一番オーソドックスかつ魅力的で、かつミステリっぽい一冊である。正体不明の奇病に侵され、住人達が次々と死んでいくとある町。語り手である「私」は、この町で何が起こったのかをインタビューによって明かしていくことになるが……──果たして、村を襲っているのは何なのか。奇病の原因は毒なのか? それとも特殊な病なのか?


 謎を解く、という筋立てではあるが、そこはマコーマックである。物語の大半はインタビューを受ける人物の個人的な話だったり、彼らの主観によるねじ曲げられた物語だったりする。「真実を語ることができるのはきみが/あなたがあまりよく知らないときだけだ」という印象的な言葉がこの物語を象徴している。「私」が追う真相は二転三転し、住民達の姿すら少し角度を変えるだけでがらりと変わる。


 信頼出来ない語り手である彼らの信用ならない言葉を前に、どういうつもりで……と思うかもしれないが、読んでみると深い納得がある。何しろ彼らは自分の人生を生きているのだ。自分に起きたことを自分の思うように語る機会があるのなら、真実を語るよりも自分の思うままに物語を生み出すことを選ぶのではないか。この「病」について語るということが、インタビューを受ける人間の静かな興奮を呼び覚まし、語りたい気持ちが伝播していくような感覚がぞくぞくした。アンナ・グルーバッハの供述書の、あたかも自分が愛の全てを知っているかのような語りよ。


 これもまた「こういう話が書けたら楽しいだろう……」と思うような一冊。正直、マコーマックの中で一番好きかもしれない。


 さて、弟の蟻の件だ。色々やって結構な数の蟻を駆除し終えた部屋には、まだたまに蟻が現れるらしい。ここまできたらやっきになって駆除するより名前でも付けてみたらどうだろうか、と言ってみた。弟はこのアドバイスに従い蟻に名前を付けていたものの、三匹以上いるとどれか見分けが付かず、結局全部駆除することになったようだ。人間がもっと蟻の顔に詳しければよかったのにね。



十月×日

 エドワード・ケアリー『飢渇の人』を楽しく読み終えた後に「バートン夫人」(この短編集に収録されている。とても怖い)をそのまま実写化したような悪夢を見て泣いて起きた。



十月。日

 麻耶雄嵩『メルカトル悪人狩り』が出た。今までは国会図書館に頼らなければ読めなかった「愛護精神」や「名探偵の自筆調書」が読める日が来るとは……と思う。この二編以外はメフィストで読んでいたものの、通して読むとメルカトル鮎、相変わらずやりたい放題である。メルカトル鮎はミステリ界のデッドプールだと思っているのだが、この短編集では更にそれが顕著であるな……と思う次第である。常々思っているが、メルカトルシリーズはこの世界には銘探偵という存在がいて無謬です! という前提がある特殊設定ミステリなのだ。というわけで、私は「囁くもの」と「メルカトル式捜査法」がお気に入りである。この方向性でやっていくとなると、ある種のインフレが起こり続けるのではないかと思うのだが、きっと麻耶先生ならそれをひょいと超えてきてくれるのだろう……次がいつになるのかはさておくとして。ところで、私はメルはホーソーンと同じくらい良い性格をしていると思っているので、ガムを椅子になすりつけた辺りで「こいつならやる」と思ってしまった。(ちなみに本編を通して読むと、メルの性格悪探偵度が中期ポアロくらいまで薄まる)


 ついでに話をしておくと、麻耶雄嵩は語るのが難しい作家である。私は多感な中学生の頃に『痾』や『夏と冬の奏鳴曲』を読んで、後者はともかく前者のあまりのトリッキーさに麻耶作品は私には合わないのではないか……と悩み、その後に『鴉』や『木製の王子』を読んでこれは物凄く自分が好きなミステリなのだと思い直し、『隻眼の少女』の某トリックでやっぱりそれは無いんじゃないか!? と思い、気づけば麻耶作品を全作読み通して新刊を待つようになってしまった。自分がとても好きなものもあれば、そうではない作品もあり、されど全作どれも延々と語れるほどの思い入れはある……理解しているようで全く理解出来ていない、それが麻耶作品なのだ。こうして一生追い続けてしまうのだろうな……。


 ちなみに、麻耶雄嵩ファンは2016年頃から『弦楽器、打楽器とチェレスタのための殺人』の刊行を待ち望んでいただろうが、まさか悪人狩りの方が先に出るとは予想していなかったのではないだろうか。私も予想していなかった。悪人狩りの電撃刊行を見ると、もしかしたら弦チェレの方もするっと刊行されてしまうのではないか……と思うのだが、出たら出たで寂しいような……いや、これは早く刊行してほしい。



十月▽日

 白井智之先生とのトークイベントがあった。『廃遊園地の殺人』と『死体の汁を啜れ』の発売時期が近く、更に私と白井先生の年齢が近いことから、新時代の本格ミステリを語り尽くすという体でセッティングされたようだ。新刊のPRにもなるし、何より著書を愛読している白井智之先生に会ってみたかったのだ


 白井先生と私は他の某出版社でも担当編集さんが共通していた。その担当編集さんに何故か繰り返し「白井先生は作風はああですけど本当にいい人なんですよ」「一回会わせたいくらいですよ。作風と違って穏やかな方なので」と言われたのが印象に残っている。きっと、白井先生がいい人であることを教えておきたかったのだろうが、鬼畜系ミステリと呼ばれる作品を書いている人が「作風にぴったりです」と言われるのは怖すぎる。ところで、私の方は作風と照らしてどう思われていたのだろうか……。


 そうして迎えた当日、初めて白井先生と対面した。白井先生は確かに良い人だった。というより、初対面なのに話しやすい。作風もスタンスも何もかも違うが、平成生まれであるという共通点だけで組み合わされたトークイベントについては、この日記が掲載される頃には公開されているだろう有料アーカイブを観て頂きたい。


 というわけで、トークイベントの中でも離したのだが『死体の汁を啜れ』を語ろうと思う。この作品はやたら奇妙な死体が見つかりがちな牟黒という町をテーマにした連作短編集である。出てくる死体は豚の頭を被った死体や、母親の体内に入って死んでいた少年の死体や、屋上で溺れた死体や、死ぬほどの拷問を受けながら何故か殺されなかった〝生きている死体〟など、バラエティーが豊かである。白井作品特有のエグみが存分に発揮されながらも何故か爽やかなラストへとひた走っていくところには、何とも言えない読み味がある。最初に薦めやすいところもあって、白井智之入門編と言っていいかもしれない。


 本作ではバラエティー豊かな死体が出てきて、その使い方も千差万別である。この本で私が一番好きなところは、人間の身体ってギミックに使えるんだなとしみじみと感じられるからである。ミステリにおける人間が肉の袋だったり、骨は硬いパーツだったり、頭蓋骨がよく転がったりするのが好きだ。そういう本格ミステリにしか現れない人体の拡張性が何だかものすごく面白く感じる。色々な死体を見てグロテスクさを感じるよりも先に、人間ってこういう風にも使えるんだな……という感動があるのだ。


 ところで、トークイベントの中で印象的なくだりがあった。登場人物が大変な目に遭いがちな作品を書く白井先生は、登場人物に感情移入をしてキツくならないのか? という話になったのだ。すると、白井先生は「斜線堂さんの小説ように生きづらい登場人物が出てくる方がキツく感じる」と答えた。現実でそうそう白井作品のようなグロテスクな展開にはならないが、生きづらくて人生がキツそうな人間は往々にして存在するから、そちらの方がキツい。


 確かにそうかもしれない。よくよく考えてみれば、私も人が凄惨な死に方をする場面を書くのは案外楽しかったりするし、小説家が小説を書けなくて苦しんでいる場面は何とも言えず重苦しい気持ちで書いたりもする。苦しみの距離の問題なのだ。


 もう一つだけ、トークイベントの好きだったくだりの話をしよう。最後の質問コーナーで「作家になって幸せだった瞬間は何ですか」という質問が出た。偶然、私達は揃って同じことを答えたのだが、それがなんだかとても良かった。この幸せをずっと抱えていければな、と思った。というわけで、皆さん是非ともアーカイブをよろしくお願いします!


弟に電話をかけてほしいがためにトリックを仕込む小説家……分かります。


次回の更新は11月1日(月)17時です。

Written by 斜線堂有紀 

小説家。2016年、第23回電撃小説大賞にて“メディアワークス文庫賞”を受賞。受賞作『キネマ探偵カレイドミステリー』でデビュー。著作に『詐欺師は天使の顔をして』(講談社)、『恋に至る病』(メディアワークス文庫)、『ゴールデンタイムの消費期限』(祥伝社)などがある。2021年、『楽園とは探偵の不在なり』(早川書房)が本格ミステリ大賞にノミネートされ、注目を集める気鋭の書き手。

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