『損料屋見鬼控え』シリーズによせて/三國青葉

文字数 1,810文字

みなさん、江戸時代に「損料屋」という、現代でいう「レンタルショップ」の稼業があったことをご存知でしょうか? その『損料屋』の息子で幽霊が見える主人公・又十郎と幽霊の声が聞こえる妹が、江戸の事故物件が引き起こす事件を解決する新シリーズ「損料屋見鬼控え」が開幕。著者の三國青葉さんは講談社文庫初登場! …ということで、三國さんに「損料屋」について、詳しく語っていただきました!

余話 お江戸商売事情

 江戸時代に『損料屋』という稼業がありました。『損料』というのは衣服や器物などを借りるときに支払う料金のことで、損料をとって客に品物を貸す商売です。つまりレンタルショップということになります。江戸時代にレンタルショップがあったなんてちょっと不思議な感じがしますが、この損料屋、幕末ごろには江戸だけでも千軒近くあったようですので、それだけ利用する人が多かったと考えられます。


 損料屋が扱っていた物は、衣類・夜具・器・調度・建具などの生活用品でした。中でも利用する人が多かったのが衣類と夜具で、これはもうピンからキリまで。衣類は冠婚葬祭用はもちろん、遊びに行くときのおめかし用もありました。その中で、上物の冠婚葬祭用の衣類を借りていたのは、それなりの格式の武士や商人でした。


 いっぽう、四畳半一間の長屋に住んでいた庶民は、家族が大勢いる上に押し入れなどの収納スペースもなかったので、夜具や道具をしまっておくことができません。そのため季節ごとに損料屋で借りて間に合わせていました。たとえば卯月になると雷除けにもなる蚊帳を借り、神無月の初亥の日に行われる『炉開き』(どんなに寒くてもこの日まで待ちました)に炬燵や火鉢を借りるという具合です。


 人々が物を所有せずに借りて済ませていたのには大きくふたつの理由がありました。ひとつ目は物の値段が高くてなかなか買えなかったから。布は糸を作ることから始めるため、手ぬぐい一本でもそれなりの値がしました。また、道具類もすべての物が職人などによって作られるので手間がかかる分値が張ったのです。


 そして、江戸の町は火事が多かったからというのがふたつ目の理由です。せっかく高いお金を出して物を買っても、燃えればただの灰になってしまいます。借りて済ませたほうが悲しくありません。


 このようにみんなに重宝されていた損料屋ですが、ある人々にとっては、もう少し違った意味合いを持つ存在でした。


 江戸の町には独身男性が数多く住んでいました。参勤交代で国元から出府してきた武士たちは、皆、単身赴任です。また、地方の農村などから仕事を求めて江戸へやってくる男たちは、男性の数に対して女性が少なかったこともあり、独りで暮らす者がたくさんいました。


 足軽などの下級武士や長屋に独り住まう男どもは洗濯に困りました。当時は井戸端で女房たちが集まって家族の衣類を洗っていた(井戸端会議という言葉の由来です)のですが、その中に混じって洗濯をするなんてとても無理です(余談ですが洗濯板が使われるようになったのは明治になってからです)。そんな彼らのために損料屋にはふんどしを貸し出すサービスがありました。使ったふんどしをそのまま返し、洗ってゆのし(アイロン)をかけたふんどしを受け取ります。料金は60文(1200円)と安くはありませんが、背に腹は代えられません。


 また、地方から出てきた労働者の中には家出同然で江戸に流れてきた人もいて、そういう者たちはたいてい着の身着のままでした。彼らは、生きていくためにまず必要な最低限の品々を損料屋で借りました。さらに裏長屋に住むその日暮らしの人々は、商売道具を買うことができないので損料屋を利用しました。こういう人たちにとって損料屋は、生きていくのに欠かすことができないものだったのです。こうした事実を鑑みると、損料屋はセーフティネット的な役目を果たしていたと言えるのかもしれません。

三國青葉(みくに・あおば)

神戸市出身、お茶の水女子大学大学院理学研究科修士課程修了。2012年「朝の容花」で第24回日本ファンタジーノベル大賞優秀賞を受賞。『かおばな憑依帖』と改題しデビュー。著書に『かおばな剣士妖夏伝 人の恋路を邪魔する怨霊』『忍びのかすていら』『学園ゴーストバスターズ』『心花堂手習ごよみ』『学園ゴーストバスターズ 夏のおもいで』『黒猫の夜におやすみ 神戸元町レンタルキャット事件帖』など。

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